
30SEP.
引退ブログ① 浅野翔貴
お疲れ様です、4回の浅野です。ついにこのブログを書くときが来たみたいです。いやーー引退ですかそうですか。1ミリも実感が湧かないですねwさてさて、恒例なので自分の水球人生でもゆっくり振り返っていきます。それなりに長くなると思いますがお付き合いください。あと、下書きしたものをコピペしているからか文字制限を大幅に超えてしまうので2分割してます。これでも短くした方です。自分の水球人生を振り返ってみると、本当に周りの人に恵まれていたな、と心底思います。僕が水球を始めたのは小学4年生の夏。母が水球体験会に連れて行ってくれたことがきっかけでした。その体験会がめちゃくちゃ楽しくて。そのまま地元の大垣市水球クラブに入会しました。でもって入会して最初の練習では、「おもってたんと違ーう!」な出来事がいっぱいありました。小学生のクラブなのに上下関係が厳しくて、今でも覚えているのが、「俺は〜です。」て言った時に「え、俺?」ってツッコまれたのがマジで怖かったです🥺そこから何ヶ月かして初めて地方大会に出て、自分のために先輩がボールを繋いで得点を決めさせてくれた時のことは今でも覚えています。そんなこんなで水球を初めて、1年経ったぐらいでAチームに上がりました。そしてこの年初めて全国大会(夏JO)に出場しました。この時はキーパーが強過ぎたこともあり、チームはベスト4になりましたが、自分は何も出来なくて、正直旅行気分でした。ちなみに春JOは東海予選で負けて出場できませんでした。そっからまた1年が経って、なんか知らんけどじゃんけんで負けて自分がキャプテンになって。この年はマジでゴミでした。キャプテンなのにチームのために積極的に動こうとしてなくて、それで監督にほぼ毎日怒られて。正直名ばかりのキャプテンでした。今思い返しても当時の自分アホやなと思います。この年はチームの実力的には明らかに優勝候補の1つでしたが、何も結果を残せずに終わりました。あまりにも昔すぎて申し訳ないという気持ちは今はもうないけど、とりあえずじゃんけんでキャプテン決めるべきじゃなかったなと思います。実はこの時のことがトラウマで以降はキャプテンはやらないようにしようと思ってました。そういう意味でもけんやが主任やってくれたのはだいぶ助かってました😆中学に上がると少しずつ自分に自信が出てきました。そのきっかけになったのはスイム練で初っ端から先輩と一緒に1番早いサークルを回れてしまったことでした。そこから自分の武器は「泳ぎのスピード」だと思って頑張りました。ある時先輩が「しょうきは毎回自陣の2mから敵陣の2mまで行くから相手しててめっちゃダルい」って言われた時はちょっと嬉しかったです。中学の3年間はチームとしては中2でベスト4、個人としては中3でユース合宿の選手に選ばれるといった感じで、技術的に大きく成長することができたと思います。ただ、コロナで中学最後の全国大会がなくなってしまったのはとても悲しかったです。東高で今まで通り水球に注力するか、頭の良い岐阜高校に進学して国体だけ出る形にするか悩んだこともありましたが,ユースに選ばれたこともあって高校でも水球を続けることを決め、大垣東高校に進学しました。そして1年目の10月に行われた全国大会で優勝し、高校日本一に輝きました。当時のチームはすごく洗練されていたなと思っていて、 監督が何か言う前に3年生の先輩方を中心に選手主導で戦術を考えたり、ミスがあった時に修正したりすることが出来ていて、チームとしての一体感がありました。それが日本一になれた1番の理由だと思うし、逆に自分の代ではそういうチームビルディングをすることが出来なくて監督や味方には申し訳なかったなと思います。高校時代は自分の調子に大きな波がありました。高1までは調子が良かったのに高2のインハイ前ぐらいから不調が続いて、実際この年のインハイは自分のせいで負けてしまいました。そこから高3に上がる直前ぐらいで調子が良くなったと思いきや7月からまた調子が悪くなって、最終的には高校最後のインハイの1週間前に風邪を引いてしまいました。不調期は本当にしんどくて、一回メンタル的に壊れて過呼吸になってしまったことがありました。味方には多大な迷惑を掛けてしまったし、監督にも本当に申し訳なかったなと今でも思います。加えて、夏休み中の平日かつ遠征先での出来事だったのですが、母が仕事を切り上げて遠征先まで車を飛ばして来てくれました。こんだけたくさんの人に迷惑を掛けてしまって、本当に自分が惨めでした。そんな終わってた自分を見捨てず支えてくれた周りが本当にありがたかったし、そうやって支えてくれる人のために頑張ろうと立ち直ることが出来ました。本当に感謝しています。最後のインハイで負けて、引退してから10月までは勉強に身が入らず成績が伸び悩んでいましたが、11月からは流石に危機感を覚えてそれなりに頑張った結果、大阪公立大学に合格し、結局大学でも水球をすることにしました。正直ここまで来ると惰性で続けることを決めた部分も多少、いや、かなりありました。いつかしゅうまには言ったと思うけど、自分にとって大学水球は高校の延長でしかありませんでいした。「適度に練習して楽しみながら水球が出来ればいい。」そう思っていました。だから、光さんにはちょっと申し訳ないなという気持ちがあります。大学1年生の時の学生リーグで思うような結果が出なかったのは自分の頑張り不足が1つの原因だと思います。そこからは柊さんの代になって、少しずつ勝ちにこだわるようになりました。チームを勝たせることが自分に課された責務であると思いました。だからひろきさんやたけるさんは後輩の自分に色々言われてイライラすることも多かったと思います。自分はそれに甘えて好き放題やっていたと思いますが、それでもプライベートで優しく接してくれたことは本当に感謝しています。ありがとうございました。2回生の時の学生リーグで最終試合に勝利し、なんとか良い形で終わらせることが出来て、少しは先輩方に恩返しできたのかなと勝手に思って安堵してました。ただ、先輩方誰か1人ぐらい点を決めて欲しかったです🥺先輩方が引退して自分たちの代になってからは、阪大と合同チームを組んで色んな大会に出場することになって、違う大学なのに後輩ができた気分でした。(平さんは先輩でしたが)みんな良い子で可愛くて、仲良くしてくれて本当に嬉しかったです。また一緒に水球出来たら嬉しいです。3年生になってからはモチベーションを維持することが難しかったです。就活で何度も部活休んだりする中で、それでも学生リーグで2部1位という悪くない結果を出せたことや、冬季公認でベストを更新したことで、逆に何のために練習するのか分からなくなって、休みがちになりました。特になみはやとトライが使えなくなってスイム練のみになってからは、「自分がやりたいことは水球であって競泳ではないのに。」「今頑張ったところで得られる対価が小さすぎてやっても無駄。」そんなことを思っていました。そういう考えが頭をよぎるようになって、部活に行くのが苦痛になって2回ぐらい部活を無断欠席したことがありました。しゅうまやこういちろう・あやの以外にも、たけるさん・ひろきさん・柊さんにも相談したけど、結局4回生になってなみはやが使えるようになるまでモチベーションを上げることが出来ませんでした。本当にごめんなさい。特にけんやは、自分も就活があったりボールを使う練習ができなくてモチベーションを維持するのが難しい中で頑張って練習予定を組んでくれていたのに、それを無駄にするようなことが何度も続いてしまったこと、改めて申し訳なかったです。だから、3回生の学生リーグが終わってから鈴鹿合宿が始まるまでの半年ぐらいはけんやとどう接すれば良いのか分からなくて個人的にちょっと気まずさを感じてました。もしかしたら気づいてた人もいるかもしれないですね。

9月振り返り

久しぶりの電話

㊗️①何❤️かビッグ⭐️なこと⚡️が起こり✨ますね✨新共和国㊗️