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  1. 昨夜は東京多摩地区こなあーゆきーが舞っておりましたが極寒にはならなかったので人工の雪だろうなとか考えながら日中陽射しがあり風がないとそこまで寒くない体感があります及川真那(まなさま)ですこんばんちハー及川真那ライトワーカー人生プロフィールはこちらをクリック👇自己紹介と歴史どうぞご覧ください。及川真那さんのプロフィールページ及川真那さんのプロフィールページですwww.ameba.jp必読記事です👇🏻『事実報道開始。』本日は午後から待望の鍼灸治療でございますが月曜日から火曜日の朝自律神経がボロボロで一番体調悪くなるのですよね夜中パニック発作まで発症してしんどすぎの朝を迎えま…ameblo.jp必読記事です👇🏻『廃棄処理。』ウザーニュースの予報や雨雲レーダーさえ当たらない天気でして雨予報だったけど南から陽射しが出て西の空は青空が見えてきて洗濯物乾くわーっとホッとしながらオンライン…ameblo.jp必読記事です👇🏻『細菌兵器。』月曜日火曜日は定休日設定していますのでお仕事休みなのですが言うてもちょっとは仕事してしまうという及川真那(まなさま)ですこんばんちハー及川真那ライトワーカ…ameblo.jp必読記事です👇🏻『偽装政策。』陽射しがあると暖かくて体調も日々改善してきているので静養しながらまた何でも食べられるようになれば遠出出来るからと右側扁桃腺に溜まってしまった膿もPyrogのお…ameblo.jpワシなぞ雪に弱くて積雪すると外出不可のヘタレなんですがタンチョウ達はお正月も毎日元気でございます今年もみんな釧路湿原で元気でしあわせに暮らしてね☝日本人がなっかなか覚醒しないのは悪の本丸が日本だからだなと感じトランプ大統領はホワイトハットはどのようなシナリオでデクラスするのか見当もつきません☝高市総理呼び出しだね来月から各自治体別で現金給付開始☝成田山新勝寺が圧倒的な美を放っております三が日のんべんだらり過ごしましたが明日からオンライン業務初めです☝チャッピー作成ちゃお初回鑑定からGoogle meetセッション賜っております。必ずGmail及びYahooメールのアカウントからお申し込みください。iCloudメールではGmailから返信が未達になります。お申し込みは下記ブログ記事からお願いいたします👇👇12月29日から1月3日まで年末年始休暇を頂戴します。ブログは更新する予定です。各種お問い合わせの返信は4日より順次対応させて頂きますのでよろしくお願いいたします。『自分と運気を活かして幸せになる♡【幸運体質メソッド】セッション』自分と運気を活かして幸せになる!【幸運体質メソッド】セッションのご案内「やりたいことがあるけど、挑戦すべきか迷っている」「今の自分や状況を変えたいけど、目指…ameblo.jp

    洗脳教育。
  2. 昨年は、拙いそしてたま〜にしか更新しない😅私のブログにご訪問いただきありがとうございました。不器用なやつなもんで、やっぱり今年もそんなペースになると思いますが、本年もよろしくお願い致します。さて、今更ですが年末のことも話させてくださいませ🙇‍♀️「レコード大賞最優秀歌唱賞」での「闇にご用心」の歌唱、最高でした‼️‼️‼️一昨年の「紅の蝶」でも感じましたが、今回も美術もカメラワークも照明もTBSならではの技術力👍歌を彩ってくださったAya Satoさん率いるダンサーズの皆様のダンスパフォーマンスもクールで妖しくキレも良く完璧💯そして一番感動したのが、MVのアレンジも演奏も、惠介バンドの演奏も大好きなのですが、バンドさんが超一流の実力者揃いだからできる妖艶で超難解なアレンジに演奏💓もう最高でした✨✨✨惠ちゃん、気持ちよかっただろうなってほんと思います👍おっと、それもこれも山内惠介の歌唱力あってこそ‼️画面を見ながら聴くよりも双子のCちゃんがアップしてくれてるラジオの歌声を聴くと、ほんとに惠ちゃんて追随を許さないくらい上手いってのが、なおさらわかる👍まさしく妖艶で魅惑的な世界観を見事に体現していたと思う⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️もうほんとに、よくぞここまで歌い切った👍歌唱力はもちのろんお墨付きですが色気、艶のある声がぐわ〜んと押し寄せてきて鳥肌立ちました💓💓💓まだお聞きになってない方、ぜひ聴いてみてくださいませ👍2025年12月30日(火)20:00~22:00 | 第67回 輝く!日本レコード大賞 (2) | TBSラジオ | radiko年末恒例『第67回 輝く!日本レコード大賞』を、今年も18時から、4時間の生放送でお送りします。「日本レコード大賞」候補となる「優秀作品賞」「最優秀新人賞」など、各賞受賞曲を臨場感たっぷりにお届けするradiko.jp演歌歌手山内惠介が✨たしかに✨山内惠介というジャンルを確立した瞬間に立ち会えたかのような感動的なレコード大賞でした⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️だから、「闇にご用心」はまだまだいきまっせ〜‼️‼️‼️2016.1.2現在 2,594,791回再生翌日は「第58回 年忘れにっぽんの歌」ここでも惠ちゃん大活躍👍ほんの一瞬出たのも含めて、計5回それも完璧に◯◯◯を意識しての起用テレ東さんの期待に、歌はもちろんのことMCまで見事にやってのけましたね👏👏👏「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんまで出ちゃって、テレ東さんの今回の演出、生放送を含めて、大成功だったと思います。私は生まれて初めて、◯◯◯さんを一切見ませんでしたが、テレ東さんのおかげで、今年も大晦日に生惠ちゃんを見れたし、「年忘れにっぼんの歌」すごくおもしろかった🥰ただ一つ残念なのは、井の頭五郎さん惠ちゃんのことあんまり知らない?次は井の頭五郎さんをも魅了させるよう大ヒット飛ばそうね、惠ちゃん👍そして元日🎍コロナにより、探偵さん関係の夫婦同伴の新年のご挨拶&新年会が5年間中止になってたのが、今年から再開されまして、神楽坂に行ってきました。14時から新年会だったので、朝墓地にお参りした後、神楽坂にある赤城神社で初詣実は5年も経つと、世代交代もあって若い知らない人もいたり、 結婚して子供まで生まれた人もいて、古参組の私はもう出る幕ないか😅と思って参加したのですが、私が惠ちゃんファンだとわかると、奥方連中一斉に、「なんで山内惠介さん、紅白に出れなかったんですか?」の質問責め(笑)5年前は惠ちゃんのこと知らない人もいたのにね〜時代は、惠ちゃんに向いてきてる‼️その言葉で勢い付いた私は、広報活動頑張っちゃいましたよ〜👍多分、この中の誰かは今年惠ちゃんコンサートデビューすることでしょう(笑)男性陣とは別部屋で、大いに盛り上がり、飲み、食べました。(ちなみに仮装してたわけじゃなく、エフェクトでお顔隠しただけですから(笑))小さくて見えないと思いますが、ケータリングの握り寿司あり、東京会館のおせちあり、シャンパンに和久傳の日本酒ありと超豪華😳😳😳大変美味しゅうございました🥰我が家のオイシックスのおせちとは大違い(笑)てな訳で、支離滅裂になっちゃいましたが新しい年が皆様にとってそして惠ちゃんにとって昨年以上の良い年になりますように大ヒット祈願致しまして(笑)新年初のご挨拶とさせていただきます🎍

    たくさん共感されています

    新年あけましておめでとうございます
  3. 伊勢音頭さわぎ
  4. 新年明けましておめでとうございます!2回生漕手の杉森拓夢です。部員は今日がラストのお正月オフでしたね。僕はこのオフ期間、中学、高校、大学の友達といっぱい遊びました。部活で普段忙しく、会えてないからこそ久しぶりに会うのは新鮮でとても楽しかったです!今週のテーマは「漕手とスタッフの関係性から考える、チームの在り方」です。結構難しいテーマで堅い文章になってしまったと思います。すみません4点あります。まず、1つ目は漕手としてスタッフに対してリスペクトしている点です。やはり1番は美味しいご飯を作ってくれる点でしょう。たくさんの部員がいる中で、たくさんのご飯を栄養価やメニューを考えてつくることは非常に大変だと思います。そこは漕手として体重を増やし、身体づくりをしっかりして恩返しをしたいです。また、どんなスポーツでもスポーツをすること自体お金がかかるのに、ローイングは艇やオールなど他のスポーツに比べて道具がとても高く、艇は数百万円もするためお金持ちのスポーツと言われています。だからスタッフが後援会費を集めてくれたり、部のお金の管理をしてくれたりするおかげでこのスポーツは続けることが出来ます。この場を借りて、改めてスタッフの方々ありがとうございます🙇‍♀️次に2つ目は、漕手として誇りに思っている自分の役割です。それは、自分のためにもサポートしてくれている方々の期待に応えるためにも、全力でローイングに向き合い、勝利を掴み取るという役割です。阪名戦や京都レガッタでは優勝出来ましたが、インカレや加古川レガッタでは自分たちもみんなにも悔しい思いをさせてしまいました。だからもうこんな思いをさせないように自分がもっと強くなって、みんなで表彰台に上がれるようにしたいです!3つ目は、漕手としてスタッフにリスペクトしてもらいたいことです。それは、沢山のモーション数をこなしながら勉強も頑張っていることですね。皆さんもご存知の通り阪大は単位が大阪湾に埋まっていると言われるほど単位を取るのが難しい…自分は今勉強の方がヤバいので、学業の自分の好きなことをできるように妥協せず頑張りたいです。最後に4つ目は、どのようなチームにしていきたいかということです。僕は全員が常に前進し、ステップアップしていけるチームであってほしいと思っています。チームの対校として直接戦える人は限られていますが、その人たちだけが人一倍頑張ればいいのではありません。対校だけが戦っているのではなく、同じ環境で戦っている他の漕手やスタッフの仲間の存在があり、本気で頑張っている姿を見てその頑張りが連鎖していき、より強く速いチームに変えていくと思います。漕手全員が本気で対校に乗ろうと思い努力し、漕手全員が他のチームに本気で勝とうと思い努力し、それをスタッフの方々が本気で支えてくれることでチームは完成します。漕手、スタッフ、チームに関わる人全員が一丸となって勝利を渇望し、この究極のチームスポーツであるローイングにおいて日本一チーム力のある部でありたいと思っています。1つ目のP.S.久しぶりに石山寺で食べた揚げみたらしがめっちゃ美味しかったので朝日レガッタとかで石山に寄ることがあれば是非食べてみてください!2つ目のP.S.タイトルの写真は中学のときの戦友と住吉大社に行った写真です

    住吉大社行ってきた
  5. 倉山満に対する主な批判・反論・抗議・事実誤認指摘の網羅的リスト(2026年1月時点まで)公開情報に基づき、時系列やテーマ別に整理。個別の主張の真偽判断は避け、指摘された内容を中立的に記述。重複を排除し、関連・周辺事項も含む。倉山満本人はブログ・著書・動画などで継続的に反論・説明を行っている。1. 書籍・歴史解釈に関する事実誤認・誤り指摘(主に2010年代)『嘘だらけの日中近現代史』(2013-2014年頃)中国史関連の記述に高校世界史レベルでの誤りが複数指摘(Togetterまとめ、ブログなど)。 中国王朝の文字・言葉の扱い(王朝ごとに言葉が変わったとする誤り)。 北方民族が文字を持たないとする誤り。 ペキンの呼称起源の誤り(明時代由来とするが、清朝由来)。 三国志演義依存の「中国歴代王朝滅亡の法則」が現実歴史から乖離。全体として史料に基づかない主観的解釈が多く、学術的根拠不足と評価。ベストセラーながら調べ不足・主観過多と繰り返し批判。その他の歴史解釈保守主義関連ブログで、倉山の憲法観(現行憲法三大原則否定、帝国憲法回帰志向)が中川八洋に近いが、裁判実務理解不足・調べ不足と指摘。2. 公明党・創価学会関連の発言と抗議・訴訟(2017-2023年頃)『週刊SPA!』連載(2017年頃)公明党候補当選のため創価学会が組織的に住民票移動させ「3カ月ルール」を活用しているとする記述。創価学会・公明党から事実無根の名誉毀損として厳重抗議。扶桑社・倉山に対し損害賠償・謝罪広告を求める民事訴訟提起(2023年)。過去の類似デマ(1964年国会、1993年新聞報道など)と同種で悪質な繰り返しと批判。3. 参政党関連の決別と批判(2020-2025年)元協力者として内部経験から決別。 党首主導の独裁体質、異論排除。 陰謀論・スピリチュアル依存、排外主義ナショナリズム。 「保守の皮をかぶった国家社会主義」と断定、全体主義傾向・民主主義脅威と警鐘。 ネットワークビジネス許容姿勢を批判、資金投下推奨せず。2022年参院選後、「振り切ったトンデモ」と批評。党の陰謀論・スピリチュアル・ネットワークビジネス傾斜を指摘。2025年書籍『参政党のヒミツ――カルトか?救世主か?』で内部実態を暴露・批判(メディア・学術・内部からも裏付けられ重く受け止められる評価)。4. 保守・ネトウヨ関連の自己・他者批判(2020年頃)自著『保守とネトウヨの近現代史』(2020年)で: 安倍政権を「長いだけで何もできなかった無能」と断罪。 ぶら下がり保守・ネトウヨを歴史から忘却されると予測。 自民党を「保守ではない」、保守論壇の無力、ネトウヨの陰謀論化(『ムー』化)を批判。一部で「偽保守」「ビジネス保守」と自称・他称。内部暴露が自己批判的に受け止められる。5. 皇室・皇位継承関連(2010-2025年)旧宮家男系男子復帰案推進に対し: 皇族反論不可をサンドバッグ扱いする卑劣さと保守側から批判。 女系容認反対がカルト的・UFO信者並みと揶揄。 立皇嗣の礼を天皇大御心と解釈する点を批判。ゴー宣道場などで粘着的に批判(「不明瞭」「幼稚」「陰湿」と個人攻撃)。譲位反対派の「保守」を非礼・無知と反論(皇室絆守るのが真保守と主張)。2025年書籍『皇室の掟』で男系継承擁護も、関連議論で批判継続。6. 政治・経済発言関連(2010-2020年代)消費税増税反対で財務省官僚攻撃(木下次官コラージュ扇動)が過激と批判。 安倍政権増税実行を「約束台無し」と厳評、御用保守の偽りを指摘。 コロナ対策で「花粉症より弱い」と主張し、感染症損失無視の無責任と反論。7. その他周辺・関連事項(全体を通じて)是々非々の姿勢が保守内部からも「弓引く」と批判。一方、事実ベースの是々非々を評価する声も。 低評価レビュー・ブログまとめで調べ不足・主観過多・過激表現が繰り返し指摘。 2020-2025年、参政党批判が多方面(メディア・学術・内部)で裏付けられ、重く受け止める評価。 全体として「ビジネス保守」「偽保守」とのレッテル。一部個人攻撃(陰湿など)も。これらは公開された主な指摘事項の網羅。個別事件の判決・和解詳細は非公開部分あり。新規重大批判(2024-2026年)は確認されず、既存テーマの継続が主。

  6. 片山さつき大臣「私は何がなんでも日本を中国に侵攻されたくない。どんな手を使ってもそのために生きて
  7. 十一面観音さまと「修羅の心」昨日、年末護摩修行の二日目が無事に結願いたしました。本日は十一面観音さまの護摩供を修しました。昨日の千手観音さまの護摩供が、「苦しみに寄り添い、支える大悲の祈り」だとすれば、今日の十一面観音さまの護摩供は、自分の内側にある揺れ動く心と向き合う祈りであったように感じます。十一面観音さまは「修羅の心」を照らす仏さま仏教では、怒り、嫉妬、競争、対立に心を支配された状態を修羅界と呼びます。修羅とは、単なる乱暴さや悪ではありません。・認められたい・負けたくない・正しさを証明したい・傷ついた自尊心を守りたいそうした人としてとても自然な心が、争いへと転じた姿が修羅なのです。十一面観音さまは、まさにこの修羅の心を抱える人々を導くための観音修羅界担当の観音さまと伝えられてきました。◆十一の顔が示す「心の戦場」十一面観音さまのお姿には、穏やかな顔だけでなく、怒りや厳しさを帯びた表情も含まれています。これは、「怒ってはいけない」「迷ってはいけない」という教えではありません。むしろ、・怒りが生まれる理由・争いたくなる背景・心が戦ってしまう痛みそれらを見つめ、理解するための仏の姿なのです。修羅の心は、決して弱さではありません。本気で生きてきたからこそ、守りたいものがあったからこそ、生まれてしまった心でもあります。十一面観音さまは、そのことを否定せず、「よくここまで耐えてきましたね」と静かに見守ってくださる仏さまなのだと思います。なお行者たちの間では、十一面観音さまは修羅の心を見逃さず、言い訳や自己正当化を容赦なく照らし出す、非常に厳しい仏さまとして伝えられています。修行者に対しては、そのような厳しい面もありますが、その厳しさは、怒りを否定するためではなく、怒りに囚われ続けることを許さないためのものなので、他者に対して攻撃的になりやすく、慢心の凄い僧侶や修行者にとっては有難い仏様なのでございます。【注釈】修羅界と十一面観音の関係仏教の六道思想では、人は誰でも状況や心の在り方によって六道を行き来すると説かれます。修羅界とは、外に敵がいる世界ではなく、心の中に敵を作ってしまう世界。十一面観音さまは、修羅の怒りを鎮め、争いの根にある悲しみに気づかせて、闘争を「守りの力」へと転じるという、役割を担う観音として信仰されてきました。怒りを消すのではなく、怒りに呑まれない智慧へと変える。それが、十一面観音さまの慈悲だと伝えられています。護摩の火が教えてくれること十一面観音さまの護摩供の火は、感情を焼き尽くすための火ではありません。・抑え込んできた怒り・比べてしまう心・他者を見下す、どす黒い感情・言葉にできなかった悔しさそれらを「なかったこと」にするのではなく、気づきへと変えるための火なのです。修羅の心に気づけたとき、人は初めて、争わずに進む道を選べるようになるのかもしれません。◆年の終わりに、修羅の心に気付く一年を振り返ったとき、後悔や怒り、悔しさが浮かんでくる方もおられるでしょう。ですが、十一面観音さまの前では、その心を裁く必要はありません。修羅の心は、「生き抜こうとした証」でもあります。それに気づき、少し距離を取れるようになること。それこそが、年末の修行の大切な意味だと思います。明日の護摩へ明日は、年末護摩修行の締めくくりとして、五大明王さまの護摩供を修します。修羅の心を見つめ、その先で、断ち切るべきものを断ち、守るべきものを守る。三日間の祈りが、新しい年を迎えるための確かな力となりますように。合掌金剛山 一光寺弟子法妙のHPはこちらYouTubeはコチラ↓あの世の世直しこの世に現れる苦しみや不調、因縁や霊障。 それらの背景にある「あの世」に向き合い、 神仏の力を借りて、“世直し”していく記録です。 このチャンネルでは、祈祷師である住職・白真(はくしん)と、 霊的感受性を持つ弟子・法妙(ほうみょう)が、 実際の祈祷・修行・体験談をもとに 「霊障」「因果」「祈り」「神仏とのつながり」 について語り合い、救いのヒントをお届けしま…m.youtube.com

    年末護摩修行【2日目】
  8. ご無沙汰しとります久しぶりの記事になります😓今更ながら…第12回笹川杯近畿少年少女空手道選手権大会開催日 2025年11月24日於 兵庫県立武道館第5回全日本少年少女空手道選抜大会の出場権を懸けたこの大会。太西会からは形6名、組手2名が出場しました。この大会でベスト4、すなわち準決勝に残れば全国大会へのキップを手にしますもう一つの全国大会、夏の全少は今年から各都道府県から4名でしたが、選抜は地区から4名。より狭き門って事になりますよその道場さんの事はわからんけど、うちは沢山練習しました❗️いやもう、沢山!それはもう、ホントに沢山‼️さて、その結果はいかに❓形小学1年男子優勝 安田柊汰🥇小学4年男子準優勝 黄龍輝🥈小学6年男子準優勝 高田宗汰🥈小学6年女子優勝 黄碧純🥇小学6年女子第3位 梁心優🥉団体形準優勝 大阪 梁心優出場※少林館と合同チーム組手小学6年男子準優勝 落合皇羽🥈小学5年女子第3位 北野妃葵🥉団体組手準優勝 大阪 落合皇羽出場※大阪選抜チーム出場選手のほとんどが選抜出場を果たす事が出来ました良き結果に安堵😅↓ 保護者の皆さんから提供頂いた写真です。ありがとうございした!太西会形チームみんな頑張りましたー写真のメンバー全員が夏の全少に続き、出場権を獲得しました柊汰夏の全少では平安の戦いで撃沈して大号泣😭そこからめちゃくちゃ頑張りましたー宗汰6年生。小学生最終章への扉が開きました最後に目一杯暴れて欲しい❗️心優またもや個人、団体の両方で選抜出場権獲得❗️団体の練習と個人の練習。両立は大変だけど、頑張って戦い抜こう❗️団体形チーム少林館所属の小野明日選手、中山愛央衣選手と。チーム結成後、3回目の選抜です✌️さあ❗️頂点へ‼️妃葵準決勝戦、まさかの場外反則負け💦勝ちを自ら逃した悔しさはデカい❗️選抜でスッキリ晴そうTEAM太西会ちゃっかり優勝旗を借りてパチッ❗️みんなよく頑張りましたー因みに男子、女子、総合と大阪府が獲得✌️さて、この優勝旗がどの分かは不明…※1名が体調不良で早退…写真に映らずでした…さぁ、選抜に向けてまた戦いが始まります。頑張っていこう!

    お久しぶりは… 「近畿大会❗️」
  9. お久しぶりです。梅根です。ブログを書いていないうちに体重が4キロほど増えました。今年の目標は社会人生活をスリムボディで迎えることです。12/30の大回転の結果報告をさせていただきます。【正シード 】1位 梅田 陸(東京科学大学) 1:00.092位 梅根 航希(東京大学) 1:01.303位 鍋山 颯斗(東京科学大学) 1:01.8012位 坂本 大河 1:03.4614位 薮崎 雄士 1:03.9518位 鈴木 紳龍 1:05.3525位 蝉丸 凌太 1:06.1427位 佐藤 護 1:07.26【オープン】1位 杉下 旺賀(東京科学大学) 1:03.852位 猪川 椋人(東北大学) 1:04.143位 及川 佳希(京都大学) 1:05.495位 塩谷 雅之 1:08.027位 鬼澤 駿太朗 1:08.728位 浅見 亮太 1:09.1015位 大山 柊一朗 1:12.63以上のような結果となりました。個人的にはラストイヤーのGSで準優勝という結果を残すことができ、非常に嬉しく思います。一本目ラップの時は自分が一番信じられていませんでした。多分周りも「なんでお前なん」みたいな空気にはなっていました。緩斜面でデブが強いことが明らかなレースでしたがしっかりとここ数週間で増えた脂質を事後的に肯定してくれる環境ができて非常に助かっています。定期的にデブいじりをしてくる薮崎には体重計とタイム測定器をしっかり見直してもらいたいところです。一本目のタイムがありながら二本目で大きめなミスをして二本目は6位となってしまった点については反省しています。チーム全体としても、去年に比べると皆成長を見せており、今後に期待できる結果だったのではないかと思います。今年度の十大戦は上位のうち大半を4年が占めているため来年度の後輩の成長次第では東大がしっかりポイントを獲得できる環境ではないかと思うので期待したいところです。以上梅根でした。スラロームはまた誰かが書いてくれると思うのでお待ちください!

  10. 前文です。このブログは、政治を含め「人間のすべて」に関する内容となっています。このブログは、聖書の真理を多くの人に知って貰うことを目的としています。それゆえ、ものみの塔を含めキリスト教や他の宗教をなるべく客観的に批判をすることが含まれています。そして、人間のあらゆる事柄についても「気が付いた点」も多く述べています。このブログは、人々に対する「警告」でもあります。その根拠の多くは「聖書」です。ヨハネによる啓示11章14 第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る。15 また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう」。16 すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝して17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。19 また,天にある神の神殿[の聖なる所]が開かれ,[神]の契約の箱がその神殿[の聖なる所]の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた。-啓示11:14-19 (地を破滅させている者たちとは、地球温暖化や環境破壊など「自然破壊」をさせている人々の事 だけではありません。 人々の暮らしを破壊している政治、経済、金融、犯罪、人々の欲望や野心など人間活動における すべての「悪」も含まれていることは明らかです。)テモテ(二)3章しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。2 というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,3 自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,4 裏切る者,片意地な者,[誇りのために]思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,5 敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。6 こうした人々の中から,[あちこちの]家族の中にそれとなく入り込み,罪の荷を負った弱い女たちをとりこにして連れ去る者が出るのです。[その女たちは,]さまざまな欲望に引かれ,7 常に学びながら,決して真理の正確な知識に達することができないのです。-テモテ(二)3:1-7 ガラテア5章19さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。22 一方,霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,23 温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません。24 さらに,キリスト・イエスに属する者は,肉をその情欲や欲望と共に杭につけたのです。-ガラテア5:19-24エフェソス6章10終わりに,主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。11 悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい。12 わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。13 このゆえに,完全にそろった,神からの武具を取りなさい。あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように,また,すべての事を徹底的に行なった後,しっかりと立てるようにするためです。14 それゆえ,真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,15 平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。16 何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。17 また,救いのかぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。18 それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい。そのために,決してたゆむことなく,またすべての聖なる者たちのために祈願をささげつつ,終始目ざめていなさい。-エフェソス6:11-18 エフェソス5章それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい。3 聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません。4 また,恥ずべき行ない,愚かな話,卑わいな冗談など,ふさわしくない事柄があってもなりません。むしろ感謝をささげなさい。5 あなた方はこのことを知っており,自分でも認めているのです。すなわち,淫行の者,汚れた者,貪欲な者は―これらはつまり偶像礼拝者ですが―キリストの,そして神の王国に何の相続財産もありません。6 あなた方は,無意味な言葉で人に欺かれることがないようにしなさい。ここに述べたようなことのために,神の憤りは不従順の子らに臨もうとしているのです。7 それゆえ,彼らにあずかる者となってはなりません。    -エフェソス5:1-7   ガラテア6章7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。8 自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。9 それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです。 -ガラテア6:7-9今回は、命と生きることの違いについての話です。この話は非常に長いです。ですが、最後まで読んで頂ければ、命と生きることの違いをはっきりと知ることが出来ます。ただ、見えないタグのせいで6万文字を超えるので、赤字などの強調が出来ませんでしたので、ゆっくり時間をかけて、あるいは、分けて読んで頂ければ最後まで読んで頂けるかと思います。少し話があちこちの飛んで纏まりの悪い話になりましたが、興味深い話となっています。また、同じような内容が繰り返し出て来ますが、それは説明のためですのでご了承して下さい。おそらく、今まで考えたことがない「命と生きる」ということに関する話です。さあー、皆さんも「命と生きる」ということがどういうことか考えて見ましょう。今迄の概念が変わるかも知れません。普通、命を考える時には「生きる」ということを念頭において話しているものです。人にしろ動物にしろ植物にしろ昆虫にしろ細菌類にしろ、「命があるので生きている」ということを疑う人はいないと思います。そのため、すべての人は、「命は最も重要なものだ」とも考えている訳です。では先ず、命というものを考えて見ましょう。「命は活動の源」ではありますが、「命自体」に知能も意識も思考もないことは明らかです。人間の体は260種類、全部で60兆個の細胞からできており、個々の細胞によって寿命が異なると言われています。いったん細胞が死ぬと、それが刺激となって、死んだ細胞の数だけ再生する仕組みになっていて、具体的には1秒間に約50万個以上の細胞が、死と再生を繰り返していると言われています。体の中で最も寿命が短いのは小腸の表面を覆っている上皮細胞で、わずか24時間で寿命を終えます。それだけ新陳代謝が激しい細胞といえます。また、皮膚の細胞は約1ヶ月で入れ替わりますが、紫外線を浴びると短かくなります。また血液の寿命は、赤血球が120日、血小板が10日程度で、白血球のうちリンパ球はT細胞が4~6ヶ月、B細胞が2日~2ヶ月です。人体は、約60兆個の細胞からできており、毎日1-2%(約1兆個)の細胞が入れ替わっています。入れ替わりというのは一方で細胞が生まれ、他方で同数の細胞が死ぬことです。生まれる細胞の数と死ぬ細胞の数が驚くべき正確さで釣り合っているため、私たちの体は安定した姿を保つことが出来ている訳です。細胞が死ぬと書いたように、細胞に「命」があることも明らかです。その生きた[様々な細胞]が60兆個集まって人が形成され、そして、人も生きているということです。しかし、人間も他の生き物もそうした「細胞の生死、つまり、生まれ変わり」を全く意識していません。生きているという実感だけを感じているのです。命は活動のためのエネルギー源であり細胞の中の様々な物質に至るまで行き渡っているのです。その細胞に水や酸素や栄養素を運んでいるのが「血液」です。従って、命はこれらによって支えられているものでもあります。丁度、人間が呼吸と水と栄養素で生きているように、細胞もこれらによって生きているのです。しかし、その細胞には短い壽命があるのです。また、「命は細胞分裂によって継承されていくもの」でもあります。これがなければ命は存続しえません。それを決めているのが、いわゆるDNAであることも誰もが知っています。つまり、あらゆる生命体は細胞の新陳代謝によって常に生まれては死んで行っている「生き物」でもあるのです。この過程が人体の中のそれぞれの場所で正常に行われないと奇形となったり病気になったりします。一般的に、人間の細胞は7年ですべて入れ替わると言われています。ただし、脳神経や心臓の筋肉など特殊な細胞は別です。地球上のすべての生き物は常に生まれ変わりを通して「活動の源である命を継承」しているので、一つの個体として「活動=生きている」ということです。しかし、人間は誰一人これを「自覚」してはいないのです。つまり、考えなくても生きて行けるということです。従って、命と生きるということは別の次元の話になるということでもあります。命は現実のものでありますが、生きるというのは精神作用のことであり目には見えない存在だということです。神によって創造されたアダムとエバの精子と卵子が結合し、つまり、受精し「命」が継承され、ついには50億とも80億とも言われる人口に至ったことは事実です。(進化論は全くの嘘です)既に亡くなった人の数を入れると、とても数えきれるものではありません。一人も死なないで子供だけが増えたとしたら一体どのくらいの数になるかは、おそらく、天文学的な数になります。しかし、この数は人間を一人として数えた場合であって、細胞一つひとつの命を数えた訳ではありません。一人の人間ですら新陳代謝によって一生の間細胞分裂を繰り返し生まれては死んで行っていることを考えれば、60兆個の細胞が上に述べてような周期で命の継承がなされている訳です。つまり、一人の人間の中に存在する命の数は60兆個としても、それが、生まれては死んで行っているので、その生死を数えることは不可能です。次に生きるということを考えて見ましょう。人間を一人として見る時には、この60兆個の細胞をいわば体の部品のように考え、これらの集合体を一個体として見ている訳です。そして、人の形が形成されると、脳という部位では精神が生まれ(生じ)意識や思考や感情と行った目には見えない電磁波のような現象が生じるのです。人間の精神は[現象]なのです。地球であれば引力のようなものなのです。当然何らかの原因で人が死ぬと(厳密には脳が死ぬと)この現象は「消えてしまう」訳です。従って、人が死んでも霊魂が生きている、存在しているというのは「真っ赤な嘘」人間の妄想に過ぎません。あるいは、死んでもどこかで生きていて欲しいと言う願望でもあります。人間と他の動物との違いは、主に、脳の形成が異なるので人間だけが複雑な現象、精神作用が生じるのです。つまり、物理的な脳の構造がそれぞれの生き物によって異なることで生物の多様性が生じているのです。これを決めているのがDNAであることもすべての人は知っています。人として、つまり、体全体は脳に生じる現象である意識や思考や感情によって様々な活動をしていますが、体全体は60兆個の命の集合体なのです。そして、人は意識によって様々な活動を支配し物事を成し遂げているのです。この場合、人間は活動の源である命を意識する人は一人もいません。ただ、生きているという実感があるだけです。脳には様々な分野があります。大脳では「前頭葉」、「後頭葉」、「側頭葉」、「頭頂葉」に分かれ、運動、感覚、記憶、視覚を司っています。これらは意識に関する分野ですが、その他に無意識のうちに体を自動的(自律して)に調節する機能も含まれています。これは、人間の意識ではどうにもならない分野です。すべて反応によって自動的に作用する分野なのです。ですが、この反応は人間の様々な活動によって決定しているものでもあります。人がこの活動のための命を「60兆(最近では40兆)の個々の細胞の中」に持っているので、いろんなことが出来る訳です。命=人(または人格)ではないことも明らかです。例えば、臓器移植を考えますと、移植された臓器は元々は別の人間のものだったのです。移植された人はその臓器に関しては以前の場合のように、その細胞は水と酸素と栄養素を供給されることで命を維持し、細胞分裂を繰り返すことで生き続け、移植された人の体の機能の一部分を担うことで、一個の個体としての人を生かし続けることになるのです。当然、以前は他の人の臓器だったので拒否反応という副作用も生じそれを抑える薬を生涯服用することになります。このように、細胞を他の人に移植することは、いわば、命を移植していることです。もし、命に人格があれば移植以外の様々な問題が生じているはずですがそのようなことは全くありません。命は活動のための(生きるための)エネルギー源です。すべてのものはこのエネルギー源である命を失うと「死んでしまいます」そのため、このエネルギー源である「命」を守ろうとする訳です。当然の理屈です。しかし、この命は「空気」のような存在で、隅々にまであることは分っていてもその存在を見ることは出来ないものです。命全体の入れ物である「人=肉体」のどこかが壊れると、その壊れた部位の細胞は死に、場合によっては「体全体の生命維持」に支障をきたすことが生じる場合もあります。例えば、指の一部分を切ったり、あるいは、骨を骨折したとしても大抵は修復され元の状態に戻るように、体が自動的に反応します。しかし、ガンなどでは異なります。すい臓がんなどは致死率の高い病気です。もし、すい臓の細胞が破壊されれば人は栄養の吸収が出来なくなり体全体そのものが壊れてしまい、命を確保出来なくなるので死んでしまう訳です。細胞も水と酸素と栄養素を必要としているからであり、これらのどれか一つでも不足するとその細胞は死に、その細胞で形成している臓器もその機能を失い、ついには、体全体の機能も失い、人として死んでしまうことになります。最終的には、心臓の活動が停止するか、呼吸が停止するか、脳の活動が停止するかに至って初めて人は死んだと言えます。しかし、人は死んでも「肢体の中の命」はしばらくは生きています。そのため、その肢体(例えば、臓器)などは他の人に移植出来る訳です。人を含めたすべての生き物は、命の入れ物である細胞が無数に集まりそれぞれの肢体となりそれが一つの体を形成して一個の個体としての生命体が完成しています。そして、脳のような特別な部位では、コイルに電流を交番(電流を異なる二つの方向を行き来させること)させると電磁波が生じるように、精神的現象が生じ、意識、思考、感情などが生まれることになります。体が感じる感覚は文字通りセンサーそのものです。感情は精神的な感覚ですが、いわゆる五感と言われるものは体を安定した状態を維持するための「自動制御装置」なのです。人間や動物は電化製品に例えることが出来ます。例えば、人間に電気を加えると「体が硬直し動けなくなります」これは、神経はあたかも銅線のように微弱な電流を流して人間の活動をコントロールしているからです。また、他の生物で、電気ウナギなど強力な電気を発生することのできる生物がいます。魚の漁の時に電気で魚の気を失わせることもあります。あらゆる生物は、金属で出来ている訳ではないのですが「電気によって動いている[電化製品]なのです。しかも、生きている細胞(神経細胞)を伝わって流れているのです。中学生の時にカエルの解剖実験を行い電気を加えることで「縮んだ脚が真っ直ぐに伸びた」のを見た人は多いと思います。更には、こうもりは夜間飛びますが目で見ている訳ではなく音波を出しその反射音で何があるかを識別して飛んでいると言われています。夜動き回ることの出来る動物の目は明るいところと暗いところでは違った働きをし、夜間では動物の目は赤外センサーのような働きをしているので暗くても活動が出来るのです。これらを可能にしているのが命というエネルギーなのです。このように、命と生きるということは少し分けて考えた方が良いのです。分り易い例えは、電化製品で、その電化製品を動かすためには「電気」が必要です。この「電気」に相当するのが「命」であり、共に目には見えないものです。この電化製品のスイッチをオンにし通電するとその電化製品はその仕組みに従って活動することが出来るようになります。その活動が「生きる」「生きている」ということです。電化製品の内部には様々な部品が使われています。それはあたかも人間の臓器のようにある部分はユニットとなって一つの機能を果たす役目になっています。そのユニットが壊れると交換出来るように、人間の臓器も同じなのです。電化製品は「電気」という1種類の電気を供給されることで製品全体が動くことになります。電化製品の場合は、AC100Vを入力し、この電気を様々な部品の用途に応じたDCに変えることでエネルギーを製品の内部に供給することで各ユニットが正常に機能するように造られています。生き物の命に関しては電気のようなAC-DCインバーターのような変換は、おそらくしていないと思います。生き物の場合はすべて細胞という単位で命が保たれているのです。生きる、生きて活動するというのは「人の精神作用の結果」です。人としての価値もこの結果がもたらすもので評価されます。従って、命と生きるのどちらかが、人として重要かというと「生きる」方なのです。人はどのような生き方をするかで人は評価されるのであって、人としての命を持っているから評価されるわけではありません。人は生きるという活動を通して「人格」も示していることになります。この人格こそが人を人たらしめているということです。自殺する人は精神的に行き詰まってする場合が多いと思います。その時、思うことは「どうすれば命を絶つことが出来るか」というものです。様々な方法があります。そのどの手段を取るかはその人の考え(精神作用)が決めることです。しかし、そこまで至るまでには「精神の葛藤」があったはずです。従って、人は命をどうするかを決めているのではなく、生きるかどうかを決めているということなのです。こうしたことは分かっていると思うでしょう。しかし、現実には命と生きるを混同して用いているのです。命と生きるということは異なるのです。命と生きることは互いに支え合っている関係ではありますが、命に命を決定する意思も力ないのです。命をどうするかを決定するのは、命によって支えられている肉体(脳による現象)が決めることです。脳には命を決定する意思も力もあるのです。別の観点から考えて見たいと思います。一般的に、命と生きることを一体化して考えているものです。確かにそのようにも言えますが、細かく考えると違いが分かるようになります。実際、人の命も動物の命も同じものですが、家畜や野生動物を殺しても殆ど罪悪感は感じませんが人を殺すと罪悪感を感じ、周囲の人もその殺人者を蔑んだり批判したり恨んだりするものです。同じ命なのになぜこのような思いの違いがあるのでしょうか。それは、命と人として生きるということと区別して考えているからです。以下にそれを示したいと思います。あなたはなぜ生きていますかという問いにどのように答えますか?また、人はどのように生きるべきだと思いますか。人はなぜ年を取り死んでいくのですか。人はなぜ悩むのですか。人は平和や楽しい生活を望んでいるのになぜ争いや犯罪が起こるのですか。こうした問いや答えは人間に記憶だけではなく考える能力があるからです。人間だけが持つ「理性」とは真偽、善悪を識別する能力と言われています。つまり、理性とは道徳における善悪を識別し「正しいことを行おうとする心の働き」なのです。例えば、理性を保ったとか、その逆に理性を失ったなどと言う時があります。それは、ある状況におけるその人の振る舞いの結果そのように言われることがあるのです。世の中の犯罪者などは「理性を捨てた人々」なのです。性暴力、姦淫や淫行、セクハラ、ストーカーなどをする人も「理性を捨てた人々」なのです。普通生まれて来て問題などが無ければ、人はなぜ生まれた来たのかとか、なぜ生きているのかなどとは考えないものです。しかし、人間は誰しも、思うようには生きられないものです。それだけではなく、自分だけではなく他人との関係でも多くの問題を抱えることが多いものです。すると、人は悩むことになります。そして、時には怒りの感情を露わにしたり暴力を振るったり誰かに憎しみを抱き殺したりすることさえあります。場合によっては、自分の悪事を隠すために人を殺すことさえあります。更には、意図しない事故やケガをすることがあり、それで障害者になってしまい人生が全く変わってしまう人さえいます。あるいは、宗教2世、3世のように「親に言われて入信」した場合、もの心がついてくると様々な疑問が生じ、自分の欲求との葛藤からその宗教から離れるということもあります。自らの意思で入信しても同様なことが起きる場合もあります。このように人間は生きているだけで「辛い思い」をすることがあるのです。それでも、時には楽しいこと嬉しいこともあり人生のいわば一時の癒しや安らぎの瞬間です。従って、こうした悩みを忘れるために人は大抵目標を持ちそれに思いを集中させることがあります。一時凌ぎではありますが、それをしている時には精神が落ち着くものです。また、人は生きているという意識を常に持っており、それは、自分の中に命が存在しているからだと考えます。人は命があるから生きていると言いいます。では、その命は体のどこに存在しているのでしょうか。大抵は細胞の中にあると正しく答えます。現実には、これを意識したり感覚を感じている人はいません。しかし、約60兆個もの細胞一つひとつは命を持ち生きてはいますが、いわゆる意識というものがありません。ですから、例えば臓器移植をしても「移植した臓器が何かを言う」ことはないのです。人間の一部でありながら意識も人格もないのです。この意識が存在するのは脳の中だけです。しかし、脳の中にその実体がある訳ではなく、雲のような、あるいは、目には見えない存在なのです。人が生きていると考えるのはこの意識なのです。生きている、生き続けるということは現実ですが、生きるというのは観念であり、その生きていることの土台である命は「目には見えませんが実在するもの」です。「命」そのものは何の意識も感情も思考もない「生き物を生かしているもの、活動させるエネルギー」です。すべての生き物は体を作っている様々な細胞の中に「命」が存在している訳です。病気などになると、細胞が「壊れる(死ぬ)」ので「命を支える」ことが出来なくなりその細胞は死ぬことになります。致命的な細胞が壊れるとその生き物は死んでしまうことになります。細胞が死ぬと共にその中の命は消滅することになります。この点人間も動物も植物も昆虫も細菌なども全く変わりはありません。人が死ぬというのは、体全体の細胞が「一斉に死ぬ」わけではなく、主に脳や心臓がその働きを停止することで死ぬと定義されています。しかし、体の他の大部分の細胞は血流が止まっても「しばらくの間」生きています。筋肉細胞はおよそ40分血流が滞るとその細胞は死ぬと言われています。人にしろあらゆる生物は食べなければ生きてはいけません。その食べ物は動物だけではなく植物も昆虫も細菌や菌類にも、ある意味「人と同じ命」が宿っていた生き物だったのです。つまり、人を含めてすべての動物は何らかの「命を食べている」ということです。死骸や朽ちた物を食べるのは昆虫や菌類です。彼らはそうして次の作物のための栄養に変えてくれています。地球の自然界には食物連鎖というものがあり、誰もが知っています。家畜や魚などは人や動物の食料として存在しているということです。この食物連鎖の土台となっているのが命なのです。もし食物連鎖が無ければ地球上のあらゆる生物は生き続けることは出来ません。神がそのように創られたのです。従って、動物保護という観点で考えた場合、その種を保存するという考えは良いとしても、家畜や魚や植物を「命」という観点で見るのは「間違っている」ということです。家畜や魚ら野菜を育てるのは命ですが、その成長の結果として、それらを「殺して」食べているのです。「殺した時点で一個体として死んでいますが、細胞の命は直ぐには消滅していない」のです。しかし、人間が食べる時にはその命は消滅しています。人は人も動物も植物も「命」がすべてのものを生かしていることを知っています。では、人や動物(獣)の命に違いがあるでしょうか。聖書には次のように記されています。伝道の書3:16-2016 そして,わたしはさらに日の下で,公正の場に邪悪があり,義の場に邪悪があるのを見た。17 わたしは心の中で自ら言った,「[まことの]神は義なる者をも邪悪な者をも共に裁かれる。そこにはすべての事に,またすべての業に関して時があるからである」と。18 わたしは,わたし自ら人間の子らに関して心の中で言った。[まことの]神は彼らを選び分けようとしておられる。それは,彼らが自分も獣であることを悟るためである,と。19 人間の子らに関しても終局があり,獣に関しても終局があり,これらは同じ終局を迎えるからである。一方が死ぬように,他方も死ぬ。皆ただ一つの霊を持っており,したがって人が獣に勝るところは何もない。すべてはむなしいからである。20 皆一つの場所へ行く。それはみな塵から出たものであって,みな塵に帰ってゆく。人も獣と違いはないと述べられています。短命で、道理をわきまえず、滅ぼされるために生まれて来た、人も獣も共に死ぬ、そして、一つの(同じ)霊を持っていると示されています。人はこのような獣(家畜)を殺して食べて生きているのです。そのように神が創られたからです。ですから、人は動物を殺しても「罪の意識」を感じないのです。獣が生きるために他の獣を殺して食べても何も感じないのです。もし、動物を殺して「罪の意識」を感じるとすれば、その人は「考え違いをしている」ということであり、生きることを悩むことになります。必要以上に動物や獣に同情、愛情を注ぐことは「間違い=神のご意思ではない」のです。最近熊が出没し人間に危害を加えていますが熊は本能に従って行動しているだけで、人間はその熊の活動を恐れているのです。熊を今のようにした責任は人間にあります。ですから、熊が本能によって行動しているだけなのに殺すのは人間の身勝手なのです。そして、殺したその熊を食べているのも人間です。人や動物や野菜や昆虫や細菌などを育てる命はすべて「生きている親」となる存在から受け継いだものです。例えば、精子も卵子も生きています、つまり、命を持っています。これらを凍結すると1000年でも、いわば、「休眠」出来ます。しかし、解凍してこれらが受精すると「受精した卵子は細胞分裂を繰り返し、そして、遺伝子に沿って体の各部分が時程表にしたがって作られ、やがて人間の姿になります。植物や菌類は「乾燥」させることで「休眠」と同じ作用が働きます。そして、水と酸素と光を与えることで「成長」のスイッチが入り人間と同じように遺伝子に沿って様々な形の植物になります。+++++++++++++++++++細胞の命と人間としての命の区別についてはどうでしょうか。精子や卵子は生きていて「命」の源ですが、これ自体には人格がありません。つまり、生きて「命」を持っていますが「人」ではないということです。そのため、これらを「廃棄」しても「何も感じません」しかし、一旦受精し胎児になると「人」として扱うようになります。植物で言えば、精子や卵子はおしべとめしべの花粉のような存在なのです。花粉自体も「命」を持っていますが「植物」ではないのです。人になるか植物になるかは、それらの源である精子や卵子や花粉に含まれる遺伝子で決定することになります。興味深いことに、受精、あるいは、受粉すると、その時点からの寿命が決まってしまうという点です。受精、受粉以前に冷凍保存するか、植物の種であれば乾燥状態で保存すれば、場合のよっては「永久」に保存が可能で条件さえ整えば「命の源に成り得る」ということです。つまり、解凍し受精させれば、100年後、1000年後でも人が誕生するということです。自然界の鉱物には「命」がないため「活動」しませんが、存在自体は永久に存在します。ただし、限界を超える熱と圧力が加わると分子が分化し別の物質に変化するということはあります。同じように、精子や卵子や花粉や種や菌なども、熱や圧力を加えると「死んでしまいます」「生命」は基本的に、酸素と光と熱が必要です。更に、これに「水を含めた栄養素」が加わり「正常な形が形成(成長)」されて行くことになります。最近気が付いたことがあります。それは、植物は寒いだけでは死なないということです。植物が死ぬのは熱を加えた時か水分が「不足しているか、ない時」です。これに、病気(細菌に感染)に掛かると生きた状態で葉が腐ったり黄色くなったりします。更には、虫などによる食害です。話しは変わりますが、野生動物でも柿や桃やリンゴなどそのままでも食べられるものは食べますが、サツマイモやジャガイモのように熱を加えないと食べられないものは食べません。食べるのは「虫」だけであり、時には「細菌」が蝕むこともあります、つまり、病気になることはあります。また、面白いことに、「カビ菌」も湿気のある甘くて美味しいもので増殖しやすいものです。カビ菌は冷凍庫では増えませんが冷蔵庫(5℃位)では増えます。菌は物質の性質を変える力があります。例えば、麹菌は糖分を作り、酵母菌はアルコールを作ります。人間はこうした菌の働きを活用し、チーズ、ヨーグルト、様々な漬物、お酒、味噌、醤油、納豆、みりんなどの発酵食品を作っています。発酵食品はすべてではありませんが健康に良いとされ多くの人が毎日食べています。更に、いわゆる薬味という苦味、辛みなどの強いものでも菌は繁殖しにくいものです。一般的に味を決める要素は、基本五味(甘味、塩味、酸味、苦味、旨味)と、香り、食感、温度、見た目などであり、さらには食べる人の生理的・心理的要因や環境的要因が複雑に絡み合って「おいしさ」が決定されますとAIは答えてくれました。完璧な答えのように思いますが、私の考えは少し違います。苦味、塩味、甘味、辛味、酸味、これらにうまみ成分である「旨味」が加わり様々なものに調理されて行くものと考えています。更に、焼く、煮る、蒸す、発酵させるなどに加えて、冷やす、温める、乾燥させる(干す)、水につける、凍らせる、煮詰めるなどが加わるものです。こうして考えて見ると、ラーメンや様々な鍋物は異質な食べ物のように思えます。味だでけではなく煮込まれることで油や食材が様々な味わいを醸し出すからです。話を戻しますと、「命」と「人あるいは成長した生き物」に境界があると考えることは自然なことのように思えます。それは、精子や卵子を廃棄しても「何も感じない」のに対して、受精卵が成長し胎児になると「人」と見なし、堕胎や誕生した子供や成長した人を殺すことを殺人として「罪」に問われるからです。これも最近分かったことですが、研究者の間では受精後14日ルールというのがあって、それまでは受精しても「人」とは見なさないという考えです。この14日目に受精卵に何が起こるかと言えば、一個になった細胞が分裂を繰り返していますが、この14日目に胎盤の元になる細胞と人体の元になる胚細胞が形成されるということです。これ以後、この細胞は「人」と見なすという考えです。一方で、同じ「命」でありながら殺しても「何も感じない」こともあります。それは、昆虫や植物などです。さすがに動物では「何も感じない」という人は殆どいません。人間の体を構成している「細胞」も命を持ち生きています。しかし、肢体の一部分を失っても人や動物は生き続けられます。つまり、人の場合、命という時には、生きること人間としての活動のことを言っているのであって、肢体のことを言っている訳でなないと言うことです。肢体そのものには何の意識も思考も感情もありません。人間は腕を失っても脚を失っても生きて行けます。この場合、人は死んだとは言いません。残りの部分で人間としての活動が出来ているからです。すると、命と「人としての活動」とは直結しているという考えに至ることになります。活動しない人間は死んだものだという考えです。人間は閉じ込められたり閉じこもったりすると「死んだも同然だ」という言い方をすることがあります。しかし、凍結した精子や卵子は死んでいる訳ではありません。条件さえ整えば人間と成り得る可能性も持ったものということです。それでも、精子や卵子を命とは考えますが人間とはみなしません。種は休眠状態、精子や卵子は「凍結させられている」つまり活動出来ない状態にさせられている、させているので活動していないという意味で人でも植物でもないということになります。しかし、死んでいる訳でもないということです。例えば、臓器移植を考えた場合、その臓器は死んではいないので移植が出来ます。人間の細胞の一つひとつも生きてはいますがそれ自体に人格がある訳ではありません。人格は集合体である人間だけが持っているものです。であれば、この人格という存在は一体どこから生まれて来たのでしょうか。少なくとも精子や卵子が受精したことによる「命」から生まれたものではないことは確かです。約60兆個の細胞(最近では40兆個に変わりましたが)の集合体が人間を形成し、その集合体にだけ「一つの人格」が存在するということです。一つひとつの細胞や臓器に存在している訳ではないということは明白です。様々なものに「命」は存在していることも明白です。しかし、そのすべてが「人格ある存在」という訳ではないことも明らかです。この「命」は活動しているかどうかで生死を判別することが出来ます。ただし、休眠や強制凍結などは「生きている状態」と見なせるということです。精子も卵子も種も何もしなければ、直ぐに死んで、いわば、土に還ります。これらの命も元になる存在から受け継いだものです。人間では脳が形成されると、いわゆる精神という「目には見えない存在」が、丁度コイルに電流を流すと磁界が生じるように「生じる」ようになります。この見えない存在を「霊」とも言います。ですから、人が死ねばこの「霊」は消えてしまうのです。丁度コイルに電流が流れなくなると磁界が消えてしまうように。すべての生き物は細胞分裂によって「新たな命が受け継がれる」ことになります。人間の場合、およそ60兆個の様々な細胞の中に命が存在していることになります。人間としては一人の命と考えがちですがそうではなく、多くの命の集合体であるということです。そしてそれぞれの細胞が互いを支え合って命を維持しているのです。しかも、細胞は新陳代謝によって常に新しい細胞を生み出し古い細胞は死んでいくという「命の継承」が行われています。人間はこの細胞レベルの命を殆ど意識しません。意識するのは精神(思考)と感情(感覚)です。これらは「磁気」のような存在ですが、磁気が大きな働きをするように精神と感情も肉体に影響を与えます。これは、「磁気」が他のコイルに「電流」を発生させる「電磁誘導」のようなものです。ただし、人間の場合は一人の体内でこうした現象が起きるのです。更には、言葉によって他の人にも作用させることが出来ます。実際、脳がコイルのようであることは「外部から電磁波を脳に照射」すると脳の働きに影響があることで分かっています。地球上のあらゆる生物の土台としてあるのは「命」です。様々な生き物はその「命」を土台として様々な形態に成長し、あるものは人や動物になり、あるものは家畜や魚や植物になり、あるものは細菌や菌類になるのです。そして、それらが成長することで、あるものは他者の食物となるような「仕組みを創られたのは創造者である神」なのです。ですから、人は家畜を食べても「おぞましいとか気後れする」ような感情を抱かず「美味しく食べる」ことが出来るのです。ところが、世界では「命」という点を余りにも重視し過ぎて「過度の動物保護や自然環境保護」を訴える人々がいるのです。そのような人たちも毎日「何らかの命」を食べて生きているのです。大いなる矛盾です。人の命と動物の命に違いはないのです。違いがあるとすれば、DNAによる体の形成であり、決定的なものは脳の違いです。上に述べたように、脳が形成され活動すると「精神」が生じ、これが獣との大きな違いを生み出しているのです。実際、人の命も「虫けら同然」なのです。ですから、人が死んでも牛や豚の死と何ら変わりはないのです。ハエや蚊を殺しても何とも思わないように、人が死ぬことも「当然」なことなのです。悲しむべき理由はないのですが、人には他の動物以上の精神、神に似た性質を持っていますから、人の死を悲しむのは「観念」によるものです。人間はこの観念を重要視し過ぎているのです。私は家族や親せきなどの肉親が亡くなっても涙は出ませんでした。まるで感情がフリーズしたようになっていました。しかし、人の真心など琴線に触れると涙が溢れ出ることがあります。自然に肉体が反応する感情を抑えられないのです。人の死に対しては涙も出ないのに、人の琴線に触れると感動するのは、人は動物としてではなく「神の像に似た」精神(観念の)を持つ特別な生き物だからなのです。26 次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。27 そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。28 さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。29 次いで神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。-創世記1:26-30ノアの大洪水後には肉を食べることも付け加えられました。創世記9章次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。2 そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。3 生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える4ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。(これは、魂つまり肉は食べて良いが、その生き物を生かしていた「血」を食べてはならないと言って いるのです。 後の個所で、血は命であると述べて、命は血によって支えられていることが示されています。  そして、その命は神が与えたものです。 つまり、命は神のものなのです。 それゆえ、命や血は神聖なものと言われています。 神聖なものとは、それは神のものであり汚しても犯してもならないものなのです)5 さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。6 だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。(人によって自分の血を流されるとは、殺されるということを意味しています。 つまり、神は復讐と して殺人者を殺しても良いと言っているのです)7 そしてあなた方は,子を生んで多くなり,地に群がってそこに多くなれ」。8 さらに神はノアおよび共にいるその息子たちにこう言われた。9 「そしてわたしはいま,あなた方およびあなた方の後の子孫に対してわたしの契約を立てる10 また,あなた方と共にいるすべての生きた魂に対しても。鳥,獣,あなた方と共にいる地のすべての生き物,箱船を出るすべてのものから地のあらゆる生き物にいたるまで。11 まことにわたしはあなた方に対して自分の契約を立てる。すなわち,もはやすべての肉なるものが大洪水の水によって断たれることはない。もはや大洪水が起きて地を滅ぼすことはない」。12 加えて神はこう言われた。「これは,わたしとあなた方およびあなた方と共にいるあらゆる生きた魂との間に,わたしが代々定めのない時に至るまで与える契約のしるしである。13わたしの虹を,わたしは雲の中に確かに与える。それはわたしと地との間の契約のしるしとなるのである。14 そして,わたしが地の上に雲を起こすと,そのとき虹が必ず雲の中に現われるようになるであろう。15 そしてわたしは必ず,わたしとあなた方およびすべての肉なるもののうちのあらゆる生きた魂との間の自分の契約を思い出す。もはや水が大洪水となってすべての肉なるものを滅ぼすことはない。16 それで,虹が雲の中に生じることになる。わたしは必ずそれを見て,神と地にいるすべての肉なるもののうちのあらゆる生きた魂との間の,定めのない時に至る契約を思い出すであろう」。17 そして神は繰り返してノアに言われた,「これは,わたしと地にいるすべての肉なるものとの間にわたしが確かに立てる契約のしるしである」。創世記9:1-17今社会で問題になっている事柄の多くは「神に似た精神(観念)」から生じています。様々なハラスメント、犯罪、事故、災害被害対する感情や思いなどなど。こうした事柄の逆、満足、平和、快楽、幸福感なども同じです。人間は神の像に似せて造られているので、神の考えや特質を学びそれを身に付けるようにすべきなのです。人間には二通りの生き方があるように思えます。一つは人生の意義を追求する生き方ともう一つは難しいことは考えずに思うがまま自然のあるが儘に楽しく自分のやりたいように生きる生き方です。前者は哲学的であり宗教的な追及になって行く人になり、後者は人間のあるが儘の欲望や快楽を追求し、なぜ生まれて来たのかなどと言うことは全く考えずに美味しいものは美味しいと思い楽しいことを楽しいと思い人生を表面的にしか見ないような人になるのです。勿論、これは極端な場合ですので、これらが混在した考えや思いを持つ人が殆どです。そうではあっても、人は苦しい時にはそこから抜け出すことを必死に考え、苦労が続くと自分はなぜ生まれて来たのかと疑問を抱くものです。実は苦労というものは「自分が作り出している」と言えるのです。つまり、自分の対応次第では物事は苦労せずに上手く行くことが多いからです。上手く行かないのは自分の思いや考えと周囲の環境や常識などと一致しないからなのです。自分が変われば周囲も変わり人生も変わるのです。なぜ人間はこうしたことを考えるようになったのかと言えば、文明も発達していなかった大昔の人々の生き方は極めて単純でした。それはとにかく食べ物を摂りに行くか作物を作ることが主要なことであり、娯楽や遊びなどはなかったのです。加えて、別の地域の人々との争いを避けるために周囲に柵を巡らせたり家族の家を作ったりやることが多かったのです。別の生き方をする選択肢はなかったのです。ところが、現代は文明が発達し人生も多様化したので、人生の選択肢が余りにも多すぎて人々は自分が何に向いているかなどが分からなくなってしまったのです。加えて、競争に勝つ必要があり、ある程度以上の収入がないと生活が出来ません。また、娯楽も趣味も沢山あり休日などに思いっきり遊びたいなどと思うものです。こうしたことをすべて真面目に考えると思考が混乱し自分が何を望んでいるかさえ分からなくなってしまうこともあります。初めから、つまり、幼い時から人生はこのように生きるべきだと教え続けられれば、考えるよりは教えられた通りに生きることを目標とするものです。問題や苦しみが無ければ、その生き方を何の疑問も抱かず続けることになります。善いか悪いかを別にして考えれば、いろいろ考え苦しむよりはこうした人生の方が幸せではないかと思います。こうした生き方はある意味、初めから生き方が決められている動物のような生き方です。野性の動物たちは食べることと子孫を残す以外のことは考えないものです。既に本能は与えられておりそれから外れた生き方は出来ません。だらかといって彼らが不幸だと思っているかと言えばそういうことすら考えないのです。生まれて来たからには死ぬまで本能的に生き続けるだけなのです。人間や他の動物に殺されても恨みに思うようなことはないのです。しかし、人間は殺されると誰かを恨むものです。命は体の中に存在しエネルギーのような働きをしていますが命自体には意識も人格もありません。脳の中の「雲のような存在である意識」が命を認識し、また、実感しているだけなのです。人が生きるとは、意識として考えて活動することを意味しています。それを支えているのが60兆個もの細胞内に存在している命ですが、その細胞が日々新陳代謝によって生死を繰り返し、また、命を継承していることを知っていますが殆どの人は余りこうしたことは考えないものです。取り留めのない話になってしまいましたが、命と生きるは別次元のものであることは明らかです。人間として重要なことは、人格の評価です。それはどのように生きるか、活動するかによります。命は人間の活動を支える存在、エネルギー源です。その細胞は、水と酸素と栄養によって支えられています。人間が命を考える時、実際には「生き方、生きる」を言っているのです。これらは一体のものであるため、分けて考えることは難しいかも知れませんが、人の価値という観点から見れば命そのものはそれ程重要なものであはありません。どのように生きるか、ある人は、これを、どのように命を用いるかという言い方とします。これらを決定しているのが脳による現象、目には見えない精神的な存在つまり霊なのです。そして、命そのものも目には見えない存在です。これらは存在自体はハッキリしており確認も出来ますが見ることは出来ないのです。同じように、神の存在も「人間は見ることは出来ません」がその存在自体はハッキリしているのです。天地人をつぶさに見れば明らかです。啓示21章それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない2 また,聖なる都市,新しいエルサレムが,天から,神のもとから下って来るのを,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た。3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。これは既に天においてその成就が起きたか、起きようとしています。啓示22章また彼は,水晶のように澄みきった命の水の川をわたしに見せてくれた。それは神と子羊とのみ座から出て,2 その大通りの中央を流れていた。そして,川のこちら側と向こう側には,月ごとに実を生じ,実を十二回生み出す,命の木が[あった]。そして,その木の葉は諸国民をいやすためのもの[であった]。この命の木とその木の葉は天では不要のものです。つまり、地上で生きている人が、生き続けるために必要なものなのです。これは、おそらくは、人間の老化や病気などを定期的に取り除く必要があることを示しています。丁度、人間の体の中で毎日新陳代謝が行われているように。つまり、この時点、天地からすべての悪が無くなった後になっても人間の肉体の状態はおそらく全く同じだと思われます。そうでなければ、命の木もその木の葉も必要ではないからです。ものみの塔は。いわゆる、病気も死も苦しみもない状態を完全な人間と見なして、それが人類の目標であるとも述べていますが、病気も死も無くなるのは、この命の木から実を食べ、その木の葉で体を癒すからなのです。もし、この木から実を食べなければ「死んでしまう」のです。あなたはこれを理解していましたか?+++++++++++++++++++現代人は自由に、自分のしたいように生きるという欲というか願望を抱いています。現実にはこうした生き方は簡単ではありません。なぜなら、生きるにはそれ相当の資力が必要であり、大抵はこの資力を得るために多くの時間を要するからです。敢えて言うなら、定年後年金だけで生活が出来るようになれば、自由に、自分のしたいように生きることが現実となります。それまでは、余程親が財産を持っていなければ難しいことです。しかし人はこうした生き方をする人だけではないことも明らかです。人はある使命を受けて生きる場合もあるということです。その使命を果たすためだけに命を費やすのです。その使命は誰か他の人、尊敬する誰かから言われて行うか、代々の親からの命令で行うかである場合が多いと思います。希に、自分でその使命に気付きそれを生涯の目標とする人もいます。例えば、日本被団協に属する多くの人々は原爆の廃絶、原爆の被害の実態を知らせることなどに人生の大半を費やしています。他にも日本の伝統芸能の継承者や、中には政治に命を捧げる人もいるかも知れません。使命ではありませんが、スポーツなどに一時的に熱中する人もいます。人は短期的には漫然と生きている人は多いものですが、長期的な目標や使命を抱いている人は少ないのです。+++++++++++++++++++どのように生きるかという点に関して、ものみの塔はいわばきれいごとだけを言って、その実、真の信仰とは掛け離れてことをしています。実際、会衆内で行われていることは「私には信仰の集会ではなく、単なる見せかけの集まり」であると。パウロが宣教した時代ですらそのような者たちが多かったのです。であれば、現代では猶(なお)の事です。信仰に生きるとはものみの塔の信者のような生き方ではありません。彼らの生き方は「見せかけ」に過ぎません。真に信仰に生きるとは生死を超越したところにあるものなのです。これを理解せず、ただいたずらに、あれはダメこうしなければならないと言っているだけでは信仰の指導者としてのものみの塔は「失格」です。また、ものみの塔の教えに従っている信者も信仰に生きて真の信仰を実践していないことは明らかです。イエスは書士やパリサイ人の言うことは何でも行いなさいと言い、しかし、その行いに倣ってはならないと言われました。ものみの塔の信者はイエスのこの言葉をどのように捉えているのでしょうか。ものみの塔の信者はものみの塔に倣っていることも明らかです。彼らの精神は口で言わなくても伝わるものです。つまり、ものみの塔とものみの塔の信者は、イエスに退けられた書士やパリサイ人と同じことをしているのです。これを理解しない信者は「愚かな者」と言われ、裁きを身に受けることになるのです。あなたはこれを理解し真の信仰を実践していますか?もしかすると、「信仰のない者よりも悪いこと」をしているのではありませんか。つまり、悪いと知っていて悪を行っているのではありませんか。神とキリストはこのような者には厳しいのです。それを知っていて悪を行っているのです。厳しい裁きが待っていることは確実です。今からでも遅くはありません、ものみの塔の信者は「悔い改める」べきです。そうしなければ「裁かれる」のです。私は現代の「バプテストのヨハネ」ではありませんが、そのような人になりたいと思っています。

  11. 56歳でこの世を去った英国の俳優。自分の命と引き換えに真実を伝えてくれていた! これ2013年なのですね もう この頃から このように映像で警鐘を鳴らしていた人物が居たのに……。 人間とは如何に愚かかという証左でしょう まぁ私もその愚かな人間の一人なのですが先日暗殺された チャーリーカーク氏も同様 真実から目を逸らす為の工作が 今も行われているでもカーク氏は言った"日本はまだ間に合う"と 日本を護れるのは 日本人だけです日本の風土文化歴史 そして命懸けでも 日本人を護りましょう。 これ2013年なのですね もう この頃から このように映像で警鐘を 鳴らしていた人物が居たのに……。 人間とは如何に愚かかという 証左でしょう まぁ私もその愚かな人間の一人なのですが 先日暗殺された チャーリーカーク氏も同様 真実から目を逸らす為の工作が 今も行われている…— マルチェリ-ノ日本人(愛国者) (@Marcellino1003) December 30, 2025 2013年なんだ?まさかと思っていた自分が コロナワクチンで、よくわかった。こんな事で死にたくない😭しかし沢山亡くなってる。 伝えたいけど、自分の身に起こらないとわからない。身体がつらい事も誰もわかってくれない。— happiness (@happine25023121) December 30, 2025111円の生物兵器を暴利で売り付けて、その上、日本人の健康と命を奪って許されるの?— 橋広バロン幸之助🇯🇵MJGA💫 (@hasibiro_maga) December 30, 2025

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  12. 埼玉・大野知事、トルコ人のビザ免除一時停止を再要請へ 「県民に負担と不安感」
  13. 明けましておめでとうございます
  14. 2026年1月3日(土)日本時間PM0:35 北海道紋別市HImaP&Σ わたなべまなぶあのさ、悪いことは悪即斬ではないよ。というのは、自分を助けてくれるものがあるから混沌してるのな。出逢い系メールさくらやってたのさ。その当時のわたなべまなぶは、当時ってか、今も社会的不適合者で無能でさ。なんも出来ない、世間をわかってない人間だけど。当時は、普通の人が騙されて金を払ってるのに、男が女性のふりしてメールしてるのを何も悪いとも感じてなくて、むしろ遊び半分でやってて、生活費も稼げてたから助けられてた。その時のからのとアパレルからその前の学生時代も本当に仲間に恵まれた。人が宝だと本当に思うよ。これはだめなことはだめなんだけどね。悪事は悪事なんだけど。何もわからずそれをやってた頃のわたなべまなぶはそれに助けられてた事実。犠牲者達には悪いけど、幸せに生きてた。だから、何が悪い難しいよね。でも未知の領域を知ってしまい、許せるもしくは情状酌量の余地ある悪事で助かってる人達もいることと。本当にそこまでいくと本当に悪事過ぎる冷酷で残忍だというもの。人類に害にしかならない心理思考や行為や性癖などは確実に境界線はある。何が善で悪かわからないとは言わない。悪寄りの善とか、悪寄りの悪だけどギリギリセーフとか、悪寄りで悪過ぎてアウトとか。善を知るよりもそういう悪のそこまで行ったら完全アウトだってわかっていくのがいいのかもね。若気の至りもある。わたなべまなぶも被害に遭えば被害者側の意見がある。だが、わたなべまなぶも逆に悪事した側も知ってるし、その心理も様々で内容も心理も状況も多種多様でさ。成長して悪かったな。もうしないようにしよう。ってわかった人生を歩めたらいいんじゃないかって。でも正義を貫けば正義ってわけでもなくてさ。それは自分の正義であって、相手を潰し痛め付けるほどでもない内容で実は正義と肯定感を持って人を潰してしまう結果的悪もある。それも悪意もなくの攻撃だから。戦争や争いがある。わたなべまなぶは口喧嘩も暴力沙汰も経験して、後悔して懺悔してさ。色んなことを経験して、行き着くところは結果的にみんな平和で仲良く共存していくことの心地よさ。争いを減らし、理解を増やしていく性格と心を作ること。いやそういう心を持てるというか、与えられることの幸せかな?わたなべまなぶも散々知ったよね。理解してわかっても、性格や人格の憑依遺伝などで悪い人格や性格が入ったら、多分自我で抑えが効かず、理解してたはずなのに、どうしてか意図しない結果を作ってしまう恐ろしい影響の人格や性格など知ってしまう。未知の領域の権力的支配の心理感情誘導される不思議な因果がさ。わかっても防げない自分自身。今のわたなべまなぶがもう絶対に悪いことはしないと誓ってもなお、人格や性格の憑依の影響で悪い人に感化され影響が色濃く混ざると、防げないほどに悪く運命がなって引き返せなくなるほど、イメージも周りの心理も変えてしまう事態に成りうる。バカでも理解したよ。やっとね。やっとだよ。想い人達には長く待たせたね。まだまだ未知の領域に関しては未熟であり最上レベルには至れないけど。普通より下ぐらいの能力はついた。時々、自分の影響を受けた人達に感謝したり、恨んだりしたくなる人達もいる。嫌がらせも未知の領域では多数経験した。だが、やっぱり味方に救われたよ。本当に幸せだ。感謝してます。感謝してるっていってるわりに何もしてあげれないな。未知の領域での能力が不完全でも俺には味方がいる。味方が負けたらそれでいい。負けたならわたなべまなぶを裏切り自分を守るでいい。だが、しかしながら勝ってる。俺が幸せなわけは味方の強さ。感謝と恩恵を理解したらこれを幸せでないと言うのはあまりに失礼過ぎる。あとはさ。この幸せのまま、この健康なまま、苦しまず、痛みとかも感じて苦しまず、寝てる内にコロッと死ねたら最高な死に方なんだよ。家族や周りにみんなに言ってる。透析で一緒になる爺さんや婆さんも我が家の家族も【それはみんな最後はそれを望むことだ】って言われた(笑)俺の人生の夢がたくさんある。そのひとつに、死の期限が決まったら恐れる気持ちもなく、安らかに安全な死に方を人々に統一したい。わたなべまなぶが見てきた父や叔母の死に方が、最後まで苦しみ、痛みにもがき、最後の最後まで苦しみに耐えた挙げ句にモルヒネってやっと安らかに眠り死ぬ。その経過が可哀想でね。生きてる人達にも記憶に悲しく残る。そういう死に方だけはなくしたいけど。代償は医者や病院、それを操る未知の領域の人達の体制やルールが全て変わることだ。罪や罰があるとしても、わざわざ痛め付けて最後に殺すような仕打ちは必要ない。悪因を瞬殺すればいい。それだけでいいんだ。もう苦しむ人達を増やす必要はないよ。変換物や変換される資源は無くなるものあるけど、改革できるはずなんだ。できる限りの犠牲を払うことを失くす世界。金だの性欲だの悪事して争いをするのを改善できる技術を増やしていく未来を作る。それには平和を作るための考え方や性格を作るって土台が人間に必要なんだ。そういう夢が実現できるはずなんだ。夢を見ようじゃないか。いつか叶う。HImaP&Σ 創始者 わたなべまなぶ

  15. 片山さつき大臣が緊急声明を発表!中国資本が関与する220のプロジェクトが即時停止!華人所有の4,200件の土地を強制収用! lili Crochê 2026/01/02 #片山さつき #笠島 #土地買収 💥 山口県笠島で衝撃の発覚!上海在住の中国人が防衛拠点近くの土地3700㎡を極秘購入! ⚡ 片山さつき財務大臣が即日非常命令!全国で1万2500件の土地取引を緊急調査開始! 🔥 財務省が4680件の不正登記を特定、総額790億円相当の中国資本を凍結! 💣 上海・香港を結ぶ18本の資金ルートを遮断、背後に国家レベルの不動産ネットワーク! 🚨 習近平が激怒!「日本は中国人を差別している」と抗議も、国際社会は完全に無視! 🏯 岩国・呉周辺820ヘクタールが安全保障上の危険区域に指定、軍事スパイ疑惑が浮上! 📉 中国の不動産市場が連鎖崩壊、4兆8000億円の損失で地方財政が麻痺! 🇯🇵 「土地は投資ではない、主権だ」片山さつきの一言がアジアを揺るがす! 🌏 OECDとG7が東京モデルを正式支持、“透明性こそ防衛”が新しい国際基準に! 🕊️ 日本が示した“静かな革命”、秩序と信頼がアジアを再構築する時代へ! #片山さつき #笠島 #土地買収 #中国資本 #国家安全保障 #中国崩壊 #G7 #透明性 #日本主権 #新しい時代

    片山さつき大臣が緊急声明を発表!中国資本が関与する220のプロジェクトが即時停止!土地を強制収用
  16. 皆さんこんにちは11期練習長のたかゆきです。メリークリスマスですね。いかがお過ごしですか。一人で過ごしている方も、大切な人と過ごしている方も、もしくはトランポリンにいる人も、引退ブログのお時間になりました。これを書いている今日は12月14日ですが、39度の高熱で療養していました!本番2週間前に、しかも1日練も休むという練習長です。まあどんまいといったところでしょうか。嘘ですまじですみません。まあそんなことは置いておいて、本題に入ろうと思います。引退ブログですよ。なに書けばいいのかな一って考えたんですけど、結局皆さんが期待してるのは個人へのメッセージですよね。僕も先輩のブログを読んでいるときはそうでした。何なら同期のブログを読んでいる今でもそうです。先に言っておきます。僕は書きません。残念がらないでね。それでも後輩に向けて、少しでもためになるような引退ブログを書こうと意気込んでいるので是非読んでみてね。まずは安定に、僕のチア人生をざっと振り返ってみようと思います。チアリーダー鈴木の誕生僕のチアリーダー人生の始まりは、新歓で9期代MAXONS の新歓演技を見たことから始まりました。でも実は、初めて見た時にビビっと来たわけではないんですよね。初めて見た時は、なんかチャラそうだけど、すげーことやってんなあぐらいに思っただけで、この団体に僕が所属するなんて全然思っていませんでした。それからある日のこと、僕の大好き電情の仲間たちが、「昨日なんかギャル達に連れられてMAXONS行ったんだ」と言ってきました。その時は「女の子に惹かれてるだけやん」と思っていましたが、その放課後、しっかり僕も連れていかれました。なんなんでしょうかあのトーク術。そしてあの大人の雰囲気。連れていかれたのか、ついていったのかは覚えていません。きっかけはそんなんでしたけど、体育館ついてからはただただ楽しかったですね。何やっても褒めてくれる。何やっても面白い。ちゃんと部活に入りたいなと思っていた自分にピッタリ過ぎました。ちゃんとラーメンまで食べに行きました。今は無き、たまぞうです。他の色々な新歓にも行ったんですが、結局MAXONS に戻ってきてしまい、入部しましたね。かずとが一緒に入ってくれたのも大きかったですね。入部してからは、初めてやることの連発でした。新鮮すぎてとても楽しかったです。いっぱい練習していたと思います。そして迎えた初めてのマクフェス、11期構成とても楽しかったです。やるって言ってくれた9期の皆さん、本当にありがとうございました。この文化後輩たちにも受け継いでいってもらいたいですね。マクフェスが終わり、夏の風物詩ともいえるサマランの演技も終わり初めての夏の off が始まりました。空白の8か月忘れもしない2025年8月25日のoff初日。顎が折れました。え?って思いますよね。本当に、顎が折れました。チアの練習とかでは無く、チャリでずっこけて前に飛んで顎から着地したらしいです。あほですねーほんとに。顎と頬の骨2箇所おる怪我でした!やった時は本当に何が起きたか分かりませんでしたね。まあこんな痛々しい話はこの辺にしますが、ここからの生活は文字通り地獄でした。チアができる、できないとかの次元じゃないです。人間らしい生活が全然できませんでした。怪我してから1ヶ月たっても口は思い通りに動かず固形物なんて食えませんでした。せっかくの夏がただ実家でぼーー一っとして終わりました。11期旅行にも行けず合宿にも行けず、なんにも無い夏でした。怪我から1ヶ月とちょっと経ったくらい、授業が再開して、ある程度生活できるようにはなったので1ヶ月ぶりに部活に行きました。「こんなアホをみんなどうやって受け入れてくれるのかな」と、ちょっと心配で行きたくないなという気持ちもありました。しかしそんな心配全くいりませんでした。元気だったかたかゆき!生きてたか !? 整形した !? 色んな暖かい声をかけてもらいました。本当に暖かかったです。この時に僕は、このままずっとマクソンズで頑張りたいなと思いました。それ以来1度もやめたいなんて思わなかったし、2年経った今でもあの時のことは覚えています。さて、ここから8ヶ月もの間、僕の見学と前手とタンブのチア人生が始まりました。8ヶ月も見学って暇そうやなって思ってるでしょう皆さん。違うんですね。結論から言うと、この8ヶ月間が今の僕の実力を作り上げたと言っても過言では無いです。チアリーディングっていうスポーツは見てるだけで上達するんですよね。あの9期のてるさんも何度も言ってましたね、座学も必要だと。見学は暇じゃないです。よーく練習を見て、上手い人と下手な人を比べてました。何が上手なのか、何が下手なのか。見ながらひたすらイメージして、復帰した時一発目でその動きをしようと思ってました。タンブリングも、あの時いっぱいやっといて良かったなと思います。今も別にそんなに上手いわけではないけど、あの期間ひたすらロン宙やってたおかげでロンダートに圧倒的な自信が付きました。捻り技とか、トランポリンで初めてやるよりロンダートから飛んでやった方がいいってくらいロンダートを信頼してます。これは僕の遺言として後輩にも伝えたいのでもう一度言います。たとえ怪我しても、見学は暇じゃない。よくチアを見なさい。チアは見てるだけで上手くなれます。根拠は俺です。それでもまだ、たかゆきさんは運動神経が、、とか言い訳するならもう上手くなることを諦めてください。はっきり言います。そんな君は一生下手くそですよ。チアリーダー鈴木 復活そして迎えた復帰の日、2年生の6月5日です。愛宕の日でした。いやーーー嬉しかったですね。久しぶりにスタンツ組んで、久しぶりにトップをキャッチして、久しぶりにチアができることの楽しさを思い出して、久しぶりにスタンツで失敗して。たまにその時の動画見返すんですけど、すげー楽しそうです。そういえば言い忘れてましたが、5月から12期が正式入部して、僕は先輩になりました。今思えばどう思われてたんでしょうかね後輩から(笑) 全然チアやらねーけど態度でかいあの人なんなんだろとでも思われてたでしょうか。僕が後輩なら思います。12期も入ってきて、10.11.12期体制になった2年生。2年生の時はただひたすらに自分の技を磨くことを意識してました。そりゃいくら座学でチア上手くなると言ってもさすがに練習しなきゃ技術は身には付きませんからね。シングルいっぱいやってたな一って記憶です。QP(あの片手で人を持ち上げるやつ)が初めてできた時のあのぴったりハマった感覚、さくとと初めてシングルしてウォークインした時の絶望感、あきのりとシングルした時の重量感、ゆっきーとシングルした時のあの天国の感じ。色んな感覚で、色んなことを考えました。あ、今は重量感も絶望感もないですよ。僕が下手なだけだったのに重いとか言ってごめんね。上手くなった今は、心の中に留めておいています。2年生になったと思えばすぐに次期幹部決めでしたね。練習長に立候補したのは僕だけでした。そん時に意気込みとして2つ言った記憶があります。「KOCで優勝する」「みんなが笑顔で終われるチームを作る」の2つでしたかね。まあ1つの目標はもうとっくに散ったんですけど、もう1つの目標はどうかな。叶えられるかな。2年生のマクステ、やっぱり心に残っているのは次世代構成です。技の難易度だけ見たら今年の次世代さんには到底及ばないんですけど、なんかあれいいですよね。希望に満ち溢れている感じ。あの時の僕らの最大の挑戦だったと思います。ゆっきーのフリツー決まったときのガッツポーズが印象的です。あんな感情むき出しのゆっきー、また見れるときが来るんだろうか。2-2-3決まった後、みんなが感情爆発してるのもいいですよね。これで10期代は終了です。早すぎる。11期代MASONS 始動11期代の始まりといえばこれ。大会です。King of Cheerleading 通称KOCですね。まあ1年に1回ある男子チア4チームに出場権が与えられる大会です。11期代はこれに出場したんですけど、ま一ーーーー大変でしたね。KOCのことを書くと、どうしても暗いことが多くなっちゃいそうで書くのを迷ったんですが、もしかしたら13期やその下の後輩が出るかもしれないので、ちゃんと書き残しておこうと思います。「日本一を目指す」ことがどんなに簡単で、どんなに残酷なのか。あの時期はよく言ってました。「日本一」とか「優勝」とか。そりゃ目指すのは簡単ですよ。練習してればいいんですから。でもその裏には犠牲にしなければならないもの、犠牲になっている人、つらい思いをしている人がいるということを決して忘れちやいけないですね。同じMAXONS にいる人でも、出られない人がいる。同期にですら「お前はKOCには出られない」て伝えなければならない時も来ます。その立場になった人、頑張ってね。本当に辛いですよ。本当に寂しいですよ。でも一人で決して抱え込まないで。先輩が出なかったから何にもわかんないですってなったらすぐに聞いてください。セレクションやろうと思うんですけど、どうやるのが正解なのか分からないですってなったらすぐ聞いてください。11期の僕が4期の先輩であるまっちゃんさんに助けてもらったように、君たちを助けさせてください。コーチは絶対やりませんがね。もう少しだけ大会期間を振り返ってみようと思います。2月に高尾で合宿やりました。KOCの練習のためです。というのは表向きの理由で、本当の狙いは11期代MASONSを早く1つのチームにしたかったからです。まだ新チームになって間もない時期はチームワークもくそもないですよね。先輩後輩との距離もそんな近くないし。ここから1年間チームを引っ張ってくにあたって、この時期にチームを1つにすることが一番重要なことだと思ったので、合宿にこだわりました。ただ技術向上のためだけなら、南大沢で1日練習してれば OK です。2泊3日で行ったんですが、朝起きてチアやって、昼ごはんはマネさんやOBさんが作ってくれたカレー食べて、またチアやって、夜ご飯食べてチアやって、風呂はいって寝て起きて、以下は繰り返しです。1日10時間近くチアやってました。最近、結構ハードな練習メニュー組んでも、「まあ高尾に比べたら余裕っすね」言葉をよく聞くのですが、悔しいですね。あと2回の練習、どんな練習をしてやろうか。のりのりのどっか人のニューハーフネタもこの合宿で初めて聞いた気がします。1.5リバ ★☆☆☆☆各々の基によって課題が色々ありましたが僕たちの基は1.5リバです。できる気がしませんでした。きょうすけ、かいと、やまと、僕の基でした。ひったすらやったけど全部落ちました。全部失敗しました。きょうすけには本当に申し訳無いことをしたと思ってます。元々できてたのにあ一だこーだ言って色々変えさせて、全然できなくなっちゃって。辛い思いしか残せなかったよね。結局きょうすけが自分で動画みて考えて直して来てくれて、できるようになって。いろいろ変える前の方はすごい上手だったのに本当にごめん。本番も1.5あげてやれなくて本当にごめん。あれもいい思い出ですなんて綺麗事すら言えないと思うので、嫌な過去だと思って全部忘れてください。少し個人的な話をしちゃいましたが、本当にいろんなことを考えていたと思います。これで日本1取れるのか、ほんとに構成は完成するのか。構成作り上げることだけやってていいのか。それでみんなが笑顔になれるチームは作れるのか。そもそもほんとに大会に出ることがみんなにとっていい選択だと言えるのか。色んな不安がありました。全然病んだりしない僕ですら病むかと思いました。実家に帰りたいと思いました。部活行きたくないと思いました。やめたいなんて思ったことないなんて嘘でした。チアなんて辞めたいと思いました。知ってると思いますが、実は僕泣いたんですよね。なんの涙なのかはわかりません、合宿の2日目の夜でしたかね。全体練習終わったあと、11期全員とマネージャー全員とよしひろさんと1.5をしてたら急に泣いちゃいました。今でも動画見ると笑えます。なんでこんな感動も何もない話をわざわざ引退ブログで書いたのかというと、ここが気持ちの転換点だったからです。このくだりの後、誰かにぼそって言われました。「お前も人間なんだな」って。なに言ってんだこいつと思うのと同時に、僕ってそんなにみんなとの距離が遠かったんだなと痛感させられました。それまでの自分って、ただ突っ走るだけで、弱さなんて決して見せないようにと思ってやってました。背中で見せるタイプですね。後輩や同期にまでも、たかゆき個人としてじゃなく、練習長としてばっかり接していました。あの時はこれが正解だと思っていたから。リーダーのあるべき姿ではないですね。背中で導くリーダーは時代遅れです。みんなにしっかりと向き合って、弱さをさらけ出して、仲間に助けてもらえばいいんです。そういう意味で考えるとこの時の涙は、みんなに初めて見せた僕の弱さでしたかね。決して望んで見せた涙ではなかったけど、この時からみんなに頼る、全部俺がやる必要はないっていう考え方になりました。すごい練習長って最近言われることもあるけど、僕ってこんなことも気が付けていなかった未熟者ですよ 。あの時周りで笑っていた11期のみんな、応援してくれた11期のみんな、最後まで練習に付き合ってくれた11期のみんな、本当に感謝しています。マクステでは13人全員、もれなくみんなを泣かせます。俺はそれ見て笑おうかな。笑顔で見ときますね。ま、そんなこんなで痛くて、辛くて、それでいて楽しかった大会は終了しました。結果はご存じ3位です。めちゃくちゃ負けました。後輩たちはKOC出るのかな。僕は出ても出なくてもどっちでもいいと思います。この1.2.3月をどう使うかは君たち次第なので。でも一つだけ、この時期に活動をあまりしないのだけは不正解だと思います。理由は言わなくてもわかりますよね。11期代を見ていればわかると思います。練習長って大変そうだよねちょっと関係ない話になってしまうんですけど、こういわれることがたくさんあるんですよ。でもそんなこと決してないんですよね(笑)練習長は楽しくて仕方がありません。先輩とか他チームのいろんな練習長の引退ブログを読んでも、楽しかった !!ていう感想はあまり見ませんが、僕は本当に練習長の1年間が楽しかったです。そりゃ何かあったりしたら大変ですよ。意味の分からない理論で詰められることもありますよ。仲間から心無い一言を浴びることもありますよ。50人規模のチームなのに、なぜか1人ぼっちに感じることだってありますよ。でもそんな辛いのなんて一瞬です。不満言われるのは当たり前。みんな真剣だから。モチべが下がる日だってありました。でも僕はこう考えてました。俺の思考が止まったらチームの成長が止まる。俺がしっかりしてればチームは必ず機能する。俺のモチべなんて関係ない。モチべなんて言葉を幹部は使うな。そんな気持ちでやってました。みんなの悩みを聞いているからこそ、そいつが成長したとこをみると人一倍嬉しい。お客さんから浴びる言葉は、チームが褒められる言葉でもどこか僕が言われているようで嬉しい。初めて取り入れた練習でもいったんみんないうこと聞いてくれる。練習長には練習長にしかわからない嬉しさもあるんですよ。練習長って楽しいんです。そーた、ぜひ楽しめる道へ進んでくださいね。どんな改革したっていい。君ならできると思ってる。来年、不満垂れた引退ブログ書くような練習長にはなるなよ。楽しみにしてるよ。話が脱線してしまいましたが、大会期間からマクステまでの道のりはあえて秘密にしておきます。濃い最高学年を過ごせていたと思います。僕たち11期代がどんな成長をしているのか、どんな人生を歩んできたのか、何を導こうとしているのか。ぜひマクステ2025で感じ取ってください。さあ皆さん長々と読んでいただきありがとうございます。僕のチア人生はこんな感じです。薄いよと思った方もいるかもですが、実質労働期間2年ですのでお許しください。普通の流れならここで後輩や同期にメッセージなんですが、最初も述べた通り書きません。別にまだ引退してないし。感謝の気持ちは打ち上げの時にでも1人1人にしっかり伝えます。君たちはとりあえず、あと3日、俺に全力でついてこい !! ここからは打ち上げで伝えられない方々に向けて、メッセージを書きます。もし、いい感じに感動している方がいるならばここは飛ばしてください。最後にあと少しだけいい感じのことを書いています。先輩方へまずはこんな僕をチアリーディングの世界へ導いていただき本当にありがとうございました。9期にチアの楽しさを教わり、10期にチアの難しさを教わり、11期代ではそれを体現しようと頑張っています。引退ブログ書いているときに思いました。もし俺みたいな後輩が居たら嫌だなと。生意気だし態度悪いし、上手い風に立ち回るし、それでいてプライドも高い。本当にこんな後輩を見捨てないでいてくれて本当にありがとうございました。引退してからも仲良くしていただき本当にうれしいです。マクステ2025、ぜひ一番前の席で号泣してください。まっちゃんさんへ大会期間から、今まで本当にお世話になりました。結果という形で恩返しできればよかったのですが、叶えることが出来ず本当にすみませんでした。でも、僕たちのチア人生はまだ終わっていません。マクステ2025での演技、楽しみにしててください。最強だと言われている4期には敵わないかもしれませんが、僕たちのすべてを詰めました。個人的な話になりますが、ウォークインQ決めても、スーシーQ決めても歴代No.2。高すぎる壁が僕のモチベーションでした。ここからは僕が最強シングラーとなれるように、早くまっちゃんさんに追いつけるように頑張ります!(笑)青木さんどうもこんにちは。いつもふざけていますが、本当に感謝しています。先輩とも後輩とも繋げていただいて本当にありがたかったです。どうですか俺の引退ブログは。俺も少しは成長できてますかね。少しはいい練習長になれたでしょうか。マクステ2025でいったん区切りは付きますが、これからもぜひよろしくお願いします。これからの後輩たちへ11期練習長として、これからの後輩たちに2つだけ言葉を残します。1つ目は「自分たちのチアを体現してください」ということです。僕たちは、先輩方から「綺麗なチアを、クリーンなチアをやりなさい」と教わってきました。だけど、具体的にどうしろとは言われたことありません。正直チアである以上綺麗に美しくやるというのは当たり前なので、MAXONS だからといってあまり意識しなくてもいいです。「綺麗なチア」というのを好きに解釈してください。もしかしたら「そんなの綺麗なチアじゃない、MAXONSらしくやって!」と言ってくるOBさんがいると思います。そしたら「チアができてるのはマクソンズを存続してきてくれたおかげだけど、別にあなた達のためにチアをやっている訳では無いんだよ !!」てニコニコしながら心の中で思っててください。でも一つだけ気をつけてね、他のチームを真似したら絶対に上手くはいきませんよ。SHOCKERS に憧れてもっと派手にいこうよ!とかSPIDERS に憧れてもっとエンタメ要素強くいこうよ !! とか思っても、おそらく失敗すると思います。彼らと僕達では普段の生活の環境が違いすぎるので。いい意味で都立大生らしく、堅実にチアを続けていってください。その中で難しい技や、誰も思いつかなかった技、お客様を楽しませる工夫にチャレンジやってみてください。必ず上手くいくと思います。もう1つは、マクソンズは「人間として成長できる場であってください」ということです。2捻りやトスQができようが、どんな3層技をやろうが、どんな構成を作ろうが、人間として成長出来てなければなんも意味が無いですよ。ただチアを極めたいだけならさっさと辞めて社会人チームへ行った方がいいよ。どのスポーツも一緒だけど、どんなすごい技ができても、社会出たらそんなものなんにも役立たないですよね。チアの技を極めながらも、1人の人間としてどうあるべきかを常に考えてください。いよいよ締めなきゃですね。どうですか僕の引退ブログは。読めましたかね。書いていて思いますが、やっぱり引退って寂しいな。当たり前が当たり前じゃなくなっちゃうもんね。ゆうきにピアス取れっていうのから始まる練習も無くなるのか。しょうやとストレッチしながらいろんなこと話すのも。ごすとRITZ さん眺めながらヒールするのも。あの時間大事だったな。あの冷たい手とでっかい目で笑いながらテーピング巻いてくれるじゅりちゃん。もちろんしおりの姉貴にも感謝ですよ。やべ、年功序列の順で書くべきだったか。嘘だよ。嫌いにならないで。体育館入ったと思えば青マットの準備に走って行ってくれる13期達。最近は準備してるのかな、たいせい君とこういちろう君。練習始まればいろんな頑張っている人を見てましたね。最近シングル頑張っているはやと。たいら負けんなよ。けーた、そろそろQPの時期だぞ。タンブも頑張ってるひろきにきょうちゃん、いおり。タンブって逃げたくなる時来るからね。たいよう、スタ宙はやればやるほど上手くなれるからね。そらも絶対諦めるなよ。わへい、ミドルとして本当に成長したな。そろそろBGM欲しいのでかりんちゃん「悲しみなんて笑い飛ばせ」ください。あれ聞いとけば感傷に浸れそうなので。りほちゃん、元気すぎるって。天才だよ。みっきーは最近静かだな。もっとブイブイ来ていいぜ。ゆうかちゃんもね。もっとぐいぐい行ってしまえ。きすけ、早く想像を超えてくれ。しゅん、RITZと付き合うトップはエースにならな困るよ。12期は基本的に休んでいるのでね。頑張っている人を見つけるのが大変です(笑)てかなんでこんなことを書いているんだ。鈴木、個人は書かないんじゃないのか。でもなんか思い出に浸ってたら書いちゃってるんですもん。思いがあふれてくるってこのことを言うんですかね。なんにもメッセージになってないと思うけど、僕がみんなの思っている以上にみんなのことが好きだってことがわかればいいです。もうこのまま皆行っちゃいます。12期で最近頑張ってると言えばこいつか。さくと。欲を言えばもっと早くやってほしかったよ。まあでも嬉しい。俺らがいるうちにいろんなトス飛ぼうな。きょうすけ、裏でいろいろ笑っているのは知ってるぞ。お前らしくて好きだ。きもいっていうなよ。ほだか、練習しろ(笑)残りの練習座ってたらぶっ飛ばす。よーた、お前もだぞ(笑)俺の後輩なんだ。練習やりきろうな。はるかちゃん音源止めんな。こうせいぴよぴよ。たくみ、代表になるんだろ。話聞いてくれない程度の悩みで諦めんなよ。なり、ほんまに言うことない。逆に仲良くしてくれてありがとうと言え。まこちゃん、来年の男子チアは任せた。ひびな、よく部活来てるぞ。本当にえらい。こうめい、早く自分の立場を確立させな。そーたにぶちぎれられるぞ。今年の練習長と副代表みたいにね。こういちろう、自分いなきゃロケット飛ばないって言われても、こっちもお前が居なきゃ3層上がらないんだぞ。ゆっき一、お前は漢や。最後も一緒に頼むぜ。中島選手、はるとの真面目さがチームを救うときは必ず来るぞ。りょうご、もっとりょうごの意見がMAXONS に反映されることを願っているよ。しょうや、もうさぼりだなんて言わない。しょうやに今年のMAX構成はかかってる。一緒に頑張ろう。そーた、練習長か。まぁ大丈夫か。絶対に間違った道には行くな。困ったら絶対言ってな。やばい、後輩だけでももっと書きたくなるし、思い出がありすぎる。あとなんか泣きそう。俺ってもしかして引退したくないのかな。そういうことか。もっとこのチームにいたい。もっと一緒にいたい。多分そうゆうことだな。まだまだたかゆきさん!て呼ばれたい。もっとしゅうすけがふざけているのを見ていたい。不憫な小川を、ずっとちょっとすべってるやまとのアピールを、絶妙な距離間でマネージャーと話しているあきのりをもっと見ていたい。さわはただただ見てるだけでいいか。スタ宙やってる秀太見れてうれしいよ。まさや、やっぱりお前がエースだよ、かっこよすぎるって。ふみや、どんなタンブを見せてくれるの。しおり、泣くな。ゆうきがふざけているところももっと見ていたい。たいせいが2捻で立っている姿が見たい。ごす、いろいろ本当にありがとう。初めて出会うタイプの人間で、仲良くなれて嬉しかった。1捻は練習長権限で絶対に切らせない。立て。1捻立ってるかっこいい姿が見たい。かずと、やっぱり一番大好きだ。お前の存在は俺にとって本当に大きかった。とりあえずあと3日、頼むぜ。タンブ、絶対できる。コソ練王子の実力を見せてくれ。結局みんなに書いちゃった。書こうと思って書いたんじゃない。気持ちが止まりませんでした。みんな本当に大好きだよ。ついてきてくれてありがとう。これからも頼むよ。寂しいばかり言っていても駄目ですね。しっかりとマクステ2025でちゃんときりをつけられるように、全力でやり切ります。学生だけ、初心者しかいない、がっつり体育会系のイメージがない、スポーツの世界の厳しさ知らない人も多い。 そんなチームをまとめあげた、1つの目標に向かって全員で頑張れる集団を作れた。ただの友達じゃなくて一緒に頑張れる仲間を増やせた。引退寂しいですって言ってくれる後輩ができた。最初はいいイメージを持ってなかった周りの人達からも応援されるようになった。これが僕の3年間の全てだと思います。これからもマクソンズは、人として成長できる場所であって欲しいと思います。これから何年マクソンズが続くか分かりませんが、すごい技やることで「歴代最強だ!」なんて言わなくていいです。引退公演の時に全員が前を向いて、笑顔で、涙流して、後輩から憧れの目を向けられて、たくさんのお客さんの前で引退できることを目指してください。それが出来たら、君たちは間違いなく最強のチームを作れたと言えると思います。まだまだ10年ちょっとしか続いてないこのチーム。これからどうなっていくのかがすごい楽しみです。長くなりましたが、これで終わります!12月28日、楽しみにしててくださいね!11期 練習長 たかゆき

    11期引退ブログ#12 【ベース 練習長たかゆき】
  17.  日本のマスコミってのは・・金と権力を支配して100年かけて日本人を滅ぼす最終段階に来てます。
  18. #第二弾、こんなにたくさん!