
1JUN.
お知らせ。
目からビーム出るくらい暑くなって来ましたね本日はクライアントさんをお連れして高幡不動尊へ護摩祈祷を受けに参りました及川真那(まなさま)です今日のご祈祷は凄まじかった🔥所願成就の予感に希望が溢れて来る護摩祈祷の炎🔥に感動しました風邪引きから高熱勃発から病み上がりですがなんだかとってもスッキリしました🫶また明日ね(*´˘`*)ノ゛

中共当局が「日本は略奪しかしていない」と主張する時代。しかし1930年代、満州国の実際の姿がこれ
聞きたいのは宗教の話ではなく“神の話”
holygirlですエレミヤ33:1〜3エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時、主の言葉はふたたび彼に臨んだ、 「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。アーメン今週の集会で私たちは、たくさんの情報開示、隠されてきた事実が明るみにされている話(日本・日本人を滅ぼしたい霊力)を聞きました。富に仕え、「エリート」と呼ばれる一部の人たちによって支配され、子どもたちが悪魔崇拝儀式の生贄とされてきたここまでの世界は、トランプ大統領の1期目就任からコロナ禍を経て、大きく変わろうとしています。聖書の中にある善と悪、神とサタン、光と闇、生と死の構図を理解して立ち上がったクリスチャンと、悪魔に魂を売り、どこまでも悪事を行ない欲を満たそうとする人間、さらに、このまま変わらなくてもよいと考え、今だけ自分だけ金だけで生きる人々がいる中で、トランプ大統領と彼に協力するプーチン大統領はじめ、光側にいる者(上に立つ者)たちが悪を一掃してきました。同時に、無関心できた人々、悪に加担してきた人々も滅びを刈り取ってきました。そして、7月4日、アメリカ建国250年を迎える時には、アメリカ合衆国から共和国へと生まれ変わり、新たなアメリカ、新たな世界が始まるのだと期待されています。そのために、各国の首脳が会談をし、表には知らされていない契約を結んだり、実際は退任させられていたり、画面に映っている人物が背丈からして偽物であったり(トランプ大統領は危険から身を守るため偽物が12人いる説)と、テレビ、マスコミ報道では絶対に知らされないことが、インターネットでは暴露され続けています。食、医療、教育(歴史)といったそれぞれの業界の闇も次々に暴かれ、どれだけ私たちは騙されてきたのか、特に日本人としては、国民を殺しにかかるような食品と薬(ワクチン)が出回り、もはや毒としか言いようのないものを身体に入れられ続けていること、常識は非常識であったことを知らされている今、抵抗して拒絶しなければ明日の命の保障もありません。また、宇宙・宇宙人についての情報開示は、アメリカでどんどん行われている反面、クリスチャンの中には、宇宙人は存在しないと断言し続ける牧師がいたり、情報開示の内容が事実だとしたら、動揺してクリスチャン(信徒)の信仰が揺らぐと懸念されています。神は「宇宙人」というキーワードをどう使われようとされているのか・・・私たちとしては、宇宙人がいるいない関係なく、全ての上におられる本当の神との関係に留まり、人間の意見をはさまない信仰をもって、この新時代を迎えようとしている今の時を生かして用い、福音宣教していかなければならないと語られました。そんな中で、日本人はこんな事でもつまずいてしまうのかという話を聞きました。自分はどうであったか・・・つまずかなかった事がすでに選びの民であったのかもしれません。祈りの最後に、私たちクリスチャンは「アーメン」と言います。「アーメン」は「そうなったと信じます」という意味です。からし種一粒の信仰で相手がイエス様を救い主として受け入れる意志を向け、救いの告白、聖霊のバプテスマの祈りをする時には、最後に「アーメン」と言ってもらいます。この言葉を言うことに対して、今まで抵抗する人はあまりいませんでしたが、例えば、未信者と共に祈る時に、異言を語り出したら驚かれたり、最後に「アーメンと言って!」というと嫌悪感をもち、言いたくない人はいます。ある姉妹は、相手の悩みを解決できるよう共に祈ったのですが、姉妹が最後に「アーメンと言って!」とお願いした途端に相手の顔つきが変わり、「聖書用語、キリスト教の言葉を無理矢理言わせるな!」と怒りをあらわしたそうです。過去に両親が宗教に引っかかって損害を被った経験があったため、姉妹が語る福音を素直に受け入れる時もあれば、宗教的な事に敏感に反応してしまう時もあるとの事でした。「牧師だったらどうしますか?」という姉妹の問いに、牧師は、「私なら、アーメンと言える?と聞く」とおっしゃいました。そうすれば、相手は「あっ、はい」とか「うん」と答えて、「アーメン」と言えたり、黙ってしまう事もあると。黙ってしまったら、「なら私だけ言うね」で良いのです。大事なのは状態(反応)に目を向けないことです。すでに相手が共に祈る、祈りたい、祈って欲しいと意思を向けて祈れることが重要であり、たとえ「アーメン」と言えなくても、神はその心を見て祈りを聞いてくださっているのだと語られました。牧師の語り掛け方は、福音の知恵でした。姉妹は、かつて自分がクリスチャンである母親から強制的に「アーメン」と言わされてきたことを嫌がり、反発していたにもかかわらず、自分も相手に対して同じことをしてしまっていることに気付き、悔い改めたそうです。今、この姉妹と共にぶどうの木牧師が、絵本「1つになろうよ!命の絵本・命の糸に会う本」の英語訳に取り組んでいますが、その協力者であるカナダ人の先生が、実は10年以上前からアメリカ・ロサンゼルスの教会の黒人牧師のメッセージを聞いてきた事、幼い時に両親と共に教会に通っていたことが先週の交わりで分かりました。姉妹が、「アーメン」と言えない相手に対する導き方を悔い改めてすぐの交わりの中で、カナダ人の先生は、レッスンよりも自分の身の上話を約2時間したのですが、その時に、メッセージを聞いてきた黒人牧師は、毎回、「私が話しているのは宗教ではない!神の話だ!」と言うのだと教えてくれたそうです。この言葉が、イエス様からのメッセージとしてぶどうの木牧師と姉妹の霊に語られました。クリスチャンが神がどういうお方であるのかという事よりも、〇〇派の神学の話=宗教の話ばかりをしており、せっかくクリスチャンと出会っても、神に選ばれ愛されているという事実、神の愛と力の証、死にも復活したイエス様の力によって悪霊と戦い退けられること、敵は目に見える相手ではなく悪霊だから無条件にゆるせるといった聖書真理を聞いた事がない人があまりにも多いのではないか・・・人間を創造した神の話こそ、福音(グッドニュース)なのだと改めて語られたそうです。現在、最も高性能と言われるAnthropic社が開発したAIモデルであるClaude Opusに「神はいますか?」と質問すると、「神はいます。でも神は見えません。人間は神を見ることはできませんが、神の御業によって神を見ることができます」と答えるのだそうです。本当にその通りだと言える答えです。神の御業とは、例えば麹が麹菌によって酒や味噌、醤油といったおいしい調味料になること、種を蒔けば植物が成長して花を咲かせ実を成らせること、そして何より、女性の胎内で受精卵ができたら、何もしなくても卵から人間の形へと成長し、内臓が出来上がり、時が満ちて誕生するという事です。ここに神の御業を見る!神を見る!神を畏れる感覚があるかどうか、人間の真価が問われると思います。無神論者が存在することのおかしさ・・・それを主張できてしまう愚かさ、恥ずかしさ・・・神なしに人間は存在せず、神が天地を創造し、秩序をもって動かしておられること、一つ一つの地球上の史実に介入し、神のみ旨を成就して来られたことを、特に日本人は聖書から知るべきです。今週の集会で与えられたみことばも、神の話、神の御業の話なのだという角度から読むと分かりやすく、神の御前でへりくだり、神を畏れ救われて生きることが神の御心であり、神がこの世界と人間をどのようにつくったのか、人間はどのようにして神に背き自分の知恵で生きるに至ったかを知ることができました。1.旧約時代からの神の御計画エレミヤ33:4〜26イスラエルの神、主は塁と、つるぎとを防ぐために破壊されたこの町の家と、ユダの王の家についてこう言われる、 カルデヤびとは来て戦い、わたしが怒りと憤りをもって殺す人々の死体を、それに満たす。わたしは人々のもろもろの悪のために、この町にわたしの顔をおおい隠した。 見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。 わたしはユダとイスラエルを再び栄えさせ、彼らを建てて、もとのようにする。 わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。 この町は地のもろもろの民の前に、わたしのために喜びの名となり、誉となり、栄えとなる。彼らはわたしがわたしの民に施すもろもろの恵みのことを聞く。そして、わたしがこの町に施すもろもろの恵みと、もろもろの繁栄のために恐れて身をふるわす。主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレムのちまたに、 再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、および 『万軍の主に感謝せよ、 主は恵みふかく、 そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』 といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。万軍の主はこう言われる、荒れて、人もおらず獣もいないこの所と、そのすべての町々に再びその群れを伏させる牧者のすまいがあるようになる。 山地の町々と、平地の町々と、ネゲブの町々と、ベニヤミンの地、エルサレムの周囲と、ユダの町々で、群れは再びそれを数える者の手の下を通りすぎると主は言われる。主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。主はこう仰せられる、イスラエルの家の位に座する人がダビデの子孫のうちに欠けることはない。 またわたしの前に燔祭をささげ、素祭を焼き、つねに犠牲をささげる人が、レビびとである祭司のうちに絶えることはない」。主の言葉はエレミヤに臨んだ、 「主はこう仰せられる、もしあなたがたが、昼と結んだわたしの契約を破り、また夜と結んだわたしの契約を破り、昼と夜が定められた時に来ないようにすることができるならば、 しもべダビデとわたしが結んだ契約もまた破れ、彼はその位に座して王となる子を与えられない。またわたしがわたしに仕えるレビびとである祭司に立てた契約も破れる。 天の星は数えることができず、浜の砂は量ることができない。そのようにわたしは、しもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビびとである祭司の数を増そう」。主の言葉はエレミヤに臨んだ、 「あなたはこの民が、『主は自ら選んだ二つのやからを捨てた』といっているのを聞かないか。彼らはこのようにわたしの民を侮って、これを国とみなさないのである。 主はこう言われる、もしわたしが昼と夜とに契約を立てず、また天地のおきてを定めなかったのであれば、 わたしは、ヤコブとわたしのしもべダビデとの子孫を捨てて、再び彼の子孫のうちからアブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ばない。わたしは彼らを再び栄えさせ、彼らにあわれみをたれよう」。2.パウロの証から分かる神の愛と権威、イエス様の救い使徒行伝13:16〜52そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。 「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。 そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。 それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。 その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。 それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、 そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。 ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。 イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。 わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。 神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。 だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。 事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。 だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。 わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。 それは、人がどんなに説明して聞かせても、 あなたがたのとうてい信じないような事なのである』」。ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。 そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。 するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。 パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。 主はわたしたちに、こう命じておられる、 『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。 あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。 こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。 ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出させた。 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。 弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。3.神がどのように人間を造ったのか創世記1:27〜2:17神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。こうして天と地と、その万象とが完成した。 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 これが天地創造の由来である。 主なる神が地と天とを造られた時、 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。 また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。 その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。 第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。4.結婚の始まり創世記2:18〜25また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。 「これこそ、ついにわたしの骨の骨、 わたしの肉の肉。 男から取ったものだから、 これを女と名づけよう」。 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。5.罪の始まり:サタンにそそのかされ、善悪を知る木から実をとって食べたことで、人間が自分の頭で神の創造に対する善悪の判断を行い、自分の意見を言い、都合の悪いことは人のせいにして生きるようになった(人のせいにするパン種の誕生)創世記3:1〜19さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。 主なる神はへびに言われた、 「おまえは、この事を、したので、 すべての家畜、野のすべての獣のうち、 最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、 一生、ちりを食べるであろう。 わたしは恨みをおく、 おまえと女とのあいだに、 おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、 おまえは彼のかかとを砕くであろう」。つぎに女に言われた、 「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。 あなたは苦しんで子を産む。 それでもなお、あなたは夫を慕い、 彼はあなたを治めるであろう」。更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、 地はあなたのためにのろわれ、 あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、 あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、 あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。アーメン私たちは神が制定した結婚によって命を育み、命を繋いで生きています。神に似せて造られているのは私たち人間だけであり、仮に宇宙人がいたとしても、私たちのような姿ではありません。神が人間にだけ与えた特権があり、心があり、注いで下さった愛があることを全人類が知らなければなりません。それを放棄し、神との関係の断絶を招いたのはへび(サタン)にそそのかされた人間側なのです。英会話の先生は、男性のあばら骨から女性をつくられたという事の意味をなかなか理解できずにいたそうです。一人の人間(男性)から一人の人間(女性)をつくられた・・・心臓に一番近いあばら骨から・・・それは前でも後ろでもなく、神によって定められた一組の男女が並んで人生を歩みなさいという神の愛によるものです。だから離婚してはならない、LGBTによる同性婚はあり得ないのです。離婚に至ったものの、復縁を求めている先生はその神の愛に感動した様子で、自分がこの絵本作成に選ばれたことに感謝し、絵本の英語訳が完成した際には、黒人牧師に絵本を贈りたいのだと言ったそうです。神の話は、自分に注がれた神の愛を知る話です。それに対して、不快感をもつのは、完全に悪魔に魂を売り渡した者たちだけで、本来なら、ずっと聞いていたい話でしょう。それだけ現代人は神の言にも愛にも飢え渇いています。「絵本の内容はきれいごと」、「女は家に入って専業主婦になるなんて古い考えだ!差別だ!」という声も聞きますが、実際は、よっぽどキャリアを握っていない限り、主人がしっかり稼いでくれるなら、今は、家庭に入りたい!子育てに専念したい!と思っている女性が多いのだそうです。社会の在り方が悪いだけ!全ては、聖書を土台にせずにきた考え方、自分の欲から出る意見を優先し、一部の人間にお金を操られてきた結果であると言えます。新世界が始まるのであれば、日本人も、神がどのような思いで人間を造ったのかを知った上で、どんな家庭を築いていきたいかを真剣に考える時でしょう。聖書には、【まず神の国と神の義を求めなさい。】と書かれています。マタイ6:31~33何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているのものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。アーメン神を1番にすること、次に家族を大切にし、その上で3番目に社会的仕事に取り組むことを教えています。この順番は、時代や社会が変わっても、決して変えてはならないものです。神を1番にするなら、神がカシラとなっている家庭において、家族は神のみことばに従って互いに愛し合い、思い合い、関心をもってコミュニケーションを取ります。仕事が忙しくて無関心になっている時点で順位が逆になってしまっています。先週のブログの最後に話題にしたA兄弟は、A兄弟だけの問題ではなく、家族も無関心になってコミュニケーション不足であったことを悔い改め、一致の祈りによる悪霊の追い出しを行なっていくことで、妬みの霊に完全に勝利することができましたさらに、A兄弟自身の中からは今回裁きの霊も示されました。職場の人間関係、職場環境に対する裁きの霊によって、「話してもどうせ解かってもらえない。言っても変わらない」と占い、当事者同士で向き合って話すことをあきらめていました。裁きの霊は、サタンを見えなくさせます。どんどん独りにして、“人”しか見えない血肉の戦いに持っていきます。周りの言葉によって、真実がどこにあるのかも分からなくさせられ、一つの言葉や態度の聞き方、受け取り方に対し誤解が生まれ(レビヤタンの霊)、混乱を招き、裁きや疑いの気持ちが増大していきます。双方の話を聞くことが大切ですが、どちらか一方の話しか聞かなければ、同情や同調が生まれ、他者を巻き込んでの分派分裂の霊も動いていきます。A兄弟が自分と神との関係、神がどのように導いてきてくださって今の職場にいるのか、初めの愛をサタンに盗られてしまったところから門を開き、高熱が続く身体への攻撃も受けましたが、全ては神の御手の中であり、家族だけではなく姉妹も遣わされて交わりをもてたこと、職場の相手も同じ教えを学ぶ信仰の仲間、兄弟姉妹であった事から、最後は腹を割って互いの思いを伝え合い、誤解を解く話し合いを持つことができました。交わりを通して、A兄弟も自分は悪くないというところから、自分の目にある梁にも気づくことができ、無条件の愛と無条件のゆるしに立って祈り、悪霊を追い出し、和解することができました。マタイ7:1~5人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。アーメン裁かれていた側の兄弟からは、「独り善がりでA兄弟の思いに気付けずにいた。今まで相手を無条件にゆるすことはできてきたと思うし、今回もA兄弟に対して無条件のゆるしに立ってきた。しかし、今回教えられたのは、相手にゆるされるためには、ただゆるしてくれ!と言うのではなく、心から悔い改めて、謝罪して、悔い改めたと分かる姿勢を見せることであった。相手にゆるされる体験を初めてした。レビヤタンの霊によって言葉がねじ曲がって伝わらないよう、A兄弟ともっとコミュニケ―ションをとって、より良い会社にしていきたい!」と証してくれました。牧師を通しても、「誤解している人がいるかもしれないので伝えておきますが、〇〇さんをゆるします!と言う時、自分が正しくて、相手が悪い、相手を罪に定めるために、相手に罪があるからそう言うのではありませんよ!サタンに機会を与えないために、裁きの霊を動かさないために、神の御前で言うのです」と語られました。そして、逆に「あなたをゆるします」と言われた時には、相手に裁かれているのはなぜか考えなければなりません。自分の何が悪かったのか、イエス様に聞かなければなりません。この場合、全く自分に非はないという事はありません。しかし実際は、ゆるされるように振る舞っていない、言動を改めていないクリスチャンが多いのです。兄弟の悔い改め、気づきは、皆にとって改めて重要な教えとして語られ、感謝でした。ヤコブ1:19~25愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。アーメン神の話、イエス様の愛を宣べ伝えることを改めて心に留め、意志を向け、今週も置かれた場所で福音宣教していけたことを感謝して祈ります

初めまして!よろしくお願いします!