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介護日記
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秋から義実家に頻繁に通う用事が増えた。介護と呼んで良いのか分からないけれど、ネットや土地売却の事から整理されていない書類の整理まで。義実家に行くと事務処理をしながら、義母の昔話を聞かされている。何度も聞いた話でも、情報が更新されない義母には、息子たちの昔話をするしか無いのだろう。私も音信途絶えた次女
2月上旬、関東平野に雪が積もった。雪に不慣れな関東は、5センチの雪でも交通機関が打撃を受ける。うちの付近は3センチにも満たず、みぞれ混じりのベチャベチャ雪で、雪掻きも必要が無い程度だった。発熱は明朝になっても下がらず、仲良し先生のクリニックに連絡をした。「11時に来なさい。着いたら外から電話して。人
昨日午前中、母の面会に母の特養さん伺いまして、母との面会が終わり、帰る際に、歩行器をお使いになられた高齢者さんとそちらの方の娘さんか、お嫁さんだと思われる50代くらいの女性が特養さんの事務所前の入口付近のイスにおかけになられてまして私、施設内外問わず職員、利用者、面会者さん問わず目が合った方には挨拶
午前中、母がお世話になってる特養さんに残念ながら看取り状態になってしまった母の面会に伺いましたー。私てっきり母、寝てるかと思いましたが、母起きてまして、でも母、私とは視線が合わず母ちゃん!!と、耳元で少し大きめな声で母に呼びかけましたら母、一瞬こちらを見てくれまして、どうやらうちの母の場合目と耳には
母の看取り期~亡くなるまでのことを一気に書いてきたら少ししんみりしちゃいました。 今日は、 ちょっと一息ついて母が最後にきた服のこぼれ話を ^ ^ 母が亡くなる前日に用意した ・ピンクのカーディガン ・赤い花柄のブラウス ・母の日にあげたベー
『ごはんを食べるということ』 それは「生きる源」であり、暮らしの上での「楽しみ」のひとつでもあります。 母は元々「食べること」も「作ること」も大好き 家ではテーブルいっぱいの手作り料理を並べていつも家族の帰りを待っていてくれたし、 お寿司お餅お
「恐怖症とMRI検査の難しさについて」私がMRI検査を終えて待合室に行ったら、小学校4~5年生くらいの女の子とそのお母さんがいて、その母娘に医師が丁寧に説明していました。「どうしますか? お母さんが付き添いますか? 全然痛くはありません。 ただ、カプセルみたいな中に入って、 うるさいのでヘッドフォン
一昨日夕方しばらく振りに音信不通だった長姉から、 なぜか特養さんにてお世話になってる母に面会しても良いか私に打診するメールが入りまして、その1分後に長姉に母に面会するなら施設のご都合上事前予約が必要と返信しましたら、長姉から返信が無くて、今日の午前中に長姉からもし長姉が母と面会しても良いなら今週土曜
葬儀が終わると書類の手続き以外にも まだ施設の部屋の片づけが残っていました。 母が亡くなった日、施設長から 「今はそのままでいいので お母様をお送りすることだけを お考えください」 そうは言われたもののこちらにも期限はあって、亡くなった
母の法名も決まり急いでお泊りの準備と棺(ひつぎ)に入れるものを用意して母の元へ戻らなくてはなりません。※棺に何を入れたか、、の話はまた後日に 母の葬儀のスケジュールは次のように決まりました。 <葬儀前日> 8:00 葬儀打ち合わせ 17:0