10/30の記事ランキング

  1. 本日も各カテゴリーに分かれて練習を行いました!本日はAチームのTR風景をお届けいたします!2年TR満田も練習に加わります!ポゼッション4年野部熱くポジティブな声掛けでTRを盛り上げます!3年嵯峨1年古屋3年水野1年吉田1年飯村、3年櫻井1年飯村1年石川ロングボールクロスボールキッカーを務めるのは3年水野です!このあと、ゲームを行い本日のTRは終了となりました!雨が降り、気温が急激に落ち込む中でしたが選手たちはいつも以上に集中してTRに励んでいました!雨の日も風の日も毎日練習に励む選手たちの努力が結ばれ、今週末勝ち点を掴み取れますように。オフショット4年橋本、1年飯村、吉田、竹岡、3年本木2年田中、GK西山、3年宮﨑、石塚、4年藤田3年水野、嵯峨、櫻井TR後お弁当を食べているAチームの選手たち。40合のお米を毎日炊いていますが1日で全て食べ切る選手たちには驚かされます!たくさん食べて大きくなってね!今週の試合予定11/3(日)関東大学サッカーリーグ戦2部第20節vs山梨学院大学14:00K.O.@山梨学院大学川田ツインサッカー場応援宜しくお願いいたします。部員ブログ『4年生引退ブログNo.20橋本悠雅』No.20 橋本悠雅(DF/JFAアカデミー)プロフィール学部学科:コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科出身チーム:JFAアカデミーポジション:…ameblo.jp4年 橋本 悠雅(DF/JFAアカデミー)いつも面白くて優しいゆうがさん。サッカーにかける熱い想いを語っています。ぜひご一読ください!『4年生引退ブログNo.21 長谷川心大』No.21 長谷川心大(MF/帝京大可児高校)プロフィール学部学科:コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科出身チーム:ひかりFC→帝京大可児中学校→…ameblo.jp4年 長谷川 心大(MF/帝京大可児高校)先輩、同期、後輩皆から愛されるしんたさん。いつもニコニコのしんたさんですが、サタデーリーグではキャプテンマークを巻き、皆を鼓舞する姿はとてもかっこいいです。そんなしんたさんのブログ、ぜひご一読ください!3年江原瑞紀

    火曜日TR(A)
  2. No.21 長谷川心大(MF/帝京大可児高校)プロフィール学部学科:コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科出身チーム:ひかりFC→帝京大可児中学校→帝京大可児高校ポジション: MF背番号: 161他己紹介すみません、他己紹介長いです。本文も長いので時間あるときに読んでみてください。ご無沙汰しております、24卒の遠藤広貴です。去年の引退ブログでは異例の下級生から他己紹介をしてもらったので、卒業生から他己紹介をすることは可能なのか松木(4年/八千代)に聞こうとした時、心大から半年ぶりにLINEが来た。「えんちゃん、他己紹介書いて」本当に心が繋がっていると思った。常に女の子のことしか頭になかった彼だが、結果が出ないと自分を置き去りに泣きながら帰るくらいサッカーに対する熱量は凄い。最近はキャプテンマークを付けて、尻だけではなく背中も大きくなっているらしい。彼が1年生の時に達成したSat.リーグ優勝を今年はキャプテンとして成し遂げる姿、そして彼が去年のブログで書いた「理想の最後」を迎える姿を卒業後でも、少し疎遠になっても応援しています。引退後は酒のやらかしによる内定取り消し、自分に対する愛の欠如、更にお腹も大きくならないか心配だよ。遠藤広貴(24卒/利府高校)立教が誇るガキ大将こと、チン、じゃなくてシンタ。今年1年間は多くの時間を共にし、様々なシンタを見てきた。ここ数年で久しぶりに見た、不気味ささえ感じるニヤニヤ笑顔で楽しそうにプレーする姿から、マネージャーと話す時に「デュフッ…//」と鼻の下を伸ばす情けない一面まで。この1年間、いや、この4年間、僕らの想像以上に悩み、もがき苦しんだと思う。それでも歯を食いしばって踏ん張り、時には舌打ちをしてでも仲間を鼓舞し、周りを巻き込んで懸命に闘う姿勢は、僕含め多くの人の心に響いたと思います。そんなシンタに今シーズン、たくさん頼らせてもらいました。今度は、シンタが頼る番です。気負い過ぎず、力み過ぎず、気楽に頼ってください。上手いこと言えるかはわからないけど、僕は必ず、シンタの力になります。サタデー絶対優勝しよう。水さんはもちろん、おデブちゃんと共にシンタのこともめちゃくちゃ胴上げさせてくれ。これからも一生、ずーっとよろしくな!!それでは、そんな仲間想いで、愛されキャラで、ちょっとスケベなシンタの熱いブログをどうぞ!!(これ書いとけばさすがに本文の前に載せてくれるでしょ。)松木遼平(4年/八千代高校)心大は愛嬌があってまじであざとい。小さいことを武器にグラウンドでは同期にとびつき、不敵な笑みを浮かばせながらイタズラしてる。愛嬌は私に欠如しているため、日々心大から学ばさせてもらっている。コーチと同じ色の靴紐に変えるのは流石にあざとすぎると思うよ。入部当初、こんなに楽しそうにスポーツする人いるんだって思ったのが心大だった。練習中でも試合中でも本当に楽しそうにサッカーしてるし、練習終わってもずっとボール蹴ってた印象が本当に強い。話している時でさえ、私と同じ長さの手足でずっとボール触ってる。また、とにかく愛されている心大。すっごい仲間想いで、友だち想いのため、先輩後輩問わず、また学校の友人にもとにかく愛されている。しかし、昨日と同様に感情が分かりやすい。顔に出やすい。機嫌悪いとか機嫌良いとか本当に分かりやすい。そして涙脆い。新歓企画で弟にしたいランキング最高学年で堂々1位な理由の1つかも…。サッカーが大好きでサッカーに熱い想いのある心大が引退ブログで何を書くのか楽しみです。去年、4年生が引退する時1人で隠れて泣いてるところチクってごめんね。でも、良い写真撮れたよね?あと、心大には何度も救われてきました。ありがとう。ラストまじで頑張ろ。立野千尋(4年/TR/佐倉高校)俺の大学4年間を語る上で必要不可欠な存在。最初の印象はみんなとつるむことなく、1人で黙々とアップしてた尖ってるやつ。こいつとは絶対仲良くなれないと思った。だか、1年の前期は共にサタデーを闘い、彼の根っからの真面目さに触れた。そして2年。同じカテゴリーで再び共に闘い、優勝を経験した。彼とのサッカーはほんとに楽しかった。この頃から毎週末どこかしらに出かけて、多くの時間を共に過ごした。カテゴリーが別になってからも示し合わせるわけでもなく毎週末のようにほんとに楽しい時間を過ごした。心大ってほんとだらしなくて部屋汚いし、非常識でガキだし、全くLINE返ってこなくてうざい。のくせして可愛い女の子見つけた報告だけはLINEしてくる女の子大好きなやつ。少しでもテキトーな対応すると、なんでそんな冷たいのと言ってくるめんどくさいやつ。酒飲むと怖いし、実はメンヘラだし、バカ舌だし。けど、そんなことなんてどーでもよくなるくらいたくさんの魅力が心大にはある。自分の軸をしっかりもって行動できるやつ。そのせいで意見をぶつけ合うことも多かったけど、心大の言葉に救われたことも多かった。あらゆる場面で支えてもらった。ありがとう。あとは、チームのことを考えて行動できるやつ。仲間想いでオフの日には涙を流しながら語る日も多い。というかほぼ毎週泣いてるただの泣き虫。そんな心大の周りにはいつも仲間がいて、めちゃくちゃ愛されてるいいやつ。自分の喜怒哀楽を素直に表現できる可愛いやつ。そんな心大だが、ピッチでは自分の2倍近くある相手のプレッシャーを一瞬で無駄にする華麗なターン。富士見を感じさせないほどの綺麗なパス。必死でボールを奪いにくる相手を嘲笑うかのように逆をつくボールタッチ。なにより、心の底から楽しんで、笑いながらサッカーしてる姿。そんな心大を見ていると、いつの間にかファンになっていて、応援していた。今年はキャプテンとしてチームを引っ張り、みんなを支え、サタデーを優勝に導いてくれることでしょう!君の一ファンとして、残りの試合、心大のプレーを楽しみにしています!苦しみもがきながらも、楽しむことを忘れず自分を貫く心大をずっとそばで見てきました。そんな心大の熱くて愛の深い文章を読んでくれると嬉しいです。それではどうぞ!加藤遼太朗(4年/川越東高校)「サッカーを通して出会ったすべてへ」本文 4人とも他己紹介ありがとう。自分への愛が溢れる他己紹介で、一人ひとり読むだけで泣きそうでした。えんちゃんみんなご存じの通り、えんちゃんとはえんしんカップルやらせてもらってます。LINE既読めちゃくちゃはやかったもんね。やっぱり心繋がってるわって思わされました。最近会えてないけど、可愛い彼女ばっかりじゃなくて引退したら俺ともめちゃくちゃ会ってね。あと、引退試合見に来てね。あと、実家にも遊びに来てね、寛治(父)が待ってるよ。松木(ちゃんと本文の前に載せたよ)りょーへいとは今年めちゃくちゃ長い時間を共にした。やっぱりお前の存在って唯一無二だし、確実に今の立教に欠かせない存在NO,1は君だと思う。どんな逆境でも愚直に、そのアツさを武器に(空回りしながら)頑張り続ける姿は確実にみんなの心を動かしてる。俺もそのうちの一人。その姿勢は最後絶対にAチームにいい風を起こすはず。来年オーストラリアに逃亡する前に死ぬほどさいっっっこうな思い出たくさんつくろう。ドラえもんちひろはまじでかわいい。なんかまじでかわいい。ちひろに会うとまじで元気出るし、どんなに練習が上手くいかなくてキレ散らかしてても、グランドでちひろを発見するだけでなんか穏やかで嬉しい気持ちになる。かわいいだけじゃなくて、誰よりもアツい(分厚い)ハートを持ってて、その姿勢に、何回も俺もやんなきゃなって思わされてました。一番感謝してる。念のため訂正しとくと、さすがに俺の方が脚も腕も長い。引退してからも遼太朗(父)、ちひろ(母)、しんた(子)の家族3人でたくさん遊びに行こね。遼太朗お前やりすぎ。長すぎ。こいつはメンヘラすぎる。なんか長すぎてここでも返答してたらきもいと思われそうだからこいつにはあえて何も言わない。直接伝えます。一番歯に衣着せず、対等に話せる相棒だしね。ついでにそうすけ他己紹介頼めなくてごめん。5人はさすがに長すぎだと思ってビビっちゃった。就活も楽しく気楽に乗り越えられたのは君ともとくん(4年/清水東)のおかげだよね。最高の思い出です。そうすけは今年すごく苦しい思いをしたと思う。たくさん愚痴ったね。入れ替わりで難しい環境を知ってるからこそ、そんな中でも諦めずにアツい気持ちと行動で、結果を出して自分の価値を証明し続けていた姿は本当にかっこよくて今年一番憧れてました。今チームをサポートしてくれてるのも本当に尊敬してます。最後みんなで笑おう。この4人+そうすけ(4年/鎌倉高校/八方美人)は特に、常に自分に刺激を与え続けてくれて、やらなくちゃスイッチを押してくれる人たちでした。どんなに自分が辛くてもこの人達を見ていたら自分も奮い立つ。そんな人たちと出会えたこと、一緒に苦しんで、もがいて、考えて、乗り越えてきたこと、一生の財産です。ありがとう。あっっっちい他己紹介でした。(みんな、まだ他己紹介終わっただけだよ。こっから始まりだからね。)こんにちは。コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科の長谷川心大です。学科に同期が一人もいないし、学部にもほぼ友達いなかったし、授業も大してまともに受けてないのに3卒できたの、我ながら凄いと思います。3年生から所属することになった武者ゼミでは、サッカーしかしてこなかった自分に、サッカー以外の新しい風を送り込んでくれて、最後に大学生らしい学びの面白さ、奥深さを教えてくれました。(卒論はまだ何も手を付けてない、やばい)。部活動だけじゃなく、学業でも最高に充実できているのは間違いなくゼミのおかげです。武者先生、大陽さん、同期のみんな、頼れる後輩の二人、この場を借りてお礼させてください。いつもありがとうございます。引退したらたくさん遊びましょう。同期のブログを読んで、みんな文章書くの上手だなあ、と涙をこらえながら毎日の楽しみに読んでいたらあっという間に自分の番。いざ自分が書く立場になると「引退」の二文字が迫りくる感じがして、ああもうサッカーとお別れか、と嬉しくもあり寂しくもある複雑な感情でいっぱいです。引退してからもたくさんサッカーするだろうけどネ。せっかくの機会なので自分のサッカー人生、思い出せるだけ思い出して、その時々感じていたこと、素直な気持ちを書いてみようと思います。サッカーがなければ今の自分はない。サッカーを通して出会ったすべてが糧となり、今の自分が構成されている。人はもちろん、喜怒哀楽や思考プロセス。サッカーを通して出会ったすべてに感謝したい。そんな気持ちを込めてこのタイトルにしてみました。書いてたら余裕の1万字オーバーでめちゃくちゃ長く、文字の羅列のような拙い文章ですが、自分と時期が被ってた、該当する部分だけでも読んでくれたら嬉しいです。みんな感想ちょうだいね。それでは本文どうぞ。幼少期から多くの習い事をさせてもらっていた。水泳、体操、空手、芸術(笑)などなど。どれも始めたきっかけなんて覚えてないけど、サッカーもその習い事内の一つだった。けど、多少周りの子より上手くて、一番楽しかったのがサッカーだった記憶がなんとなくあって、結局最後まで続けたのがサッカーだった。幼稚園の年中から小学6年生までの8年間はひかりFCに所属していた。このチームが自分とサッカーを出合わせ、その魅力にのめり込ませてくれた。小学校低学年。この頃から本格的に父との二人三脚のサッカー人生が始まった。父は所属するチームのコーチを務めており、本当に厳しかった。家の前の道路で二人でやったパスコン、マーカードリブル、リフティング。土日は小学校の校庭でシュート練習。本当に毎日のように日が暮れてボールが見えなくなるまで付き合ってくれた。その日設定したリフティングの目標を達成するまで家に入ってくんなと言われ、泣きながらリフティングをした日も何回もあった。夕方日が落ち、暗さを理由にもうこれ以上できないと家に入れば、次の日にはバカでかいライトを職場から持ってきて、これで暗くてもサッカーできるねと少年のようなニコニコした顔で言ってきた。めちゃくちゃ覚えてる。そりゃ時には父のことを嫌いになることもあったが、特にサッカーを嫌いになることはなく、自分なりに毎日毎日練習した。その甲斐もあり周りのチームメイトよりもみるみる上手くなり、どんどんサッカーを好きになっていく実感があった。小学校高学年。チームではキャプテンを任せてもらうようになった。週5日のチームの活動とは別に、毎日、当たり前のように自主練をした。週2回のオフも友達とサッカー。本当にサッカーしかしてないと思う。小学校4年生くらいから始めた「サッカーカレンダー」。練習した日に〇をつけその日のリフティングの最高記録を記入する。後で見返した時に自分の自信につながるからと父に言われて始めたこの習慣。今振り返ってみてもカレンダーの中に練習していない日はないし、我ながら凄いと思う。まあ正直、サッカーが楽しいから4:やらないと父が怖いから6、くらいの割合だったんだと思う。この頃の父は今思い返しても本当に恐ろしかった(愛)。情けないプレーをした後の送迎の車内では毎回泣かされていたと思う(愛)。一番覚えているのは6年生の頃キャプテンとして不甲斐ない試合をしてしまったあの日。チーム集合の後、裏に呼ばれペットボトルでぶん殴られた(愛しかない)。涙も出なかったのを覚えている。でも、その分褒められた時の嬉しさは格別。普段厳格な父が誇らしい息子と言わんばかりの顔で褒めてくる瞬間の為に、この頃はサッカーをしていたといっても過言ではないと思う。サッカーをやってる02世代で知らない人はいない大地(4年/柏レイソルU18/笑顔かわいい)のような、チームとして輝かしい成績こそ残すことはできなかったが、誰よりも練習して誰よりもサッカーをしていた自覚があり、試合で誰とマッチアップしても絶対に試合を支配できる自信があった。小学生時代のおかげで、ボールタッチ、止める・蹴るのような基礎的な、サッカーを自分の力で楽しむ土台を創ることが出来たと思う。後々出てくる自分にとってのサッカーの楽しさの根幹を創ったのは間違いなくこの時期、父と二人三脚で毎日毎日サッカーをしていたからだと思う。お父さん、自分にサッカーの楽しさを教えてくれてありがとう。中学のチーム選択の時期。自分の中では漠然とよりレベルの高いチームでサッカーに挑戦したいという思いがあった。チームの一個上の大尊敬していたりょうだい君が帝京大可児に行ったこと。さらに同年代の愛知県でサッカーをやっている人で知らない人はいないであろう、フェルボール愛知の颯が帝京大可児に行くという話を耳にした。颯は自信満々な小学生時代でもマッチアップすることに唯一ビビっていた相手だと思う。そんなすげえ奴と一緒にサッカーができる!って気持ちで心が高鳴った。中高一貫校ということもあり、幼い頃から父とテレビで観戦していた憧れの高校サッカー選手権という夢の舞台にも近づける!と考えすぐに帝京大可児に進学することを決断した。そこからは中学受験に備えてめちゃくちゃ勉強した。人生でここが一番勉強した瞬間だったと思う(ラッキー)。そして、春から考えてもいなかった6年間の県外の学校に通う生活が始まった。毎日6時の電車に乗り電車とチャリでの山越え合わせて1時間半かけて登校した。朝起きるのきつかった。今じゃ絶対無理。その分今めっちゃ寝るようになった。朝機嫌が悪いのはこの時期のせいだからみんな大目に見てね。帝京大可児で過ごしたこの6年間で自分のサッカー選手としてのプレースタイルが確立された。中学。自信満々で門を叩いた。きれいな人工芝、学校が終われば校庭ですぐ練習ができる環境、すごく嬉しくて興奮したのを覚えている。1年生の頃から一つ上のカテゴリーでやらせてもらった。2年生の頃にはTopチームで10番をもらった。先輩たちの代で10番をつけるプレッシャーもあったが、何より当時のコーチである下さんからの信頼と期待を一身に受けた気持ちですごく嬉しかった。自身初の全国大会の全中は1回戦敗退で全く何もできなかったが、東海リーグ昇格を決め、自分達の代を東海リーグで戦う権利を獲得した。3年生になり東海リーグが始まる直前に鎖骨の骨折。本当に悔しかった。なかなか勝てないチーム状況で試合終了間際に追いつかれた前期ジュビロ磐田U15戦。試合終了後、チームに貢献できない悔しさに襲われ、無力感で大泣きしたのを覚えている。荒さん、あの時は慰めてくれてありがとうございました。あのおかげで加圧巻いた激キツリハビリ頑張れました。その恩恵もあり、今でも足がバカみたいに太いです。ごはん連れてってね。怪我から復帰して最初の試合だった前期最終節の刈谷JY戦。忘れもしない2-0の勝利。間違いなくサッカー人生ベスト5に入る嬉しい瞬間だった。その後の全国大会。1回戦の第1試合、同会場ではケビン(4年/暁星国際/クロ○○)がDOGSOして退場したのを見て盛り上がったあと試合に挑んだ。結果は1回戦負け。結局全国大会では大した成績を残せなかったが、東海リーグでは本気でプロを目指す清水エスパルス、ジュビロ磐田、名古屋グランパスの下部組織やJFAアカデミーの選手達と対等に戦うことができた。中学3年生の時には、当時の高校3年生(松下晴樹君(22卒)の代)がチーム歴代最高の選手権全国ベスト16を達成し、自分もいつかこの舞台でプレーする、と幼い頃からの憧れの舞台だった高校サッカーへの挑戦にワクワクしながら中学を卒業した。高校。1年生はセカンドチームでプレーした。岐阜国体にも選ばれたが、2回戦埼玉国体との試合でマッチアップした結斗(4年/大宮Y/今度死ぬまで飲み行こ)と、今J1セレッソ大阪で活躍する柴山昌也の右サイドコンビに何もさせてもらえず圧倒されて負けた。この年チームでは、3年生も多くいる中でなかなか個人としてコンスタントに試合に出場することが出来なかった。それでも1年生からTopチームで活躍する颯や叶都の姿を見て、人樹(松下晴樹君の弟)と馬鹿みたいに自主練した。特に死ぬほどラダーとメディシンボールを使った体幹をやって足がもう一回り太くなった。二人で短足コンビって言われた。その甲斐もあり2年時には2人でTopチームに昇格。2人で大暴れした東京ユースの遠征は死ぬほど楽しかったね。その年はプリンスリーグにもコンスタントに出させてもらい、特に静学やアカデミーとの試合は相手が上手すぎて死ぬほど楽しかった。こんなプレーできる奴がいるんだとワクワクした。そいつらに対して自分のプレーで局面を切り裂くのが最高に楽しかった。この時期は相手がどうこうじゃなくて、自分がどんなプレーをするか。繋ぐことに異常なこだわりを持ち、相手を崩すサッカーを志向するチーム。その中で、自分がビルドアップの組み立てやポジショニングを工夫しなくても、CBがボールを運んで簡単に相手のファーストラインを突破し、馬鹿みたいにグサグサグサグサぶっ刺してくる楔のパスをターンして相手の逆を突く。ついた名前は「シンターン(笑)」。名前が付くぐらい象徴的な自分のプレー。ダサい名前だけどこのシンターンの為にサッカーしてたぐらい大好きなプレー。あの相手の逆を突かれた時の表情、吐息、狭い空間の中で一気に視界が開け、パスの道筋が一気に増えるあの景色。ちょー気持ちいい。何も考えず最高にサッカーを楽しんでた。そして迎えた沖縄でのインターハイ。2回戦徳島市立戦。7人目のPKキッカー。めちゃくちゃキャッチされた。先輩の夏を終わらせてしまった。人生で初めて味わう自分のプレー1つで勝敗が決してしまうミス。戦犯。宗、横君、じゅき君、りょうだい君、みんなに慰められたけど涙は出続けた。この先の半年間はあまり記憶がない。浅井君の言葉を借りて、今、当時を振り返れば、このインターハイでのPK失敗を経て、遠慮、配慮、気遣い、上下関係をサッカーに持ち込むようになってしまった。これまでのようにただ自分のわがままに、何も考えずサッカーをただ純粋に楽しむことが出来なくなった。そこからは何かに恐れながらプレーするようになった。調子は戻らず、そのまま時が流れ夢だった選手権はメンバー外。この年の選手権はスタンドから応援した。年が明け、迎えた自分達の代。コロナ過に見舞われ学校も部活もすべてが停止し、初めて自分の人生からサッカーを取り上げられた。でもマイナスな事ばっかりじゃなかった。大人しく家で過ごせるわけもなく、走りに行っては1人でボールを蹴りに行く毎日。小学生時代を思い返して1人ボールを蹴る生活が懐かしくて楽しくてたまらなかった。その姿を見て父が庭に人工芝を敷き、壁当てできる環境を家の敷地内に作ってくれた。まじ凄い。うちデカい。庭広い。この事例に象徴されるようにサッカーをやるにあたって何一つ不便を感じることなくプレーさせてもらった。毎週月オフの整体や毎練習前のゼリー、upジェル、怪我が多かった自分の為に左右すべての部位用意されているサポーターなどなど。決して自分の今までやってきた環境は当たり前じゃないと気づかされる期間だった。どんなけお金使ってくれたんだろうか。社会人になってから絶対恩返ししていきます。少しずつでも。そしてもう一つ、この時期最大の収穫、旧友との再会。ひかりFCの同期だった亀井、安藤兄弟。そのパワーに引き付けられるように集まった、かつてのライバル、アクア春日井のこうや(中京大)、カイト、松本、けいすけ。サンフレYの空斗(青山学院大)、東邦、名古屋高校の後輩たち。再開の経緯が何だったのかは忘れたけど、きっとみんなから誘ってくれたんだよね、ありがとう。毎日河川敷で足が痙攣するまでサッカーしてた。みんなの爆発的なエネルギーと少年のようにただサッカーを楽しむ姿勢に触れて、サッカーの楽しさを再認識するきっかけになった。今、大学生になってもサッカーを続けられているのは間違いなくこの時期のおかげ。そのおかげで今こうして4年間体育会として活動し、最高の想いを抱えながら引退ブログを書くことが出来ています。この場を借りてありがとうを言わせてください。みんなまた会ってサッカーしよう。そんでたくさん飲みに行こう。徐々に学校と部活動が再開し、サッカーのある毎日が戻ってきた。再開してからも監督からの評価をなかなか変えることが出来ず、ボランチの3番手って感じ。今思えば高校選抜に選ばれた、たかと(関東学院大)とJ1湘南ベルマーレで活躍する淳之介とポジション争いができたのめちゃ幸せだったな。この前総理大臣杯を優勝した陸(阪南大)、さんぴん茶直哉(明治大)、今でも自分の中の最強のCBはあなたです叶都、天才颯、かわいいまなと、モンテネグロでプロやってる大森さん、当時はまだまだ下手くそで浮き球のパスしか付けてこない、いつき(2年/帝京大可児/高校の可愛かった頃と変わりすぎて嫌い)達。みんな上手すぎて最高だった。一緒にやるのも、彼らのプレーを見てるのも本当に幸せだった。惚れてた。バカ上手いみんなに負けないように死ぬほど練習した。朝5時の電車に乗って朝練してから学校へ。授業中も、サッカー部は寝たらダメという謎ルールを厳守し、一度も寝てない(意識飛んでるときはあったかも)。練習が終わって、けやきからTECOへ移動し21時近くまで自主練。帰宅は22時半過ぎ、23時半には寝る生活をひたすら繰り返した。この頃もっと寝てたら今頃身長180センチだったと思う。お母さん、6年間のお弁当、特にこの時期はたくさんわがまま言いました。嫌な顔一つせず毎日笑顔で頑張れよと送り出してくれてありがとう。1人暮らししてみてその異常さを痛いほど痛感しました。尊敬してます。身長を犠牲にしてまでも自分が納得するまでグランドに残り続け、誰よりも練習した。人樹とどっこいかな。上手さではみんなに勝てないから誰よりも走った。裏抜け、前プレ、オフザボールの動き。大学のみんなは想像できないかもしれないけど高校までは献身的に走るキャラだったの、今思うと考えられないな。(今、手を抜いているわけではない)。迎えた選手権、青森山田に負けてベスト16。出場こそできなかったものの、自分たちのサッカーが間違っていなかった、全国で通用することを証明できた自負のある大会だった。その環境下で、妥協なく本気でサッカーと自分に向き合い、自分を貫いた実感があり、一切の後悔なく高校サッカーを終えた。監督の海老名SAでの発言がなければ最高な終わり方だったかもな。怒りと悔しさの入り混じった感情でおかしくなりそうだった。人樹と一緒に大泣きして食ったカレーまずかったな、たぶんカレーを人生で初めて美味しくないと思った瞬間だった。畑さんに慰められて何とか前を向くことが出来ました。ありがとうございます。今でも会ったときにまだいじってくれるの、ありがたいです。監督を見返すためにも大学で誰よりもサッカーを楽しもう。そう人樹と秘かに2人で約束して帝京大可児高校を卒業した。大学運よく指定校推薦を勝ち取り、立教大学に進学。迷わず体育会サッカー部へ。大学サッカーがどんな世界なのか、レベル感、組織体制、所属リーグ、出場大会など何も知らないまま入部した。ただサッカーを「誰よりも楽しむこと」、競技サッカーとの別れ方を追い求めて。ランテストを一発で(死にながら)クリアし、大学サッカーへ足を踏み入れた。1年目Dチーム。練習参加初日から驚愕した。今までやってきた自分のサッカーの常識とは全く違う世界。ポゼッションのポの字もない、繋ぐなんて言葉の存在しないようなサッカー。意図のないただ蹴るだけのクリア、鬼にならなければいい5本以上繋がることのない回し、本当に前進しようとしてる?と疑問に思うような味方のポジショニング取り、パスを出す足にメッセージを込めるなんて考えたこともないんだろうなってことだけが伝わる意図のないパス。もはや知らないスポーツかと思った。先輩に、J株の服着てるのはただもらっただけか、そんな奴がJ株の服着てサッカーすんなって心の中で思ってた(思ってただけです)。一緒にDチームでプレーしてたはずの野部(4年/農大一高/最高のカテゴリーキャプテン①)と、藪(4年/法政二高/最高のカテゴリーキャプテン②)がトントン拍子でカテゴリーを上げていくのを見て焦ってた。絶対上げんなら俺だろ、絶対俺の方が上手いだろって思ってた。(当時ね?)自分の武器であるターンも、パスの出し手ありきのものだったので余計焦った。1人じゃ何もできない。自分の立ち位置はここじゃない、この人達とは楽しいサッカーなんてできるはずないと思ってた。思い出話に花が咲くとき絶対に言われる言葉がある。「1年生の頃のお前まじで尖ってて怖かったよ」。当時のDチームだった同期には全員に思われてたらしい。特に基樹(4年/清水東/斜め陰キャ)は思考が斜めの為、ここぞというときの追い打ちで今でも一生いじってくる。けど尖ってたんじゃなくて焦ってただけです。(津田(4年/トリプレッタY/サークル)の引退ブログ観る感じ今も怖いのかな、みんな怒ってばっかりでごめん。)けどそんな考え甘かった。自分が今まで何も考えずサッカーをできていたのはただ仲間が上手かったから。自分一人だけ切り取ってみれば対して上手くもない選手が、スタイルの違いを仲間のせいにして背を向けていた。浅井君との出会いがそんな自分を変えてくれた。圧倒的なサッカーへの熱量を教わった。練習終わりに浅井君、はししゅう(24卒/はやくご飯連れてけ)、まさ(4年/静岡学園/サッカー小僧)と毎練習後やったフロンターレのパスコン。浮いたパスやズレたパスに対して何十回、何百回言われ続けた「汚ねえな」って言葉。あの言葉が自分に「こだわり」の深さを植え付け、サッカーにもう一段ハマるきっかけをくれたと同時に、自分の下手さ、未熟さを教えてくれた。(詳しくは2年生ブログ『ハマる瞬間』読んでみてね。)そこからは毎練習後フロンターレ。さらには10メートルくらい離れたところから浅井君の弾丸パス(ほぼシュート)を足元30センチ以内に止める練習をひたすら繰り返した。14時連が終わり、次のカテゴリーの16時半連が終わるまでずっとやってた。今までサッカーしてきて止める・蹴るが断トツで圧巻に上手い2人、安心安全・久我山産の圭祐(4年/國學院大学久我山/プリケツ)やMr.アントラーズの呼範君(24卒/イケメン)を超えることはできないまでも背中に少し触れられるくらいには上達した。と思う。さらに、頭で考えてプレーする事。高校まではどんな相手にも自分たちのサッカーを貫き通してぶっ壊せばいいじゃん、と思ってたけど、相手の形の変化に合わせて攻撃・守備の形を変えてプレーすることを学んだ。前半あれだけ苦労した相手にハーフタイムの浅井さんのこうしたら?の一言で面白いように攻撃が刺さる、ボールが組織単位で刈り取れる感覚は自分にとって新鮮で最高に楽しかった。何となく違和感として生じていた現象に対して改善策を言語化できるようにもなった。この、今まで抱えていた心のモヤモヤを表現するのにピッタリな新しい語彙を覚えたような感覚は、より一層サッカーの面白さ、奥深さを自分に教えてくれた。年間を通してすべての試合に出場し続け、サタデー優勝。敗戦後、悔しくて試合後大泣きした大東戦。(遼太朗(裏切り)、けんと(この年の活動期間2か月)、あの時は元気出させてくれてありがとう)。その翌週の1週間全部走り期間(長距離、シャトラン、ほふく前進etc)。その翌週の一橋戦の勝利(サッカー人生ベスト5に入る嬉しい試合)、1点目の遼太朗(裏切り)とのゴール後の抱擁。サタデー決勝でのスーパーゴール(ちょー気持ちいい)など。週2の走りも文句を言いながらもみるみる走れるようになる感覚があって余裕だった。たぶん。高校でサッカーをやり尽くした。もう後悔はない、サッカーからはもうすべて吸い尽くした。あとは楽しくサッカーを終えるだけ。そう思っていたけど正直サッカーのこと舐めてた。甘かった。まだまだ上手くなれる。そう思えた最高な1年目だった。2年目Bチーム。ヴァレ君は自分にとって天敵だった。デカさ、速さ、強さを好み、身長が低く、対人の強さも速さも持っていない自分にとって一番苦手なサッカーを志向する人だった。今まで浅井君と積み上げてきた、考えてやるサッカーとは違い、盤面には1対1が11個ある、という個人の力量頼みの考え方の守備。ギュンとドンしか求められない攻撃。ギュンもドンも持ってねえよって思った。遼太朗(ギュン持ち)や舜大(4年/鎌倉高校/スポーツ心臓喘息持ち・ドン持ち)は簡単で明確な強みを持っていていいなあとつくづく思う。でもお前らってボールが自分に吸い付いてくる感覚とか、ボールを手よりも思うように意のままに動かせる感覚とか、自分にしか見えないパスコースが見えた瞬間とか知らないんでしょ?(悔しいから切れ気味で煽っとく)。1つのチーム、同じ組織の中で指導者によってこんなに目指すサッカーに違いがあってもいいの?とか疑問に思ったけどそんなわがままは通用せず、ただ単純にヴァレ君の求める選手のレベルに達していなかった自分はプレシーズン中にCチームに降格。Cチーム。飛さんは所属する選手の特徴に合わせて戦術を柔軟に変化させてくれ、選手の声を誰よりも大切にしてくれた。飛さんと悠真君(23卒/一番尊敬してる)、自分の3人で上手くいかないことがあるたびに何回も攻め方、守り方について話し合った。ヴァレ君を結果で見返す。その思いで頑張った。Iリーグ8連勝も経験した。この年は何よりも悠真君とサッカーできたことが自分にとってデカかった。あんなかっこいい人に自分もなりたい。プレー面でも人としても。そんな人と1年間隣で、同じポジションでサッカーができたこと、本当に幸せでした。それ以外にも、この年のサッカーはとにかく楽しかった。自分の思い描くプレーの具現化、自分のやりたいように気を遣って合わせてくれる悠真君(その中でも自分は輝き続ける、かっこいい)、めちゃくちゃやりやすかった。ビルドアップ、組み立てでは後ろにえんちゃん(24卒/彼女。あれ、彼氏?)、晴君(24卒/人間としての理想像)、野部(病原体①)。左には山内(3年/高松商業/山にウマって言われるのが一番嬉しい)とたか(4年/新潟明訓/おなら)がいて狭い局面をワンタッチで崩していく感覚。高校時代を思い出した。全く取られる気がしなかった。最高。左で相手を集めれば右の遼太朗(裏抜け上手い、ラーメン)とノリノリ紀慶(3年/横浜FCY/すれ違う度に絡んでくるの大好き)に展開する。ゴール前の崩しに差し掛かればそうだい君(24卒/テキトウデイイヨー)、シゲ(24卒/飲みは?)、エース君(23卒/筋肉で全部収める)がいてアイデアは無限に湧いてくる。キーパーには慎吾君(24卒/来年からよろしくお願いします)がいて点とられる気がしない。本当にピッチのどこにいても、どこの景色を切り取っても幸せだった。自分のサッカーはこれだと言わんばかりの毎日。この頃、一番多聞君(24卒/自分の中の楽しさの指標)に笑ってプレーしてて気持ち悪いって言われてたと思う。多聞君に気持ち悪いって言われる日こそ自分が最高に楽しんでプレーしてた瞬間だし、一番いい状態。繰り返しになるけどこの年は最高に楽しかった。全ての試合に出続け、チームはIリーグ2部優勝、1部昇格。特にリーグ優勝決定戦の天王山筑波戦や、入れ替え戦最終節帝京戦のような、勝てば優勝・昇格、負ければシーズン終了という痺れる試合を何度も経験し、その全てでスタメンとして勝利に貢献できたことは、自分にとって、入部してからの積み上げが認められたような気がして大きな自信に繋がった。しかし、この自信も一瞬で崩れ落ちた。悠真君たち4年生が引退した後、大きくカテゴリー編成が行われるチャンスで自分は上のカテゴリーには上がれなかった。試合に出場し続け、優勝に貢献した自分よりも、試合に出ていなかった選手達が選ばれ、上に上がっていく。ヴァレ君が「悠真としんたがずっと試合に出てたけど、俺はずっとシゲを上げようと思ってた」と言っていたと、シゲから聞いたときは本当に納得がいかなかった。シーズンを通して結果で見返してやろうと意気込み、結果で示したにも関わらず、結局、自分好みの選手しか扱おうとしないんだ、と思い、だいぶ萎えた(主観です)。積み上げた自信を一瞬で崩されたような思いだった。ここでだいぶこの組織で上を目指そうっていう熱と、カテゴリー昇降格に関する興味が冷めた。そんな状態でシーズンを終えた。3年目シーズン立ち上げ後もカテゴリーはそのまま。現状のカテゴリーは受け入れて頑張ろうと気持ちは切り替えていたけれど、今まで一緒にプレーしていた人たちは上に上がったままで、みんなと一緒にプレーできないことに苛立っていた。自分だけ取り残されている気分だった。そんなモヤモヤを抱えたまま始まったプレシーズン。早々にケビン(4年/○○チン)のデススラを食らい、膝を捻って長期離脱。プレシーズンを棒に振り、シーズン開幕にこそ間に合ったものの、試合に出ることはできなかった。夏前にも内側が再発し、1.2年は怪我なしでプレーできていたにも関わらず、半年で2度の長期離脱をしてしまった。結局、この年試合に出れたのは前期早稲田戦の30分のみ。その30分もクソみたいなプレーをしてしまい、攣った人が出ていなかったら確実にin outしていた。そこからはベンチ外も多くなった。着実に勝ち点を積み重ねるチームを横目に、ピッチの外から応援を続ける日々。チームが勝っても全く嬉しくないし、むしろ負けろって思ってた。サッカーをやっていたら訪れる最高の瞬間がある。そんな瞬間の感情もすべて忘れ、サッカーの辛い部分しか見えなくなっていた。なんでサッカーやってんだろう。そう思っていた時、そうだい君(24卒/感覚派)のアドバイスもあり、現状を変える為に何かしなきゃ、と前のめりになっていた状態から少し肩の力を抜き、サッカーから一歩引いて、ちょっと俯瞰してチームを見てみた。そこで見えたのはチームのことを一番に考え行動する4年生の姿。試合になかなか出れていないのに全力でチームの為に応援する人(シゲ、コボ/24卒)、馬鹿みたいに声出して、居ると居ないとでは違うチームになるくらい練習の雰囲気を作ってくれる人(晴君/24卒)、誰よりも走って、闘って背中で見せてくれる人(祥太郎君、そうだい君、えんちゃん/24卒)、後輩の落ち込む姿、元気ない時にいつも通り明るく接して元気出させてくれる人(西岡、たつき君/24卒)、誰よりも真剣にサッカーに向き合う人(俊介君、大谷さん/24卒)もう何やってもかっこいい人(佑君/24卒)。めちゃくちゃかっこよかった。4年生の最高な引退試合を観終わった後、自分が出場していない試合でも、ただ純粋に自分がピッチに立っていたかのようにチームの勝利を喜んでいる自分がいた。4年生の引退に感動する傍ら、ああ、チームの為にピッチの外から一緒に戦うってこんな気持ちか。そう分かった瞬間でもあった。この年、自分のプレーではチームに直接貢献することはできなかったけど、来年は4年生みたいなカッコいい先輩になる。そう決意できた最高な1年だった。4年目シーズン終わりの決意も虚しく、シーズン立ち上げから自分の現状に精一杯になる日々。まだ終わってないけど、18年間のサッカー人生で一番悩んで、どうしたらいいか考えたシーズンになりました。一番何書いたらいいかわからないかも。悩みすぎて逆に何に悩んでいたのかあまり覚えてないし、それをどう表現したらいいかもわからない。自分の語彙力では思いの丈を100%上手く伝えるのは難しそうです。特に、サッカーを人生で初めて嫌いになりそうだった、自分の中の時間が止まってた昨年のシーズン終わりから今年の6月10日までの話は何回書いても、どう書いても角が立つしニュアンスが大事だったり、感情込めて話さないと伝わらないこともあると思うからここで書くのはやめます。期待してたみんなごめん!気になる人は飲みに行って直接話しましょう。多分泣きながら話してあげます。そんなこんなで、シーズン立ち上げの頃に描いていた絵とはかけ離れるような現状。1.2年生の頃には考えてすらいなかったサタデーリーグを戦う自分。会う先輩には全員に心配されるし、佑君(24卒)はわざわざLINEしてきてくれた。めちゃ元気出ました。ありがとうございました。最終的には松木(病原体②)の裏切り(昇格)により、何かわかんないけどキャプテンを任せてもらった。小学生ぶりのキャプテン。キャプテンという肩書が増えただけで何かが変わるわけではない、そう思っていたけど全然違った。松木の存在がデカすぎたっていうのもあるかもしれないけど、松木のいなくなった次の日の練習からは、お前なんていなくても変わんねえよ!って、けんとと強がってたけど、本当にしんどかった。あがらない強度、質、雰囲気。全部キャプテンになった自分のせいだとさえ思えてきた。そこからは自分がなんとかしなきゃの一心でキャラでもない声掛けやチームの鼓舞をしようとしたけど、理想と現実のギャップに、キレ散らかしてプレーしてた。今もか。みんな申し訳ないです。特に並木、さとふみ、竹内、ごめん。練習終わりのグランドからクラブハウスへの帰り道では、どうしたらいいかわからないと、けんとに弱音吐いて泣いて帰ったこともあった。けんとのブログでは力になれなかったなんて書いてあったけど、全然そんなことない。お前がいたから頑張れたしお前が心の支えだったし、お前の存在がマジでデカかったよ。(物理的にも)。一番チームの状況で悩んでる時期に浅井君から、残留の為に、お前の力を貸してほしい、と昇格の話もあり、正直迷ったし選手としての嬉しさもあった。そっちの道を選んだ方が、個人として何も考えずにサッカーを楽しめるんじゃないかなんて考えていた時もあった。実際、同期、後輩、みんなに死ぬほど相談して、もっと上で活躍するお前の姿が見たい、お前のいる場所はそこじゃないと言われたときは本当に嬉しかった。けど、それ以上に成し遂げたいと思うことが1つあった。今、同カテで試合に出ているほとんどのメンバーは昨年から今年の頭にかけて相当、浅井君の扱いに苦しめられてきたメンバーだと思う。実際、今シーズン立ち上げのスタメンのほとんどが今の同カテだしね。(笑)そんなお前たちとサタデー優勝して、最高に楽しいプレーして、浅井君のこと見返すぐらいの結果出したら最高に気持ちいいだろうなって自分は思ってました。みんなはどうかわかんないけど。それがどんな時でもモチベーションだったし、今シーズンどんな状況でも続けられた一つの要因だと思う。けど、チームとしてなかなか上手くいかず正直焦ってました。ある過負荷の日の後、色んなことが重なって悩む自分の姿を見かねて、水さんが話す機会を設けてくれた。自分の力不足、何となく上手くいかない現状、チームの雰囲気に対して何かしないといけないと思い詰めてると素直に全部話した。「お前のこと1.2年の時すっげー楽しそうにサッカーする奴だなと思って見てた。けど今年の頭のお前見て心配になった。死んでるなって。だから俺がお前をもう一回楽しくサッカーやらせてやろうと思って、一緒のカテゴリーでサッカーできるのめちゃ嬉しかった。強度も質も上がらないのは俺の責任でもあるから、お前はただ楽しくサッカーして欲しい。それが一番チームの為になるから」一言一句、全部は覚えてないけどニュアンスはこんな感じ。この言葉にどれだけ救われたか。こんなにアツい人に出会ったことはない。この人の為に最後足がもげても頑張る。ラストシーズン、この人と心中すると誓ったと同時に、自分のサッカーをやっている意味について少し考えた。そこで何かが吹っ切れた気がする。自分は野部のように圧倒的な統率力はないし、藪のように器用で、頼れる先輩感も出せない。松木のように声で引っ張ることもできない。けど、誰よりもプレーで違いを見せて奮い立たせること、自分のプレーで直接勝利に結びつけることはできるなと思った。そこからは水さんの言葉通り、プレーで見せれば自然と周りが付いてくると信じて闘った。それに率先してついてきてくれた頼れる3年生(るき、龍、つじ、矢野、黄海、ごう、牛頭、村井)の存在、盛り上げてくれる2年生達(はんと、りお、池田、鬼武、おうすけ(?))がいたこともマジでデカかった。ありがとう。そこからは少しずつ強度、質、雰囲気も良くなった。みんなであと少し頑張ろう。結果で水さんに恩返ししよう。自分がサッカーをやっている意味について。答えは、考えれば考えるほど難しいようで実はめちゃくちゃ単純、ただただ楽しいから。サッカーを夢に据える人もいるし、来年からサッカーで食べていく庄司(4年/桐光学園/栃木SC内定)や慶太(4年/FC東京U18/ロアッソ熊本内定)みたいにプロになるとか、関東に出るため、立教のためにみたいな熱い想いを持ってサッカーやっている奴とはだいぶズレた感覚だと思う。そのズレ故に上手くいかなかったり、評価されてないときに自分にベクトルを向けず、他責にして逃げていた、と、今振り返ってみると感じる。その弱さが現状の立ち位置だし、自分の弱さにはつくづく辟易する。実際強く志を持ち続けた選手達。ずっと一緒にプレーしてた遼太朗(ゴール痺れました)は関東で変えの利かない選手になってて、舜大(喘息)、じあん(4年/FC琉球U18/隠れラーメン)も1年の時に掲げてた目標の関東リーガーだもんね。けど、誰よりもサッカーに対する愛は負けない。引退を間近にした選手が揃って口にするサッカーの最高な瞬間。点を取ったときのあの感じとか、試合に勝った瞬間のあの感情。自分のプレーで観客がどよめく瞬間、仲間からのうま!!の声、手玉に取った相手の吐息。普段の生活では決して味わうことの出来ないあの気持ち。辛いこと、苦しいこと、きついことが9割のサッカー人生の中で、その9割を一瞬でチャラにしてしまうような言葉では表しきれない感情を揺さぶられるあの瞬間。その瞬間の虜になって大学生にもなって馬鹿みたいに週6でサッカーやって。異常だと思う。普通の大学生いいなあ。サークルいいなあ。毎日オフいいなあ。何回も思った。それでも、歩くのも嫌になるような暑い日も、布団から出たくないような寒い日も、何で部活あんの?って思う大雨、大雪、雷、台風の日も毎日グランドに行って、気づけば練習終わっても自主練して。そんな、これ以上の18年間ある?ってくらい濃い時間をサッカーと仲間たちと一緒に過ごすことができて本当に幸せだった。9月中旬、Aに呼ばれて、大好きなみんなと久しぶりに一緒にプレーする機会があった。Aに参加させてもらってるとか関係なく、誰が見ても自分のチームって言えるくらい暴れて最高に楽しかった。もうAでいいじゃんって、すれ違うみんなに言われたのも最高に嬉しかった。サッカーに唯一心残りがあるとしたら、その世界線を、自分の弱さ故に大好きな同期達と一緒にプレーする権利を自らの力不足で失ってしまったことくらい。どんな状況でも、どんな扱いを受けても、自分が純粋に子供の時のようにただ楽しくサッカーができる状況の為に、もっと愚直になっていても良かったかもなって思うときも正直ある。まあでも後悔しててもしょうがないし、カッコいい形で引退していく誇らしい同期を横目に羨ましいと思う一方で、まだ自分には幸い最高の舞台が2つ残されている。そういう後悔とか、責任とか期待とか。去年決意した、カッコいい4年生としての理想の最後とか。そういったもん全部ひっくるめてピッチで表現するので見ててください。サッカー人生最後に最高に楽しんでる姿、みんなに見せてあげます。そして、自分を救ってくれた大好きな水さんを、最後、みんなで後悔なく笑顔で空に飛ばします。応援よろしくね。両親、同期、先輩、後輩、スタッフ、応援してくれるみんな。サッカーを通して出会ったすべての人たち。自分に関わってくれた全員もれなくみんな大好きです。文字より言葉で伝える方が得意なので、泣きながら直接感謝を伝えます。飲みに行きましょう。付き合ってください。めちゃくちゃ誘うし、お誘い待ってます。全部行きます。なっっっがと思ったあなた。僕も思いました。拙い文章でしたが、最後まで読んでくれてありがとうございました。ありがとう、サッカー。〈お気に入りのプレー写真〉1年目2年目3年目最高の同期最高な瞬間学年会誕生日会ルドNEXTNo.22藤田梢紘(MF/新潟明訓高校)

    4年生引退ブログNo.21 長谷川心大
  3. TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️①感覚は7:3圧勝💖アメリカはカオスが続く⚡️🇺🇸大谷さんの通訳イッペイちゃんで有名になったいわゆるブックメーカーやスポーツベットの賭けサイトDS欧米は何でも賭けますねプラットフォームPolymarketドナルド・トランプの選挙賭けオッズはカマラ・ハリスに対して過去最高の33.2%のリードに急上昇Polymarket - 2024 Presidential Election Predictions2024 Presidential Election Predictions. Trust markets, not presidential polls. Live and accurate forecasts by the world's largest prediction market.polymarket.comDS世論調査なんかほっといてより現実に近い切実な賭けデータ感覚的には7:3世論調査のほぼ拮抗は無理あるわそれをベースに解説する日本メディアもなかなかやりにくいなので解説ももう自嘲気味に投げやりな感じですねー後はメディア崩壊を座して待つのみ🇺🇸フロリダ州カトラーベイの211丁目交差点の11番地付近で投票用紙やその他の書類が詰まった箱を見つけたひとが彼はすぐにそれらを拾い上げ警察署に持って行き適切に届けましたフロリダでさえこんなことが起きているのならデトロイトフィラデルフィアアトランタで何が起きているのかは容易に想像できますね🇺🇸英語を話せない市民たちの集団が期日前投票のために何時間も列に並んでいたアメリカ人の横をスルー通り過ぎ投票場へおかしな国ですハリス・ウォルツのステッカーを貼ったこれらのひとびとは一握りの通訳たちにより投票手続きへ誘導されました民主党ですね今回はドミニオンによる選挙マシン不正は無理そうなので不正移民を大量輸入生活保護に金を与え民主党に投票させていますあからさまですほんまに何でもあり②感覚は7:3圧勝💖アメリカはカオスが続く⚡️へ続くNew Republic⭐️新共和国💖『❇新共和国❤️リンクまとめのまとめ❤️新共和国』❇新共和国❇️『❇新共和国❇️リンクまとめ❤️新共和国』『①コンこん! 誰かおられますか? イエス❤️がお呼びですよ!⭐️新共和国❤️』コンコン!おられますか…ameblo.jp

    ① 感覚は7:3圧勝❤️アメリカは選挙カオスが続く⚡️ TOO✨HOT ⭐️WROLD⚡️NEWS⚡️
  4. ①磁気嵐がいま地球を襲っています土曜日の14:57 3872 X1.8+CME発生したCMEコロナ質量放出が昨日13:46地球に到達これにより地球の磁場はG1 (マイナー)の地磁気嵐に衝撃波が到来し太陽風は高速な600 km/s前後へ上昇引き続き地磁気嵐注意報が発令されていますこれに伴い太陽風磁場強度はやや強い7 nT前後から非常に強い23 nT前後へ上昇磁場の南北成分は一時-19 nT前後の非常に強い南向きの状態に太陽風密度は15 /cm^3前後へ上昇この太陽風の変化は26日15時UT頃に発生したfull-halo型CMEの影響ですその数時間前太陽プラズマが地球に到達しましたこの放出は思ったより大きく高エネルギー粒子は太陽現象が発生してから20分から数時間後に地球に到達大規模なプロトン現象が起きた際にプロトン粒子が地球の磁力線に沿って極域に流れ込む影響により極域において短波帯の電波が吸収され通信できなくなる現象が起きますそれにより航空無線で利用されるHF通信が利用できなくなるため運航乗務員にあて活発化した太陽活動についての注意喚起とともに運航における通信などへの影響発生時の情報収集依頼を実施中Cathay Pacificのニューヨーク発香港行の便(CX831)が極域航路を変更し日本経由の迂回ルートに複数の衛星運用事業者からプロトンの影響による衛星の異常動作を懸念し衛星のモニタリング強化等対応がされ日本の本州以北など中緯度を含む世界各地でオーロラが観測されました太陽活動はこれから大幅に上昇すると予測されています太陽エナジーの影響は相当なものになると予想され衛星がまた撃ち落とされます太陽の変動に敏感な人は太陽粒子が地球磁気圏と相互作用するため生理的や心理的ボディ身体的への影響を受ける可能性があります必要な予防措置を講じ環境条件や体調の中程度の乱れに備えてくださいね💖新共和国💖『❇SOLAR⭐️FLARE❇太陽フレア❤️リンクまとめ❤️新共和国』『①おひさま☀️ってどんな感じ✨❤️エナジー✨アップデート⭐️新共和国』SAさん⭐️ホリデー💖なのでエナジー✨アップデート⭐️ですが先に太陽活動や観測データに…ameblo.jpエンリルスパイラルHomepage | NOAA / NWS Space Weather Prediction Centerwww.spaceweather.govNew Republic⭐️新共和国💖

    ① 磁気嵐❤️がいま⚡️地球⭐️を襲っています✨エナジー⚡️アップデート✨新共和国 ⭐️
  5. ついに32期引退ブログ始まります。28期の引退ブログを読んで入部を決意した私にとって待ち望んでいたけれど、来てほしくなかった引退ブログ。  高3の秋、湯船で涙流しながら読んでいた引退ブログを4年の時を経て湯船で書いている今日この頃、、不思議なもんです。トップバッターはSAVE !RESERVE!昆布!でおなじみ予約担当のえまです。絶賛同期旅行の宿選定中です🌸トップバッターということで簡単に32期の紹介します。人数:プレイヤー15人、マネージャー1人ラクロス経験:全員初心者MBTI:ISFP×3、ENFP×3、ESTP×2、ESFJ x2、INTP、ENTP、ESFP、ISTJ、ENFJ過去の失態:土グラに小麦粉1つ、到着時間に全員遅刻、30分たっても組みたてられないゴール、etc,,,,ここには書ききれないほどの失態を犯してきました。歴代の先輩がた本当にごめんなさい(笑)山と谷を100往復したぐらい山あり谷あり波乱万丈なラクロスライフを送った32期がつづるこのブログで、今いる後輩や今後入部する高校生、支えてくれた保護者やコーチの方へ何か残せたらいいなって思います。前置き長くなりましたがこっからやっと引退ブログスタートです。「やらない後悔より、やって後悔」2021年4月14日私は中央大学女子ラクロス部へ入部しました。この時のことはよく覚えていないけれどみんなに「体験会の時のえまはすごかった」といわれるので多分相当がつがつぐいぐいしていたのだと思います(笑)1年生の32期といえばおもいつく限りのミスと問題を犯してきました。(上記参照)そして私は毎日誰かに謝罪文を送っていました笑幾度となく怒られたけど多分そのうち8割は誰も反省していなくて、なぞに同期で結束しているのが本当に好きでした。とんで4年生の春。多分ラクロス人生で一番つらかった2か月。たった2か月かもしれないけど当時はすごい長い時間に感じてすごい孤独を感じてました。就活の忙しさと重なったことで、正直悲しむ余裕も悔しいから頑張ってやろうと思う心の余裕もありませんでした。部活に行ってもコートの反対側でAチームが練習してるのみてすごい羨ましかったけど、絶対に羨ましいと思っているって思われたくないという謎のプライドがずっとありました(笑)ほんとばかでもチーム変わってそんなこと思っていたのも数日で、今いるチームにできることをしたい、後輩にこのチームでよかったと思ってもらえるチームを作りたいという気持ちに変わりました。そう思わせてくれたのは当時のチームリーダー(のこ、まふ、ゆうみ)と後輩たち。(私に常にパッション注入してくれてありがとう☺︎ れんがいたから何度も踏ん張れたよ)みんなありがとう。みんなが私の存在意義を教えてくれて最後もうひと踏ん張りしようと思わせてくれました。リーグの時私がコートに出る度応援席から「えまさーーーん!!!」って呼んでくれてほんと嬉しかったし、最強のエールでした📣このチームでの経験は短くも本当に大切な時間でした。けどたった一つの後悔は中立戦の舞台に立つことができなかったことかな。立てなかったことよりも中立戦の2日前くらいまで両親に出ないことを伝えられなくて辛かった笑これも私の変なプライドでも最後大きな舞台に立つ姿を見せれて、青白戦でセーブシーンを見てもらえて満足!新しいチームで頑張る意味を見つけて、私ができるチームへの貢献を続けた結果それを認めてくれた人がいました。1年生の時サマーのモチベタイムで私は「みんな初心者でスーパースターがいるチームじゃないけど私たちはスーパーチーム」というとんでもなくクサイセリフを話してました(笑)でも、リーグ戦が始まって強豪相手に点数とってくる同期、鉄壁すぎるDFをする同期、ドローとりまくる同期いつのまにか同期みんなスーパースターになってました🦸すごいなーって思う反面、同期と同じレベルにゴーリーとして私は到達しているだろうかと常に不安でした他の学校のゴーリーらスカウティングすればするほど自分なんかよりよっぽど上手くて、カッコよくて守護神だなーって。10月20日早稲田戦最後の1秒まで勝てるって思ってたこのメンバー、チームで日本一取って最強の代として名前を刻むはずだった60分間1秒たりとも諦めなかったこれだけは胸張って言える!届かなかったあの一点。もしあの時暑さに負けず自主練していたら、もしあの時手を抜かずラントレしていたら、もしあの時1分でも長くシュー練してたら、もしあの時1秒でも多く動画を見てたら、結果は違ったかもしれないっていまだに考えちゃう後悔せずにやり切ることって多分できない!それでもやっぱりやらなかった後悔より、やったけどダメだった後悔の方が糧になる。 中学の剣道も、高校のハンド部も沢山後悔があってでもその後悔があったからこそラクロスをやろうと思えましただからこのラクロスの後悔もこの先の何かにつながってるのかなって思って、そろそろ前を向きます!もう文章まとまらないから感謝ゾーン行きます32期だーいすき。だいすき。みんなと会えないの寂しい。同期旅行楽しみ。ありきたりだけどみんながいたから最後まで続けられたし、他の代からは32期いやって言われるけど私は32期の空気感が好きゴーリーズ気まぐれすぎるわたしとめるに懐いてくれてありがとう笑 みんなからの手紙でおばさん涙腺ボロボロでした🥹みんなのお陰で今まで不穏な空気が漂ってたゴーリーズ(諸説あり)が明るくなったし、一人一人メンタル弱いくせにうちらが弱音吐くと全力で応援してくれて逆に支えられました☺︎みんなと過ごすゴール裏の時間が本当に大好きでした。ゴーリーはコートに1人しかたてなくてベンチにも2人しか立てないすっごい狭い世界。なのにこんなにお互いを尊敬し支え合ってる関係性を作れて本当に良かった!バイバイマイファミリー🧑‍🧑‍🧒める1番のライバルだけど1番の理解者!シュートの痛みもゴーリーにしかわからない心境も4年間共有してきたね🥅リーグ戦の正ゴーリーという重すぎるプレッシャーを感じさせずコートに立つめるは本当にかっこよかった✨ファイナル4の景色を見せてくれてありがとう。紛れもなくめるのおかげだよ次のブログはそんなめるが書いてくれます!全然まとまってないけどおわり!

    引退ブログNo.1 えま 「やらない後悔より、やって後悔」
  6. お久しぶりです。引退しましたマネの上中です。ブログはおそらく1年以上書いていませんでした。それだけ部員が増えたという事ですね☺️久しぶりのブログですが、面白いことを考える余裕はないのでぶち真面目に書きます。とはいえ、最近会っていない後輩たちが私の近況も聞きたいと思うので、近況から。卒論とか4年必修授業とか会社の課題とかなんやかんや2年生の時以来の忙しさを感じています。教育学部の人は他学部のような楽しい4年秋は送れません。覚悟して一緒に苦しみましょう( ;∀;)そしてたまには私を遊びに連れ出してください🙋‍♀️では引退ブログに入ります。・入部私が水球部に入ったのは、兄の所属していた大学の水球部に魅了されたからです。ごっつい体の選手たちのシュート、連携プレーがかっこよくて🤽‍♂️💓いざ関学の水球部に入るとまさかの先輩5人、イメージとは少し違う滑り出しとなりました。しかし、同期は10人も入部。仲良くなれるかドキドキしていた頃が懐かしいですね。今となっては考えられませんがね。↑(わあ、懐かしい)・最も尊敬する人マネの仕事はやはり審判の笛を覚えることに一番苦戦しました。いつも誤審をして選手たちには迷惑をおかけしました。すみません。そして、1つ上の唯一の先輩まゆきさんには何度も同じ質問をして、何度も間違えて、根気強く丁寧に教えてくだっさたこと本当に感謝しています。そして昨年はトップ一人でチームを引っ張って下さりずっとかっこいい先輩です。まゆきさんに出会えてほんとに幸せ者です。↑(はあ、かわいいまゆきさん)・かわいいいい後輩そして私にも後輩ができ、今の3年生は未だに掴めない人達ですが、いつでもニコニコしてて、気軽に絡んでくれて可愛くて可愛くて仕方ありませんでした。めきめき成長してて見ていて飽きません。これからもまだまだめきめき成長して引っ張っていってね🌱頑張れ!そして今の2年生、個性の強い人達ばかりで全員面白いです。いつもニヤニヤしてて全員かざとのおもちゃにされてるのが可愛いです🧸一人一人が努力し続けているところが素晴らしいと思います。その個性を活かして関学水球を盛り上げていってね🌸最後に1年生、これまで見たことないぐらい仲良くて団結力の高い軍団。そしてなによりも向上心があり、先輩に負けない技術と勝気を持っていてこれからが楽しみすぎます🍀はやり一緒に部活していた時間が短くてもっと沢山話して関わって成長を近くで見たかったですそれだけは悔しい・マネージャーかわいいかわいいマネージャー達。一人一人にメッセージ書くと長くなりすぎるので、また今度LINEで送ります。選手に負けない水球愛と熱意、選手を支えるマネ力の高さ、皆尊敬しています。皆がいたからこそ楽しくて充実した毎日になって、ここまで続けて来られました。ありがとう🥰また皆ご飯行こうね!・他大マネ神大、阪大とは沢山合同練習をして頂きました。一緒に練習をして、お互い応援し合えるチームになるほど仲良くなって、神大と阪大の同期マネージャーには本当にお世話になりました。皆ほんとに優しくて、いい人すぎて、大好きです。色々な面で支えてくれて、甘えすぎちゃいました汗同じチームと勘違いするぐらい愛があったなと思います🫶またご飯行きましょうね🌷・同期マネ同期の2人、入部してすぐから話しかけてくれて、仲良くしてくれてありがとう!いつでも気にかけてくれて、支え合えて頼りになる同期だった!選手、いつも選手だけで旅行やらご飯やら行ってマネは寂しい思いをしていました。でも最後関東での引退試合前日、同期皆でご飯行けて嬉しかったよ。誰とでもすぐ仲良くなれる、誰も見捨てない、団結力の高い同期たちは自慢の同期です🏆4年間ありがとう!お疲れ様でした🐵同期の写真探したけど全員が揃ってるの無かったよ😅(そら〜🥺)定期同期会(はる〜🥺)引退試合後の写真みんなのおかげで最高の4年間になりました!また練習や試合みに行くかもしれないかもしれません!今後の関学水球を応援しています。最後になりますが、監督、コーチ、OB.OGの皆様多くの面で支えてくださりご声援頂きありがとうございました。これからも関学水球は成長していくと確信していますので、今後ともよろしくお願い致します。

    皆への感謝でいっぱい
  7. あっという間に11月…
  8. No.6 加藤 遼太朗(MF/川越東高校)プロフィール学部学科:理学部数学科出身チーム:川越東高校ポジション:MF背番号:135他己紹介他己紹介が長いので読みたい人だけ読んでくれればと思います。こんにちは、りょーたろーの愚痴係の北村です。僕は彼の色々な一面をこの4年間で見てきました。ごく一部ですが紹介したいと思います。・時間を守れない情けない一面。(君のせいで僕も時間を守れなくなりました。)・駅の改札でかまいたちの動画を見て、一人で肩を震わせて笑っていた可愛らしい一面。・憧れのけーたと二人組を組んでいることを嬉しそうに自慢する子供っぽい一面。・アルコールが入った時の怖い一面。・ラーメンを週7で食べる、好物に対してもギュンギュンな一面。※長期オフ時です。彼の色々な姿を見ることができて、僕はとても幸せです。今シーズン、Aチームの主力として活躍する彼。Aチームにたどり着くまでの過程を上手に綴ってくれるでしょう!!(多分、まだ書いてる途中だよね、、、)北村基樹(4年/清水東高校)彼とは今年1番一緒にいた時間が多いといっても過言ではないぐらい仲良くした。行き帰りの車内、トレルでのプレアップ、弁当。その他にも過負荷後には温泉に行くルーティーンや、試合後と月曜オフの〇ー〇〇を食べに行くこととか。あとは、、と、思い出したらキリがないほど楽しい時間を共にした。ありがとうな!!そして、みんなからいじられる愛されキャラで、友達への愛の深さは誰よりも強く、友達想いなところを知ることができた。愛が深いが故にメンヘラ気質になってるがもう慣れたから大丈夫だよ!メンヘラエピソードは恥ずかしいと思うからここでは伏せとくね!そんな彼だが、ピッチに入れば「ギュンギュンギュン太朗」としての名を待ち、サイドを縦横無尽に駆け巡り、相手を翻弄する。またアタッカーとは思えないほど体を張った守備をし、チームに貢献する、間違えなく立教に欠かせない選手であるだろう。そろそろ得点欲しいところではあるが、彼なら必ずゴール、アシストという形でチームを救ってくれるに違いない。って事でこんなに褒めたことないからおそらく照れてると思うけど、、遼太朗これで満足かな?笑今はAチームとして厳しい状況かもしれないが戦おう。そして笑ってシーズンを終えるためにもラスト残り少ないがお互い頑張るぞ!!橋本悠雅(4年/JFAアカデミー)ピッチに立つと、ボールを持つと、誰よりも応援団からの声援が大きいギュンギュンギュン太郎。学年問わず、そして地元の応援団が来てしまう位にみんなにとても愛されいる。しかし、時折繰り広げられるメンヘラ発言(本人曰く「愛が深いだけ」らしい)には、驚かされることが多々ある。あと10分の道のりを助手席が先に降り、後部座席に2人で座っているままだと「タクシーじゃない」と怒られる。ちょっと可愛らしい?というかめんどくさい?1面もある。さらに、普段温厚で優しすぎる遼太朗だが、アルコールが入ると少し変わる。というかだいぶ変わる。思わず目に涙が浮かんでしまうこともあった。あとは、私が大やらかしをする前にあらゆる手段を使って阻止してくれた。本当にありがとう。特にこの1年お世話になりました。口を開けばチームの話や仲間の話をしていて、誰よりも仲間想いで思いやりのある、めっちゃ良い奴。なんだかんだ負けず嫌いで考えこみすぎちゃう遼太朗が色んな経験をしてきたギュン太郎が引退ブログで何を書くのか楽しみです。あと少し、目標を達成して笑ってシーズン終われるように残りまじで頑張ろ。立野千尋(4年/TR)今なにしてる?もう寝た?電話に出なかったら、なんで出ないの?彼から送られてくるLINEベスト3である。知っている人は知っている通り彼は超が付くほどのメンヘラ。多分俺のことを恋愛対象として好きなんだと思う。だからいつまで経っても女の子に対してDTみたいにでゅふでゅふしちゃうんだと思う。きつい。定期的にかけてくる電話ではちょっと暇だからかけちゃったとか、帰り道1人で寂しいから話し相手になってと言ってくる。ちょっとだるい。そんな彼はアルコールが入ると人が変わる。付いたあだ名は「所沢のアルハラモラハラ男」。プレー中どんなに削られても怒らない彼だが、アルコールが入った途端口が悪くなり、周りを圧倒し、酒の場を支配する司令塔となる。引退してからも死ぬほど飲みに行こね。そんな彼だけど、彼の自分の軸を持ってまっすぐ貫き通す姿は本当に尊敬してる。遼太朗はこれ言うと怒るけど、1番正しい道を選択し続ける力があるのはサッカー部の中でお前が1番だと思うよ。その結果Aチームで試合に出続けている姿は本当にかっこいいしね。互いの意見をぶつけ合いガチの言い合いになってみんなに止められることもしばしばだけどこんなに意見ぶつけられるのはお前だけだからこれからもよろしく。じゅんこさんの美味しいご飯これからも呼んでください。紹介文が異常に長いのも彼がみんなに愛されている証拠だろうね。彼のアツい想いを綴った文章最後まで読んでくれると嬉しいです。それではどうぞ。長谷川心大(4年/帝京大学可児高校)「存在価値」他己紹介が長くてすみません。優柔不断な性格がここでも出てしまい4人に他己紹介を頼むことにしました。4人とも紹介ありがとう。お願いしたところみんな想像以上に長く書いてくれました。もときはいつも愚痴を聞いてくれてありがとう。悠雅と千尋は車の行き帰りを共にし、千尋がドシッと助手席に座ってくれて、悠雅が後ろからちょっかいかけてくるあの時間が楽しかった。今年1年ほんとにありがとう。心大は毎週一緒に過ごし、たくさん話したし、たくさん遊んでくれてありがとう。4人ともメンヘラのこととお酒のことを書いてて恥ずかしいですが、決してメンヘラでもアルハラでもありません。ただ、愛が深いだけです。なんだかんだこんな俺に付き合ってくれるので、みんな俺のことが好きなんだと思います。ありがとう。普段から色々とごちゃごちゃ考えすぎてしまう性格であるが、いざブログを書こうと思うと何を書いたらいいかわからず、だらだらと書いてしまったのでまとまりない文章となってしまいましたが、読んでくれると嬉しいです。自分の意思をあまり発しなかった幼少期になぜか自分からやりたいと言い出したサッカー。小学校時代は所沢サッカークラブジュニア(TSC)という地元のチームに所属し、土日は練習や試合。平日も学校が終わるとすぐにグラウンドに出て、誰と示し合わせるわけでもなく日が暮れるまでボールを追っていて、サッカー漬けの毎日を過ごしていた。チームも仲間や指導者に恵まれ、市内ではほぼ優勝、県大会でもまずまずの成績を残し、とても楽しく過ごせた。だが、中学のセレクションの時期になると、チームが強かったのが自分の実力とは関係なかったことを思い知る。周りが強豪チームに合格する中、自分はことごとく落ち、セレクションを受ければ誰でも入れるFC CRECER(クレセル/ポルトガル語で成長という意味らしい)という弱小チームに入ることにした。チームの勝利より個人の成長を大事にするチームで、とにかくドリブルをやらされた。そのおかげで今の自分のプレースタイルがある。まあ、夏にスキー場を走るだけの合宿があったりと大変なことも多かったがそれもいい思い出となっている。特に、素晴らしい指導者たちに出会うことができ、人間としても大きく成長できた期間だった。高校は、川越東という埼玉県の私立高校に入学した。ほんとは市立浦和で勉強とサッカーを頑張ろうと思ったのだが、受験で落ちた。その結果、陸の孤島と呼ばれる男子校に3年間身を置くことになったのだが、ほんとに落ちて正解だったと今では思える。1年次から試合に出させもらえて、大した成績を残すことはできなかったが、みんなで色々考えあってサッカーするのは楽しかった。しかし、最後の選手権で自分がPKを外して負けてしまい、少し後悔の残る高校サッカーとなった。ここまでを振り返ってみてもサッカーで大した成績も残せていない。そんな自分にとって立教大学でのサッカーは大きなチャレンジであった。どこの大学に行くのかを決める際、何となく大学でもサッカー続けるでしょくらいに思ってた自分は、頭もよくて誰でも入部できる立教に入ろうと考えた。川越東の先輩である樹里君(22卒)や八木田君(23卒)、拓海君(23卒)がいたことも大きかった。しかし、指定校推薦で立教に行こうと考えていたが、自分よりも成績の良かった奴が立教を出すという情報を聞き、選手権までサッカーを続けるためにはどうしても指定校で大学に行きたかった自分は少し弱気になった。大学でサッカーすることを諦めて、他の大学に行こうという選択肢が頭に浮かんできた。そんなとき、高校の友人に「お前のほんとにやりたいことはなんだ。お前の大学でサッカーをやりたいって気持ちはそんなもんだったのか」と言われ、その時はっきりと自分はまだ大学でサッカーがやりたいんだということを認識した。母からも「やらずに後悔するならやって後悔する方を選びなさい」と言われ、立教でサッカーをすることを選んだ。結果的に立教に行くことができ、もしこの決断がなかったら今どんな人生を送っていたかと思うと、感謝してもしきれない。今でもこの選択をしてよかったと何度も思う。そして始まった大学サッカー。樹里君がAで活躍していたため、自分にもチャンスがあるんじゃないかという考えでグラウンドの行くと、そんな甘い考えはすぐになくなった。グラウンドには強豪校の服を着ている人がほとんどで、場違い感がすごかった。練習のレベルの高さについいていくことに精一杯で、今まで自分がやってきた環境とは大きく違うことを突き付けられた。そしてDチームからのスタート。このまま4年間を終えるのではないかとまで考えた。自分の大学サッカーを語る上で欠かせない出来事がある。1年の時点でこのことを引退ブログに書くことは決めていた。それは浅井さんとの出会いだ。何の実績もなく、実力もない自分を関東の舞台に立てるまで成長させてくれたのは間違いなく浅井さんの存在があった。忘れもしない大学サッカーのデビュー戦。当時カテゴリー分けされてすぐの練習試合。「今日のワンプレーで自分の立ち位置を変えて見せろ。君たちには立教の歴史を変えられる可能性を持っている。」という熱い言葉は、立教に入ってよかったと感じた瞬間であった。この人に一生ついていくくらいの気持ちだった。1年時に浅井さんに提出した「大学での最終目標」をこのブログを書くにあたって改めて読んでみると「Aチームで替えの利かない選手になる」と書いてあった。当時、Dチームの1年生の現実味のない目標にもかかわらず、浅井さんは真剣に向き合ってくれて、目標達成のためには何が必要か。今の自分の武器は何か。弱みは何か。などほんとに1から指導してもらった。毎週試合後に浅井さんから振り返りをもらって、次の週の練習に臨んだ。毎日のように遅くまで自主練にも付き合ってもらった。止める・蹴るなど基本的な技術が劣っていた自分は毎回のように下手くそと言われていた(今でもよく言われる)が、成長を実感する毎日だった。サタデーリーグが始まり、ありがたいことに開幕からスタメンで使ってもらっていた。そして、第2節の大東文化大学戦。結果は負け。自分自身は得点こそなかったものの、自分のプレーが通用していたことを実感し、満足していた。そんな中、1人ピッチの端で泣く心大の姿があった。恐らくチームを勝たせられなかったことに責任を感じていたのだろう。そんな姿を見ていると、チームを勝たすことができなかったのに満足していた自分が恥ずかしくなった。そこからの練習は地獄のような日々だったことを覚えている。炎天下の中でとにかく走ったし、とにかくきつかった。ほんとに浅井さんのことを嫌いになりそうだったけど、浅井さんだからこそ信じてついていくことができ、みんなできつい練習も乗り越えられた。当時のDの選手はみんな同じ思いだったと思う。そして、第3節の一橋大学戦。チームとしても絶対勝利すると意気込み、個人としても自分がチームを勝たすと強く決意して臨んだ。貴重な先制点を挙げ、2ゴールとチームの勝利に貢献することができた。あの試合の勝利は自分たちのやってきたあのきつい練習が間違いではなかったことを示すことができたと思う。そして、チームがこのままサタデー優勝に向けて頑張ろうとした矢先、慈安(4年/FC琉球U-18)からは裏切りと言われているCチームへの昇格。けど自分はずっと少しでも上のカテゴリーに行きたいという思いがあったため素直に喜んだ。ただ、Cで怪我人が多かったことや、なぜかは忘れたけど、授業とかの関係で自分しかCの練習に参加することができず、その週たまたま調子が良かったなど、色々な要素が重なっただけで、運よく上がれたくらいに思っていた。Cに上がってからは、ベンチには入るものの試合に出れない日々が続いた。今までサタデーで一緒に戦っていた仲間たちは着実に結果を残し、活躍していた。そんな姿を見ると、ほんとにカテゴリーが上がったことが正解だったのかという考えさえ頭によぎった。そんなとき浅井さんから連絡がきた。きっとチャンスは来るから頑張れという内容だった。そしてチャンスは突然やってきた。Iリーグ第12節の上武大学戦。スタメンとして左サイドで試合に出ると、負けていた後半にPKを獲得。そしてPK失敗。また高校時と同じ過ちを犯すのかと心が折れかけた。そんなときベンチに入っていた浅井さんが後半の残り時間ずっと自分の背中に声をかけ続けてくれた。その声のおかげでチャレンジし続けることができた。またしてもチームの勝利に貢献することはできなかったことは悔しかったが、それ以上に自分がCで活躍することが浅井さんへの恩返しにつながるのかなとも考えた。1年目はそんなシーズンだった。今まで自分がやっていたサッカーって何だったんだろうと思うほど、サッカーの奥深さや楽しさを知ることができたし、成長を感じられる1年だった。浅井さん、ありがとうございます。今でも自分が悩んでる時にくれるアドバイスに救われています。2年目。Bからスタートするもすぐに足首の怪我で離脱。リハ期間にCへとカテゴリー変動。復帰してからIリーグで途中出場するも、次の日の練習試合で今度は肘の脱臼骨折によりまた離脱。前期のほとんどをリハで過ごした。今振り返ってみると、リハ期間の記憶はほぼない。毎日グラウンドには行って、ただリハビリをするだけの毎日を過ごし、けどその間にも他の選手たちは目の前の試合に向かって日々練習をしていて、ほんとに練習に行くのが憂鬱な毎日だった。覚えてることと言えば、毎週のように都リーグの補助学に行き、トップチームの雰囲気を間近で感じることができたこと。もはや最後の方は慶太(4年/FC東京U-18)のプレーを見るために行っていたといっても過言ではないほどファンになっていたことだろう。あと、リハ期間はベンチにいることが多いため、マネージャーと話す機会が増え、騒がしい先輩マネージャーから元気をもらい、グラウンドに行くことが少しだけ苦じゃなくなった。自分の復帰を待っていると声をかけてくれる人がいたことも自分にとって大きな支えとなっていた。長いリハ期間が明けたときには、リーグも終盤を迎えていた。ありがたいことに自分には早い段階でチャンスが回ってきた。Iリーグ第13節の筑波大学戦。優勝がかかった大一番でフル出場し、勝つことができた。この勢いのまま昇格決定戦のホーム帝京戦で勝利をつかみ、このシーズンを終えることができた。この試合は多くの人が応援に来てくれていて、自分のアシストで点が生まれたときに大勢がグラウンドになだれこんできたあの光景は忘れられない。悠真君(23卒)を始めとする先輩たちを優勝させることができたのはうれしかった。リハ期間が長くようやくサッカーができた喜びからか、とにかくこの期間のサッカーは楽しかった。しかしそのあとの4年生が引退してからの期間のカテゴリー変動で自分の名前はCのままだった。優勝に貢献した自分ではなく試合に出ていなかった人たちの名前がそこにはあった。ほんとに納得がいってなかった。この期間はさすがにモチベーションを保つことが難かった。ポジティブにとらえるとしたら、この期間ワールドカップがあり、龍(3年/浜松西高校)ややま(3年/高松商業高校)の家でほとんどの試合を見ることができ、浩平(3年/立教池袋高校)などの後輩とも仲良くなれた。龍の家は今でも昼寝に利用させてもらってる。ありがとう。3年目。自分はB1チームに所属させてもらいヴァレ君のもとでプレーした。このシーズンも怪我から始まり満足に試合も出れなかったが(詳しくは3年ブログを読んでほしいです)、最後の方は徐々にスタメンで出れるようになり、アシストするなどチームの勝利に貢献することができた。道間君(24卒)などいろいろな思い抱えながらも、戦い続けていたかっこいい先輩たちや大河(3年/立教新座高校)などの愉快な後輩たちと残留という結果で追われたことは良かった。ヴァレ君にもほんとにお世話になりました。試合で使ってくれないときはなんでと思うことも多かったですが、球際切り替え運動量を体に叩き込まれ、攻撃では「ぎゅんでドンだよ」としつこいくらいに言われたおかげで今があると思っています。自分を出すことが苦手だった自分は、もっとエゴを出せと何度も言われ、少しは自分の意見が言えるようになった。気がします。自分は精神論者ではないと言ってましたが、サッカーにおいてメンタルの大切を改めて学びました。ありがとうございます。そして自分たちが最高学年になった年の天皇杯。Aチームのところに自分の名前はなかった。悔しかったが、満足に試合に出ることができなかった自分が上がれるはずもないと少し納得してしまう自分もいた。1年間一緒に戦ってきた龍人(4年/東海大相模高校)と舜大(4年/鎌倉高校)もいて、来年こそはみんなでAでという思いで、自分にできることをやった。ヴァレ君が最後の日にお前らなら絶対Aで活躍できるという言葉をもらい、来年こそはという思いでシーズンを終えた。そして4年。自分はAチームではなかった。当然といえば当然だ。天皇杯の時期とほぼメンバーが変わることはないとわかってはいた。そう自分自身を納得させつつも、大学サッカーで目標としていたAチームにあがることは叶わずにサッカー人生を終えるんだなと思うと納得いかない部分も多くあった。また、天皇杯の時期に上がれず一緒に戦っていた龍人と舜大の名前はAチームのところにあり、自分だけというのがまた余計悔しかった。しかし、シーズンが始まってみると新しく来たまさきさんというコーチが今まで自分にはなかったサッカーの価値観を与えてくれました。練習は新しいメニューが多く、今までとはまた別のサッカーの魅力を教えてくれ、毎日成長を実感すると共に、よりサッカーが楽しくなりました。それと同時に熱い男で、諦めかけていたAでプレーしたいという思いに再び火をつけてくれました。ありがとうございます。Aの練習に参加させてもらった際、「自分はどう評価されているのか。Aに行くためには何が必要か。」を直接とびさんに聞きに行った。それと同時に自分の考えや思いも話した。普段の自分ならそういったことを言いに行くことは絶対にないのだが、地元や高校の友人たちの「俺なら行くけどな」という後押しもあり、勇気を出して行った。あの時背中を押してくれてありがとう。そのすぐあとくらいにカテゴリー変動の知らせがあり、ちょうど一緒にいた遼平(4年/八千代高校)、キノ(4年/名古屋高校)、壮介(4年/鎌倉高校)が自分のことのように喜んでくれたことを今でも鮮明に覚えている。目標としていたAチームまでの道のりは長かったが、ようやくここまでこれたことが嬉しかった。それと同時にここからだという思いもあった。Aに上がったはいいものの、今まで自分がやってきた環境とのギャップを痛感した。練習の雰囲気から全く違った。しかもほぼ話したこともない人達とサッカーすることにビビっていた。1日1日の練習がとにかく疲れた。でも、さがちゃん(3年/三菱養和SC)やダブルしん(3年/JFAアカデミー、横浜F・マリノスユース)などが気軽に話しかけてくれて、すぐに打ち解けることができた。プレーのことで褒められたりすると「いつも関東で出てる人たちに褒められた」なんて思ったりもしてた。関東が開幕して3試合、ありがたいことにずっとメンバーに入れてもらえていた。そして出番はまだかと常に待っていた。チームも勝ちがなく、周りの選手からも今日出るっしょとか言われて期待してはいたけど出ることはなかった。俺使えよとか思うけど、実際出て自分がいいプレーできる自信も正直なく、言葉にすることはできなかった。けどチャンスは突然やってきた。5/5日体戦。後半からの出場で関東デビューを果たした。チームは負けてる状況で、後半頭からの出場だったこともあり、とにかくがむしゃらにやった。そして続く明立戦。初めてのスタメン。自分自身もアシストを記録することができた。神大戦関東初スタメン。今シーズン初勝利。チームとしても念願の勝ちを手にすることができ、個人としても自分のプレーが勝利につながったような気がして嬉しかった。それからの試合もスタメンで出ることができ、とにかく走り続けた。ほんとに頼りになるノリ(3年/横浜FCユース)にもたくさん助けてもらった。チームも勝ちを重ねることができ、集中応援の山学戦でも勝利するなど勢いに乗ってきた。そしてアミノが始まった。自分はハムの怪我で離脱するという決断をした。それ以前の関東も無理して出続けていたため、離脱するならこのタイミングだととびさんや千尋とも相談して決めた。ただ、アミノで感動する試合を繰り広げ、勝つチームを見ると、応援しながらもなぜ自分はここにいないのだと悔しい気持ちになった。そして今までスタメンとして勝ちに貢献し続けてきたつもりでいたが、自分が出ていても出ていなくてもチームにそんな影響ないんじゃないかという気持ちになった。そんな焦りから怪我を長引かせ千尋にはたくさんの迷惑を掛けた。ごめん。そんな中、とびさんは自分の復帰を待ってくれて、元気のなかった自分を大地(4年/柏レイソルユース)、庄司(4年/桐光学園)、圭佑(4年/國學院久我山高校)など今までずっとAで活躍し続けている同期たちに励まされたおかげで、予定よりも長くなったリハ期間から抜け出すことができた。全員ガキだからただのダルがらみだった可能性もあるが、ありがとう。かいとくんからも復帰した時に最高のパフォーマンスを出せるように今できることをしようと言われ、筋トレにも協力してくれた。ありがとうございます。そして復帰してからは再びスタメンで使ってもらっていたが、なかなかチームは勝つことができていなかった。ありがたいことにスタメンで出続けながらも、自分の中でずっと疑問を抱えたまま試合に出ていたように思う。ほんとに自分なんかが試合に出てていいのかと。自分はチームにプラスの影響を与えることができているのかと。ピッチに立っている以上全力を出さないことは、プレーしたくてもできないやまちゃん(4年/大宮アルディージャユース)とかに失礼であることはわかっていた。けど、ほんとに自信を無くし、サッカーが楽しくなかった。そんな自信のなさがプレーにも出始め、無難なプレーを選ぶようになった。サイドで受けても失敗を恐れて仕掛けない。しかし、そんな自分の悩みなんか関係なくチームは練習試合で着々と勝ちを積み重ねていた。関東再開の週。普段通りの木曜のセットプレーミーティングのあと、まさきさんから動画を見せられた。そして自信を持ってプレーしろという言葉。おそらくこれは俺へのメッセージなんだろうなとか思った。秀太(4年/東京農業大学第一高校)からも「自信もってやれよ」と言われ、まさきさんが秀太に相談していたことを知りました。秀太、まさきさん。ありがとうございます。迎えた法政戦。クラブハウスからグラウンドに向かって歩くと、ほぼ全コーチに声をかけられた。「失敗を恐れず仕掛けろ。自信を持ってプレーしろ。」と。もうやるしかないと思った。たくさんの応援もあった。自分の中で何かが吹っ切れたような気がした。そしてチームは勝利。自分自身もこの勝ちに貢献することができた実感があり、満足感があった。そしてなによりサッカーが楽しかった。自分はほんとに周りの人に恵まれ、たくさんの支えがあってここまで来れてることを実感した。サッカーがたくさんの素晴らしい人と出会わせてくれた。自分1人の力じゃ絶対にここまでこれていなかった。それは応援に関してもだ。高校の友人たちや学科の友人たちはSNSを見て連絡をくれたり、中には応援に駆けつけてくれる人もいる。恥ずかしいけど、やっぱり嬉しい。また、今まであまりサッカーは見てこなかった自分が、初めてファンになったのが、Jリーグでの海外のチームでもなく、立教サッカー部であった。今まで応援する・されるの環境になかった自分にとって、大学に入ってからは応援することもされることも好きになった。関東でスタメンで出るようになってからは毎試合、朝起きた瞬間から緊張が始まる。1週間で唯一昼飯がのどを通らないほど緊張する。アップで緊張のピークを迎え、試合前ミーティングでも座っていると落ち着かないから1人だけずっと立ってる。けど、千尋にケツ入れてもらって、すず(4年/MG)の笑顔を見ると一気に落ち着く。選手やコーチたちとハイタッチしてパワーをもらう。そしてピッチに入場して、常に全力な遼平を筆頭に応援の声が聞こえてくる。自分の名前が聞こえてくる。その瞬間一気に緊張がなくなる。自分にはこんなにも仲間がいることを実感し、応援してくれる人のために戦おうという気持ちになる。また、一緒に試合に出て苦労を共にしたことがある人、色々な思いを抱えながらも闘う同期、これからの立教を背負っていくであろう後輩たち。そんな人たちの試合を見ていると、応援しているようでどこか自分が応援されているような気がしていた。それが自分が毎週末頑張る理由にもなっていた。だからこそ自分のプレーで誰かに何かを伝えられたらいいなと思っている。残された期間はあと1か月。つくづく自分はサッカーが好きなんだなと感じる。でもそれ以上に、サッカーがあるこの生活が好きなのかもしれない。練習前にトレルに行くといつもの顔ぶれがいて、グラウンドに向かうと練習終わりの人たちとすれ違うあの時間であったり、いつ終わるのかわからない自主練。練習後にダラダラしてるあの時間。昔から練習後の時間が好きだった。そして弁当の時間。車で帰るあの時間。今まで当たり前にやってたことが引退したとたん急になくなると想像しただけで寂しくなってくる。だからこそ後悔しないようにしたい。今まで自分は誰かのためにプレーしてきた。それが巡り巡って結果的に自分のためになると思ってやってきた。けど残りの試合は自分のためにもプレーしてみようと思う。得点やアシストをしたい。それが結果的にチームの勝利のためになると思うから。現状、関東で負けが続き、チームは苦しい状況にある。この残りの期間、自分がAに存在する意味って何だろうって考えた。今からたか(4年/新潟明訓高校)みたいなサッカーセンスを身に着けることはできないけど、チームのために走って闘うことができる。自分の特徴でもあるぎゅんで得点やアシストをし、チームの勝利に貢献することができる。遼平や基樹、心大からもいつも言われる「お前ならもっとやれる。」という言葉。自分のプレーでチームを勝利に導くことができるのはピッチに立っている人しかできない。応援してくれる人たちの思いも背負い、チャレンジし続けることが自分の存在価値であると思った。そして、自分のプレーは足が速くて、ドリブルで相手をかわすといったサッカーをよく知らない人でも見ててわかりやすいプレーであるからこそ、そんな人たちに感動を届けたい。また、大した高校でなくても、1年の時にDでも、怪我が多くても、関東で戦えるってところを証明したい。それが今自分がAに存在する意味だと思うから。最後にとびさん気づいたら大学サッカーの半分以上をとびさんのカテゴリーで過ごしてました。怪我が多く、何の実績のない自分を信頼し、使ってくれてありがとうございます。その恩を返せているかはわからないけど、残りの期間で返していきたいと思います。水さん浅井さんのブログに書いてある通り、今までで1番熱い人でした。水さんが試合中にベンチからかけてくれる声のおかげで、どんなにきつくても足が動くし、チームのために戦うことができます。ありがとうございます。やぎ鍼灸接骨院へ毎日のように通院し、体のケアをしてもらうと共に、先生たちと話すことで心もケアしてもらっていました。色々と迷惑もかけていると思いますが、今自分がサッカーできているのは間違いなく治療院のみなさんのおかげです。ありがとうございます。トレーナーへ自分は怪我が多く、感謝してもしきれません。多聞君(24卒)と出会い、トレーナーって仕事をほんとに尊敬してます。かっちゃん(3年/TR)となる(2年/TR)にもほんとに毎日のようにお世話になりました。特にラスト1年、千尋には心も体もほんとに支えてもらいました。ありがとう。両親へ引退してから伝えたいと思いますが、ほんとにいつもありがとう。まとまりがなく長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。おまけ(もともと遼平にもお願いするつもりでしたが、その前に勝手に送りつけてきてくれたので、特別に最後にのせます。)言わずと知れた所沢のスピードスター、りょーたろー。1年目は一緒に戦い、クロスボールが明後日の方向へ飛んで行き、ゴール前に突っ立っていたキノを激怒させた通称「ありえんてまじで事件」が懐かしい。そんなりょーたろーが今や関東を舞台に活躍し、立教に欠かせない選手になっていること、心から誇りに思うし、負けてられないなと何度も思いました。温厚な見た目とは裏腹にオフの日には涙を流しながらチームへの想いを語る一面も。そんなアツイ漢のブログにヤケド注意!!大好きだぜ!!りょーたろー!!松木遼平(4年/八千代高校)1年2年3年4年最高の同期志木BBQトビチル地元と高校の応援団Next...No.7 北村基樹(MF/清水東高校)

    4年生引退ブログ No.6 加藤遼太朗
  9. 通信制生徒体験発表会\\\٩(๑`^´๑)۶////
  10. 配属教室、決定!
  11. TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️13感覚は7:3圧勝💖アメリカはカオスが続く⚡️🇩🇪フェミニサイドは文化的マルクス主義者の創作であり目下の真の問題から目をそらすためのものすなわち非西洋移民によるヨーロッパ白人女性に対する性的暴力の増加や西洋のイスラム社会における名誉殺人の増加ヨーロッパはDS文化自体が崩壊中女神の時代になりフェミニンのパワーを削がないと自分たちの終わりが早くくるなのでエリートたちの女性は男性にさせ女性は男性にさせているのですこれがバレ始めると数年前から西側ではLGBTキャンペーンをおこないメディアはオカマタレントの露出を増やしていますただ日本はあまり盛り上がりませんねそれにしても欧米人はなかなか目覚めない騙されているのに黒いパンツを履いてボディにペイントし裸でデモこれは奴らがみなさんをバカにして笑っているだけの悪いショーです🇪🇸スペインバレンシア州ウティエルで洪水ここ最近は洪水のニュースは沢山ありましたがスルーしていましたがひさびさにスペインを救助できずそのままに乾燥した土地や雨の少ない土地の洪水はこの土砂が特徴で洪水になると赤い土砂にすると押し流す力は数倍になり浮かんだ車がどんどん流されていきます土砂はあらゆるものを流し乾けば表面を覆い尽くし破壊してしまいますオマケNew Republic⭐️新共和国💖『❇新共和国❤️リンクまとめのまとめ❤️新共和国』❇新共和国❇️『❇新共和国❇️リンクまとめ❤️新共和国』『①コンこん! 誰かおられますか? イエス❤️がお呼びですよ!⭐️新共和国❤️』コンコン!おられますか…ameblo.jp

    13感覚は7:3圧勝❤️アメリカは選挙カオスが続く⚡️ TOO✨HOT ⭐️WROLD⚡
  12. TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️③感覚は7:3圧勝💖アメリカはカオスが続く⚡️🇺🇸ペンシルベニア州の民主党の74歳の男がペンシルベニア州立大学でのトランプの集会の前日にあいつを撃ち殺してやりたいと殺害脅迫した疑いで逮捕オッさん?オバさん?妖怪?🇺🇸ペンシルベニア州の民主党は有権者保護の大きなヒモをつけた工作員を雇いまるで政府の選挙管理者であるかのように振る舞いますこれは違法行為です🇺🇸西側が非難し選挙結果を認めないベネズエラやキューバやジョージア非民主的?どこが?何が?自分たちが仕込んだ傀儡の犬(🐕ゴメン)が負けたらワンわん吠えるだけじゃ非民主的な第3世界の選挙がどのようなものか観たかったらこれを共和党員の投票が多すぎるため警官が投票の列を閉鎖これはキューバでもベネズエラでもなくここはペンシルベニア州ペンシルベニアは醜い州都はフィラデルフィア1879年にインディアンを殺し人間を助けるとのスローガンのもと(野蛮人の心を殺し善良なキリスト教徒として救済する)というインディアンの児童を強制的に収容民族浄化の方針により言語も文化も奪って白人に同化させるインディアン寄宿学校の第一号カーライル・インディアン工業学校が全米で初めて開校された醜い地これは人類を皆殺しにしこどもたちを奪い一部は食べ儀式に使い一部は労働奴隷と性奴隷にそして従順な一部は教化と称して悪魔教を信じるDSに変えていく輝かしい自由の国アメリカが生み出されていく最も醜い場所なので未だに世界一醜いのです④感覚は7:3圧勝💖アメリカはカオスが続く⚡️へ続くNew Republic⭐️新共和国💖『❇新共和国❤️リンクまとめのまとめ❤️新共和国』❇新共和国❇️『❇新共和国❇️リンクまとめ❤️新共和国』『①コンこん! 誰かおられますか? イエス❤️がお呼びですよ!⭐️新共和国❤️』コンコン!おられますか…ameblo.jp

    ③感覚は7:3圧勝❤️アメリカは選挙カオスが続く⚡️ TOO✨HOT ⭐️WROLD⚡
  13. お疲れ様です1回の岡田です もうなんか最近寒すぎません?寝るとき窓開けてたら起きたら鼻が終わりましたいきなり寒くなるのが全部悪いんですよね今ってもう冬なんですか?それともぎりぎり秋?わからんけど間の気温が欲しい…ってことで今日の練習です朝のプールはやっぱり寒い今日のメインはプルでしたプルが苦手なんでこういう練習になるとやっぱりしんどいんですよね特にブレのプルって難しすぎません?とりあえずいつか慣れると信じて頑張ります僕の学科って実験があるんですけど前期は中学とか高校とかでした化学の実験しててこれはまだたのしかったんですよ問題が後期で後期から生物の実験始まっちゃっていまは観察とかなんでただただ時間かかって嫌とかだけなんですけどそのうち解剖とかあるらしいんですよね。僕血に耐性なさすぎて自分の採血とかも見れなくて、自分の傷とかも見るの苦しいんですよね。手術の後はもうなんかいろんなとこ血だらけなさすぎて吐きそうなってました。映画とかドラマとかの血は全然余裕なんですけどなんでなんですかね何ならこの前血のり使うことがあったんですけど全く吐き気とか無かったんですよね。不思議あとなんか分かんないんですけど尖ってるものとか見ても目痛くなったりするんですよね。これ多分通り魔とか来たら血とナイフのダブルで動けなくてThe endっすねあと最近あったことなんですけど学科で僕だけがとってる授業があるんですよ(何とは言いませんが )前その授業で課題がでて終わり次第帰っていいっていう授業やったんですよ僕はもう高速で終わらせて20分くらいで終わらせたんですけど近くの人に筆箱忘れた人がいて筆記用具貸してたんですよ。なんで自分終わっても結局最後まで残ることになったんですよで、せっかく残ったんでじゃあその人と話してみようって思ったんですよ。なんで階段をいつもよりゆっくり下ってたら話せそうなタイミングくるかなとか考えてたんですけどなんか階段降りきっちゃったんすよねなんでやろって思ったら結局その人違う階段使ってたんですよね。ちょっと悲しかった…向こうからしたらすっごい迷惑やけど、どうにか後期中に一回は話しかけるっていう目標ができました。僕にとってはめちゃくちゃ書いた方なんでこんくらいでご勘弁を次はゆうさんお願いします

    秋っていつですか
  14. お疲れ様です。二回生の越智です。本日のメニューです。今日は朝からしょうきさんがいらっしゃいました!最近、OB戦に向けて4回生来てくださるのうれしいです!研究頑張ってください^^昨日1日空いたので、水温下がってないかびびってましたがそんなの杞憂でした!笑 26.5度!今年ほんとに暖かいです!ありがたいありがたい^^今週はS1スピード持久力ということで、200のブロークンを行いました。ラスト以外フットタッチでいったんですけど、このおかげで足が動かない動かない笑でも75から躊躇なくスピード出せたので、それはよかったかなあ…200もったら100は余裕だよね精神で嫌わずに頑張りたいと思います。8ケイ候補にはなりたくないですが、笑あとプルのサイクル1:15に挑戦しましたが、いろいろあって納得いってません。笑ちゃんと準備してリベンジします、近いうちに!!あんまり書くことないけど雑談・睡眠大事だよねって話昨日ゆうすけも言ってましたが私も思います、睡眠大事!!越智の睡眠ルーティンは19:00 帰宅19:30 夜ごはん20:30 お風呂21:00 ニュース見ながら、キウイ食べる21:30 寝るこれで5時半に起きたら、8時間睡眠!しかも昼間眠たくなることはないし、夜は死んだように寝れます笑日記が投稿されるまでに寝るこれが密かな目標!がちでみんなにおすすめします!(夜連絡取れなくなることだけあきらめてね)・秋葉山の果て秋葉山に行くときのバスは「和歌浦ゆき」その和歌浦港にいきました。いつかのオフ^ ^さっきまで泳いでたシラスがそこらじゅうで乾かされていて異常なほどわんこが散歩してたり、なんか、ゆっくりした時間が流れていました。(わんこほしい…)プールしかないと思ってた和歌山の印象、変わります笑ぜひ!・ゴツくなりたい計画まずは食べることからやと練習後にプロテインバー夜ご飯+納豆ご飯を意識しています!でも昨日体重測ったら3キロも、増えてました笑嬉しいけどこれって筋肉なのか?あと体重管理って本当に難しい…・着々と進んでいます!先日の投票に基づいて、試合用リュックのデザイン考え中です…一旦こないだ投票してくれた人と話し合ってるんですが、自分もやっぱりほしくなってきた!の人はいつでも連絡くださいね^ ^なんか宣伝みたいになっちゃった笑・なぎポが黄身のことかわいいって言ってたけどこれもかわいいのかな?ちなみに見た目通りで美味しかったです幸!・ヒトが一生にうつ心拍数1年後のゆいがへテスト出るらしいよ!!この辺りで失礼します。明日は咲良さんにお願いしています!以上です。失礼します。颯葵

    JR定期復活!
  15. TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️『❇️GOLDEN⭐️AGE❇黄金時代⭐️❤️リンクまとめ❤️新共和国』『銀河連邦①黄金時代⭐️始まる❤️キター✨ミラクル⭐️な時代へ✨内なるマジック❤️を取り戻』ゴールデン・エイジ黄金時代に向かって旅するわたしたちは銀河連盟と宇…ameblo.jp16トランプ💖黄金時代⭐️がすぐにくる✨と俺たち💖アパッチ💖反乱軍⚡️🇺🇸数百人の警察官がコロナワクチン義務化をめぐりクイーンズランド州政府とQPSに対し集団訴訟を開始勝ちますね🇺🇸ファウチの後任であるマンディ・コーエンとチャック・シューマー上院議員ははにかんだうすら笑いを浮かべながらワクチンの再接種を呼びかけていますこの期に及んで大丈夫?必ず訴えられますよ🇩🇪ドイツは衰退中フォルクスワーゲンはドイツ国内の少なくとも3つの工場を閉鎖数万人の雇用を削減したいとさらにフォルクスワーゲンは残りの全従業員の月給を10%引き下げ2025年と2026年に2回のゼロラウンドを実施し手当とボーナスの廃止を求めています役割を終えた感のあるWV🇳🇴ノルウェーの外交官ヤン・エーゲランド世界中を旅すると西洋人は産業規模の偽善者だといわれますとそうですねーこれまで欧米は為替を使って自分たちの金銭や産業の価値を水増ししてきましたそして植民地支配で編み出した支配国通貨は1/10にして搾取を今日まで繰り返してきましたしかしもう終わります西側の経済指標やIMFや世界銀行の発表なんぞえんぴつ舐め舐めの嘘だらけ円はすぐ倍になるでしょうね17トランプ💖黄金時代⭐️がすぐにくる✨と俺たち💖アパッチ💖反乱軍⚡️へ続くLeonor💖レオノール💖『①カタリCATARI ❤️復活⭐️ 新共和国✨女神❤️ Leonorレオノール❤️新共和国⭐️』①カタリ💖復活⭐️新共和国✨女神💖レオノール💖CatariカタリCatalunyaカタルーニャCatalonha カタロニア全て同じカタリのことです『❇ …ameblo.jpClaudia Sheinbaum💖クラウディア・シェインバウム💖『❇ Claudia Sheinbaum ❇女神クラウディア❤️リンクまとめ❤️新共和国』『① 女神❤️クラウディア❤️誕生✨ 最後⛔️のDS⛔️も必死⚡️ TOO✨HOT ⭐️W』TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️①女神💖クラウディア💖誕…ameblo.jpKaiMadisonTrump💖カイ💖マディソン✨トランプ💖『① KAI❤️ブーム✨の予感⚡️アメリカ⭐️に新✨女神❤️誕生⭐️ ✨TOO✨HOT ⭐』TOO✨HOT🔥WROLD🌏NEWS⚡️①KAI 💖ブーム✨の予感⚡️アメリカ🇺🇸に新✨女神💖誕生⭐️🇺🇸ここにきてアメリカに新女神の登場ですKai Ma…ameblo.jpNew Republic⭐️新共和国💖『❇新共和国❤️リンクまとめのまとめ❤️新共和国』❇新共和国❇️『❇新共和国❇️リンクまとめ❤️新共和国』『①コンこん! 誰かおられますか? イエス❤️がお呼びですよ!⭐️新共和国❤️』コンコン!おられますか…ameblo.jp

    16トランプ❤️黄金時代⭐️がすぐにくる✨と ✨TOO✨HOT ⭐️WROLD⚡️NEW
  16. これがそれこれがわかれば5DAbsolute Ego Dance - Extended DNK-G & CNRz Mix / Y.M.OYellow Magic Orchestra [ Absolute Ego Dance ] Remix Ver.2014#ymo #remix #chicknormanyoutu.beABSOLUTE EGO DANCEダンスhttps://m.youtube.com/shorts/qxqRACZz1YY曲https://music.apple.com/jp/album/absolute-ego-dance-2018-bob-ludwig-remastering/1537214897?i=1537214899#YMO#高橋幸宏#...youtube.comYMO : Absolute Ego Dance 《1980武道館ライブ風味》 coverもしも? て・き・な~感じ~ て・き・な~感じ~youtu.beYMO - Absolute Ego Dance(Denki's Eisa-Rmx)Rare!YMO Remixes Technopolis 2000-00Label:Victor Entertainment JapanCatalog#:VICL-60073~4Format:Vinyl (LP)Country:JapanReleased:22 Nov 2000Genre:Electronic Style:...youtu.beエゴがダンスしています宇宙のサーフィンもCOSMIC SURFIN' - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATREYMO "Tubes Opening Act"4th August, 1979. Live at The Greek Theatre in L.A.youtu.be『これがそれ』これがそれ楽しみです♪ameblo.jp『達ちゃん My love's on fire 大だい大好き❤️MUSIC』山下達郎「LOVE'S ON FIRE」Director : Yuichi Kodama ( vivision)Girl : Yuumi KawaiBoy :…ameblo.jpElectric Light Orchestra - Last Train To London (Extended Rework Dj S Bootleg Dance Edit) [1979 HQ]Electric Light Orchestra - Last Train To London (Extended Rework Dj S Bootleg Dance Remix Edit) [1979 HQ]Electric Light Orchestra (or short ELO) were a Briti...youtu.beNile Rodgers CHIC Live at Montreux 2004 -At last I am free -.flvI do not own the rights to this video...this is merely one of my favorite songs that I am preparing to perform at my own up-and-coming show in February!! Pra...youtu.be『まとめ❤️大だい大すきー ①MUSIC&SOUND&VIBES』嬉しい😆楽しい😚大好き😍だらけ『凍てつくコールドハート Dua』Cold, cold heart...Elton John, Dua Lipa Co…ameblo.jp『❤️大だい大すきー ②MUSIC&SOUND&VIBES』❤️大だい大すきー①MUSIC&SOUNDから続く『まとめ❤️大だい大すきー ①MUSIC&SOUND』『凍てつくコールドハート Dua』Cold, cold…ameblo.jp『❤️大だい大すきー ③MUSIC&SOUND&VIBES』❤️大だい大すきー②MUSIC&SOUNDから続く『まとめ❤️大だい大すきー ②MUSIC&SOUND&VIBES』❤️大だい大すきー①MUSIC&SOUND…ameblo.jp

    たくさん共感されています

    これが❤️それ✨これがわかれば5D⭐️I❤️MUSIC⚡️エゴ⛔️がダンスしながら⭐️新共和国
  17. こんばんは!ありさです!最近生活リズムがおかしくなって必然的にご飯を食べずにいたら4キロやせました🤣どうせ戻りますけど、さて今回も引き続きシーズンを終えた感想をご紹介していきます!-----------------------------しょうは(1年/RB/LB/#34)① シーズン中で4年生や3年生、2生の背中の大きさを知った。思い通りのプレーもやることができなくて力不足を痛感した。②正直自分の中でベストプレーと呼べるものは1つもないがらいせいさんの代わりにキックで出た時に思い切り蹴ることができたのは自分の中でベストプレーだった。③ オフシーズンを含めた次の目標は、キック面であと10ヤード遠くまで蹴れるようになることと高いボールを蹴れるようになること。メンタル面としていろんな状況下に置かれても頭は冷静でいられるようにすること。そしてFBとしてフィジカルやハンドリング技術の向上、最後の1歩を出して前に倒れることが当たり前のようにできること。です!よろしくお願いします!きょう(1年/OL/DL/#51)①今シーズンの感想:1年生として多く試合に出させて貰ったが、まだまだ自分には足りない思考力や技術面での問題も多く、先輩に助けられた場面が多くあった。その場その場で臨機応変な判断力を試されるため、体づくりはもちろん、アサイメントに対する理解も深めよう思えるような良いシーズンを過ごしたと感じた。②自分の中のベストプレー東農戦でのパスプロ③次の目標全試合でQB suck④お気に入りの写真⬇️たく(1年/OL/DL/#55)①初めてのシーズンで予想以上の出場機会と色々な経験を積むことができて、有意義なものにできた。②東農戦の第4Qのダイブ③体重、筋肉を増やす-----------------------------試合に出ていた選手たちは先輩に負けず、チームを支える活躍を見せてくれましたし、ベンチにいた選手も精一杯応援していましたし、このシーズンはみんな一丸となって戦う事が出来たと思います🙂‍↕️新チームへと変わりましたがこれかも変わらない活躍を期待してます‼️今回はここまでです!次回もお楽しみに😽

    #587 シーズンを終えて vol.3
  18. 本日手術が無事終わったと報告がありました、めるからバトンを受け取りました!らなです!めるちゃん私も遊びに行きたい遊びに行こう〜🥹🥹まさか自分が引退ブログを書く日が来るなんて思ってもいませんでした!引退なんて言葉が見えないくらい強くて、勝ちを信じ続けて練習してきた24チームに所属できたことは私の誇りです。自分語りとか苦手で、多分同期のように熱くて、みんなに感動を与える文章なんて書けないので、ドライヤーしながらとか、授業中暇だなって時に読んでください笑今までスポーツ経験のなかった私がなぜか大学でいきなり始めたラクロス。スタートはみんな一緒なんて言うけど、バスケ経験者のディフェンスに勝てるわけないし、陸上経験者の足にかなうわけない。運動部に所属してた人の体力なんて私からしたら計り知れなくて、どう頑張ってもこの人たちには勝てないなって思った。バスコで同期と文句を言いながら始まった練習も気づいたら周りの同期は少なくなっていて、ほとんどが後輩になってた。でもそこに悔しいという感情はなくて、「だろうな」っていう気持ちの方が大きかった。センスがないのに努力をしてこなかったのは自分。いまさら努力をしてみる勇気も持ち合わせてなかった。あっという間のラストイヤー。教育実習から帰ってくるとまわりはとてもうまくなっていて、「ああ、入る場所ないな」って思った。それでも私の居場所を残しておいてくれてありがとう。そして最後の準リーグ。試合が終わったとき、らびが号泣しながらごめんなさいって言ってくれて、負けちゃった、終わっちゃった。って実感がわいた。ごめんなさいじゃないんだよ。私が後輩に感謝しなきゃいけない。こんな弱々な人間だから後輩と話すのは苦手だし、接し方もわからなかった。それでも私にアドバイスをしてくれたり、アドバイスを求めてくれたり居場所を作ってくれた。ありがとうって言葉じゃ足りないくらい感謝してるよ。恥ずかしいほど大きな声で言ってくれるBチームのみんなの「ナイディー!」って声、とっても嬉しかったよ。最後まで四年生とラクロスしたいって言ってくれてありがとう。最高のチームだね。この4年間、楽しかったことより辛かったことの方が何倍も多くて。それでも勝つことの嬉しさや、負けた時の悔しさ、人間の泥臭さを経験できたことは私の人生にとってなによりの財産です。引退ブログといわれて、写真がなくて焦るくらい見せ場のない私のラクロス人生だったけど、みんなのおかげで悔いなく終わることができました。とても読みにくい文章でごめんなさい。最後はメッセージで締めさせてもらいます。同期へいちばんだいすき!ほんとに!いちばん!みんなの笑顔1番可愛い!24チームを引っ張るみんなが本当に私の誇り!人に合わせるのが苦手なくせに自分の意見をしっかりもっているような人間じゃないのに、仲間に入れてくれて、関わってくれてありがとう。32期で本当に良かった!全員尊敬できる人!最強の15人の同期!これからも時々会おうね。たくさんたくさんありがとう!パパとママへまずこのブログの存在を知っているのかすら怪しいけど、笑ママは本当に毎朝起きてくれてありがとう。夜勤の日もあったのに、朝5時に起きてる!?って電話してくれてありがとう。女ラクに入って、洗濯機の回し方やお金の振り込み方とか引き出し方とか、何も知らなかった私が色々なことを知ることができました。たくさん迷惑かけてごめんね。たくさんありがとう。親孝行もう少し待っててね。私へ女ラク入ってくれてありがとう!絶対に焼けたくないし、インスタにラクロスのこと載せたことはないような私がなんで入っちゃったんだろうとか毎週のように思ってたけど、毎朝始発でよく頑張ったね、お疲れ様!これからは好きなネイルができるし、可愛い格好してお出かけできるし、地方のコンサート日帰りしなくても済むのに、気が向かないのは多分それだけ女ラクでの生活が楽しかったってこと。こんな楽しい世界に飛び込んでくれてありがとう!4年間ありがとうございました!みんなのおかげでめーーーっちゃ楽しかった!結局楽しかったで終わる引退ブログだから、4年間辛いことより楽しかったことの方が多かったのかもね。楽しかったのは私に関わってくれたみんなのおかげです。本当に本当にありがとう!!32期 らな次は変人揃いの32期の中でも特にずば抜けて変ななぎです!✨なぎのがむしゃらに頑張れるところは本当に凄いところです。そんななぎはどんなブログを書いてくれるのでしょうか?なぎちゃんへ今日ホットヨガ体験行ってたね🧘🏽‍♀️私もホットヨガしたいんだけど、行く気が起きなくて謎に今日は一キロ走ってきました🏃🏻‍♀️以上近況報告でした☺️

    引退ブログ 「私らしく。」 らな
  19.  通信制のZEN大学に設置認可が下りました。ZEN大学(仮称)(設置認可申請中)日本発の本格的なオンライン大学で、大学卒業資格取得に必要な学びをネットで完結することができます。時間を問わず主体的にキャリアスキルやクリエイティブなどが学べます。zen.ac.jpほぼオンデマンド授業 ドワンゴなどの通信制大学「来春開校」認可へ:朝日新聞デジタル IT大手ドワンゴと日本財団が来春開校をめざして認可申請中の通信制大学「ZEN大学(仮称)」(本部・神奈川県逗子市)について、文部科学相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が29日、設置を認める答申…www.asahi.com  授業料が38万円と安いのが魅力。 学部学科は知能情報社会学部知能情報社会学科だけ。 でも,「数理」「情報」「文化・思想」「社会・ネットワーク」「経済・マーケット」「デジタル産業」の6分野を横断し,文系の学びも理系の学びも好きなだけ学ぶことができる,とあります。 この中の「数理」「文化・思想」に興味津々です。 カリキュラムを見てみると,私が学んでみたい科目がたくさんあります。「数理」では線形代数,解析学,数学史,科学史,力学,量子力学など「文化・思想」では,哲学,科学哲学,日本科学史,日本文学,文化人類学など さらに,教授陣には,著名人もいます。竹内薫(科学コミュニケーション)東浩紀(哲学,表象文化論) まだ,概要しかわからないのですが,とりあえず資料請求してみました。 おそらく,私のような社会人はあまり想定していないのでしょうが,数理系を学べるという点では,現在の通信制大学にはない魅力です。 ※放送大学では数学のほかに多くの科学分野を学ぶことができます。 私は,現在,放送大学で「微分積分」,「哲学・思想」の講座をとっていますが,正直なところ「自学自習」と同じです。 違うのは、テストがあることぐらい。 レポート提出もありません。 そんな感じなので,放送大学は今回で終わりにする方向に傾いています。 それじゃあ,4月からどうする? となり,慶応大学を第一候補にしようか? と思っていたところ,ZEN大学が開学するということになったわけです。 ZEN大学を色眼鏡で見ることは良くないのですが,私が学年主任をしていたとき,N学園に進学した生徒がいました。 入学金,授業料の額を見てびっくりしました。 大学並みでした。 対面授業のほうが学ぶ環境として適していると思っている私としては,まだ不安を持っています。 もちろん,通信制高校や大学の存在意義はあると思っていますし,そういう環境でなければ学ぶことが困難だ,という若者にとってなくてはならないものだと思います。 高校はすでにN高校,S高校があり,R高校を準備中だそうです。 それらの高校の卒業生の受け皿がなかったというのもあるでしょう。 でも,狙いとしては,もっと幅広く学生を集めたいのではないでしょうか。 通常の大学に適応できる学生もターゲットにしているように思います。 なにせ,募集人員が3500人ですから。 ※申請時は5000人。それを減らされたそうです。

  20. 私が勝手に心配してネットで調べた情報では理系の実験は大変!らしい。私も夫もは文系だったから実験はなかった。ネットの噂では薬学部の実験ももれなく予習・実験・レポートがセットで大変と。終わりが見えなくて8時9時も当たり前とか。娘の大学は地頭はそれほど良くないけれど真面目な子がほとんど。ペアは変わるけれど大抵の子は実験の予習もしっかりしてくるからそこまで遅くなることはない。娘も遅くて6時半ごろまで。↑フラスコを割ってしまったらしい。娘は予習もしっかりしていくけれどレポートも実験結果と考察を書くだけまで事前に仕上げてあるので実験後も特に大変そうどころか早く実験が終わることも多く文系の彼氏が授業が楽な日は連絡して夕方デートに行くことも。まだ2年生だから楽なのかもしれない。後期は来月で実験の授業は終わる。娘にとっては実験は楽しみでもあるから余計に大変とは思わないのかも。実験が大変になるのは研究室に入る4年からというのが大学の先輩情報。それも研究室によるらしいのでそこまで大変じゃない研究室に入るため娘は成績上位目指して頑張るらしい。まだ薬学部2年生は授業は大変そうでは無い。なんなら1年生より余裕があるくらい。3年生になったら大変になるのかなぁ。

    薬学部2年の実験授業