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入院・闘病生活
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夫の脳腫瘍発覚前主な症状は寝てばかりってことと頭痛だったんだけど時々変な発言があってそれも気になってた夫の変な発言(これがせん妄というのは最近知った)1️⃣息子はいつ○○に転校すんだっけ?○○は夫の職場の最寄駅。転校の予定はないし急にそんなこと聞かれて「何言ってんの?」と答えたふざけてんのかなと。2
●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを
MRI結果で膠芽腫だと知らされた日はたぶん1番泣いたと思う。4/9(火)に脳腫瘍ですと紹介状もらい次の日朝イチ紹介先の病院に行ったら即入院しましょうってなりその時CTみた主治医に「うーん、、あんまりこういうのこの段階で言うのアレなんだけど、、うーん、、良性、か?いや、まだ全然わからないですけどうーん
愚痴です。左前頭葉の腫瘍ということで主治医からは性格の変化(怒りっぽくなる、鬱々する)や言語機能の低下はあらかじめありえるリスクとして聞かされていたんだけどいまのところは旦那、、特に変わらず、、変わらずわからずやで私の話には耳を傾けない頑固親父旦那のまま、、頭痛やボーッとする不調が消えて回復を感じて
さっき説明を受けていた部屋に入ると主治医は「先程は流してしまいすみませんでした。本人もいたので、、」と「先生、、はっきり聞きたいです。」そう私が伝えると主治医は険しい顔になり「はい。」と言った内容がもうほんと記憶が薄いというか聞きたいと言ったの私だけど聞きたくない話しかなくて頭の中パニックだったから
今日は新年度初のPTAの委員会があり今年引き受けてしまったことをちょっと後悔しながら雨の降るなか学校へ。ほんとなら去年一年間やったので在校中に一回やるノルマはもう達成してる。だからやらなくても良かったんだけど2月の最後集まりの時に人手が足りないと言うのでなら少しでも力になれたらと思って継続したんだよ
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできてい
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。 ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。 訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが 娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。 SpO2が80後半から90前半だったことや 最後
このブログもいっそカテゴリ変えたほうがいいかな、、今日も記録と気持ちの吐き出し。今日会いに行ったら体調良さそうでたくさんおしゃべりした夫は「1%も心配してない」「俺は自信しかない。」って相変わらずで笑ったよね調子も良さそうでコンビニで買ったお団子も一本食べてたからほんとに大した事なくて夫だけは特別で