23APR.
88年のカセットテープ4
88年のカセットテープ4女:かなり男:なんか、ほらあれで、 薬草を飲んだから、かなり・・女:う~ん。男:薬草をねえ、女:うん男:んで毒素を出すとか言ってたけど だけど・・女:ねえ、あれなんだったんだろ。 てね、あれを思い出して。男:うん・・女:で、まじめにね 私に似てないからね。男;うん、そうなの、わかっているけど。女:だから、ぜんぜん、体質とかさぁ、 そういうのはそっちだから、ちょっと男:体質、こっちだったら、 あまり病気しないはずだけど女:病気はしてないわよ。してないんだけど男:うん女:だけど、 こないだビックリしちゃって。男:うん。 だから、それだったら、別にほら、 ねえ、はしか、はしかじゃなかった、 おたふく風邪にしてもね。女:うん、いや、 おたふく風邪じゃないのよ、だから男:うん、だから・・そんなに女:おたふくはもうね男:うん女:1回やったらもうね、 2回やらないんだって。男:うん、だから、 そういうことは、 ほら、もしあれだったら 血液検査をすればわかることだしね。女:そうね、もうちょっと彼女、 元気になったらさ、男:うん女:検査連れていこうかと思って男:うん。だから、 もう今の医学じゃなんでも分かるからね。女:うん男:なんでもなおせるのだから、 英字以外は。男女:ふっ(と笑う)女:ここの近くはどこ来るの?男:ここの近く?女;浜松?男:浜松じゃね。ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・《ここまでの会話中について》女:かなり男:なんか、ほらあれで、 薬草を飲んだから、かなり・・女:う~ん。男:薬草をねえ、女:うん↓肝炎にかかったのは、1984年6月。肝炎の前、1979年〜1984年5月の間、耳の下が目で確認できるほど、腫れたことは全く記憶にありません。推測のひとつとして、私が結婚した79年以前に、腫れたのであれば理解はできますが、そのような話は聞いたことはなかったです。今一つの推測として、離婚した85年から後、肝炎で入院したとすると、私は知りませんが、その頃腫れた可能性はないとはいえません。薬草という言葉は、何を指しているのか、はかりかねます。82〜83年、極めて忙しかった時期に、サプリメント(アメリカの会社の品で、確かシャクリという名前でした)が、サプリがまだポピュラーではない頃でした。私の中学の同級生が、このサプリメントの販売を始めたことで勧められ、82〜83年は、ツアーにはいつも持たせていました。内容は、鉄、カルシウム、ビタミンC、そして、ビタミンE。ビタミンEに関しては、肝臓に貯まるので、2日に1回1錠と友人にも言われ、ピルケースにその旨のメモを貼り付けておりました。漢方薬に関しては、私は病気がちだったので、独身の頃、私の両親が信頼していた漢方薬医の方と交流はありましたがその方の影響で、私は”薬草”という言葉で表現することはなかったです。もし、薬草=漢方薬であれば、私は、体に入れる物には神経質ですので、飲み薬にしても、煎じ薬にしても、その効用のプリントや、注意書きをしっかり読み、覚え、飲ませるはずです。そもそも、漢方医に行っておりません。私自身、日常的に薬草という言葉は使いません。この女性は、かなり飲んだという薬草について、知識がとても薄い感じがします。返答が生返事です。私でしたら、飲んだ薬の内容物を発言すると思います。このような薬に関しては、私は非常に神経質です。男:んで毒素を出すとか言ってたけど だけど・・女:ねえ、あれなんだったんだろ。 てね、あれを思い出して。↓前述したように、この女性が飲ませた薬草について、”あれなんだったんだろ”と、返答しています。これは薬草に関しての返答であったとすれば、私の返事とは違います。もし、腫れた病気についての質問への返答であったとしても、あまりにも、ノンキな答え方です。男:うん・・女:で、まじめにね 私に似てないからね。男;うん、そうなの、わかっているけど。女:だから、ぜんぜん、体質とかさぁ、 そういうのはそっちだから、ちょっと男:体質、こっちだったら、 あまり病気しないはずだけど女:病気はしてないわよ。してないんだけど男:うん↓この会話では、露菜は、この声の女性には全く似ていない体質と断言されてます。村下と言われる男性も、否定せず、露菜は病気をせずに育っているという内容です。これは違います。露菜は、録音されたと明記されている1988年4月まで、以下の病気をしています。私にとっては、初めての子であり、私自身が病気がちだったので、注意深く子育てをしておりました。・露菜の病歴血液型(父親とは違い私と同じA型です)0歳の頃(生後5ヶ月ぐらいと記憶があります)耳の皮膚表面のある部分の汗腺異常で、その部分に膿のようなものが溜まり、炎症を繰り返し、ずっと定期的に皮膚科に通っています。お医者さまから、「10歳頃に手術をして、悪い皮膚部分を取り除きましょう」と言われ、その予定で定期的に通っておりました。1歳には、水疱瘡が酷く、高熱でかかりつけの小児科医院に特別に、一晩診療室に泊まって、様子をみております。熱が一度出れば、高熱になるのが常で、3歳前後に、2度ほど高熱時には、ひきつけも起こしています。熱が出ると、怖かった思い出があります。3歳には、百日咳という病気にかかっています。薬がなかなか効かず、3ヶ月ほどは、酷い咳を繰り返して私は寝不足が続いています。百日咳の症状が収まっても、後遺症のように、それから半年あまり部屋の空気が変わると、癖のように咳き込み保育園でも、先生方に、色々ご心配をおかけしております。このような病歴は、村下は知っておりますし、ツアーに出ていても、報告はその都度しています。なので、病気を知らない事はありません。入学前、集団検診で、目に異常があることがわかり、眼科医と縁が切れておりません。集団検診では、扁桃腺肥大で早めに扁桃腺を切除したほうがいいとの記載もありました。私自身、扁桃腺肥大で切除しております。食物アレルギーも、露菜は私と同じ食べ物で蕁麻疹が出ます。これは2歳ぐらいからわかっていた事です。体質は私に似ているとの共通認識はあった記憶です。この会話では、露菜は元気で体質は父親に似ていると会話されています。全く違います。女:だけど、こないだビックリしちゃって。男:うん。 だから、それだったら、別にほら、 ねえ、はしか、はしかじゃなかった、 おたふく風邪にしてもね。女:うん、いや、おたふく風邪じゃないのよ、だから男:うん、だから・・そんなに女:おたふくはね男:うん女:1回やったらもうね、 2回やらないんだって。男:うん、だから、 そういうことは、 ほら、もしあれだったら 血液検査をすればわかることだしね。女:そうね、もうちょっと彼女、元気になったらさ、男:うん女:検査連れていこうかと思って↓再度、しつこいようですが、このような同じ内容を永遠リピートするような会話は、私との結婚生活にはありませんでした。特に、以下女性の言葉、”2回やらないんだって”は、理解できません。”やらないんだって”という言葉は、相手に自分がその頃学んだ事を、驚きをもって伝えているという事と感じ取れます。おたふく風邪という病気については、私は、4人兄弟で育ち、なおかつ、母は理系の人間でした。母は音楽家でしたけれど、医者になる事が夢で、戦争中、希望して病院の手術室などに入って助手のような事もしたという人でした。なので、おたふく風邪は一生の免疫として体につくけれど、稀に2回かかる人もいる事。又、大人になって再度かかるとおたふく風邪の別名”耳下腺炎”ともいう事も母から聞いていた事です。私が高校2年生のおわりに、喉の大病をした時から、熟知してます。2回やらないんだって、という言葉は私は決して言うはずありません。”彼女”という言葉が出てきます。露菜の事を、身内、他人、又、自分自身の思いの中で、もう子供ではないのだという言い方を始めたのは、露菜が高校生あたりからです。病気の検査の会話では、私は、親の立場です。母としての意識が私は、ものすごく出る人間です。このような内容の会話中、なぜ”彼女”といえるのか。私の感覚には、無いセリフです。”検査連れていこうかと思って”と女性が言われていますが、私の性格では、血液検査はさっさと済ませます。男:うん。 だから、もう今の医学じゃなんでも分かるからね。 なんでもなおせるのだから、英字以外は。男女:ふっ(と笑う)↓”英字以外は”という言葉を言っています。彼は、英語は不得意でした。どちらかというと、彼は私に、英語コンプレックスを持っていました。私が英語が堪能というわけでもなかったのですが、83年の最初に、英語の事で言い争いをした事があります。その頃から、最後離婚をするまで、”英語”に関連する会話は、二人とも避けていました。以上のように、お互い”英語”という事からは気を使い合っていた生活でしたので、このような、大らかな雰囲気で笑い合っている事は、私には信じられません。私ではありません。彼は私に、英語に関する冗談など言いませんでした。女:ここの近くはどこ来るの?男:ここの近く?女;浜松?男:浜松じゃね。↓このカセットテープは、女性は広島市、男性は調布市深大寺間で男性が女性に電話をしている内容を録音したと記載されています。”ここの近く”は、広島の近く。”どこ来るの?”は、多分コンサート予定の事かと。その返答で男性は”ここの近く?”と自然に答え、考えています。次に、それも即座に女性は、 ”浜松?”と聞いています。広島の近くは、少なくとも岡山、神戸、大阪、福岡。浜松は、”ここの近く”というには、奇妙です。この会話が、なぜ成立しているのかわかりません。
白地に墨波縞縮緬の着物に白帯の春コーデ、京料理の季節感を堪能!
追記:糖質制限しなくても
娘が遺した孫に会いたい