
14MAR.
厳密な「公平」とか「平等」とかないから
コバショーさんもたまにはいいことを言う。大学受験に「真の公平」とか存在するのか?いや、しないよね。それどころか、あらゆる人生に「完全な公平」や「完全な平等」というのは「ありえない」のは原理的に考えて「あたりまえ」かと思うのです。人は生まれた時から、「国」が違うし、「親の経済力」が違うし、「親の思想」も違うし、はっきりいって「社会階層」も違う。「天皇」の家に生まれる子もいるし、「ヤクザ」の子もいるし、「医者」の子もいるし、「大金持ちの富裕層家」の子、「シングルマザー」の子、いろんな事情(親が事故で亡くなったり)で「親がいない」子もいる。もってうまれた「才能」の方向性も違う。数学的センスのある子もいれば、音楽的才能のある子もいるし、野球で花開く子もいる。これといった特色のある才能がない子だっているに決まってるし。なんらかの「特性」(良いも悪いも)も違うし。「生まれつきの病気」がある場合だってある。生まれた時から、当然「いろんな差」があるのが「あたりまえ」かと思うのです。それは「本人のせい」ではない。ただ、その「差」というのは、単に「違い」という意味で、「どっちがいい」とは必ずしもはっきりしないことだってあるかもしれません。「富裕層の政治家」の長男として生まれたら、政治家になることを義務づけられて育つかもしれませんが、それは「喜ばしい」ことと捉えるのか、「自由に自分の人生を生きられないクソみたいな運命」と捉えるのかは、結局本人次第だし。「天皇家」の子どもとして生まれたら、そりゃ最高のことのように思うかもしれませんが、安徳天皇のように、政争に巻き込まれて幼い命を壇之浦に投げ出すことだってあるわけだし。「マリーアントワネット」も「アレクサンダー大王」も、ある時期「頂点」をきわめたに違いないですが、「幸せ」かどうかはかなり疑問です。とにかく、人は「生まれた時」から「環境」もちがえば「持って生まれた才能」も違う。これは「あたりまえ」のことなので、これを「前提にして」考えなきゃいけない。てゆーか、そこ考えてもしょーがない。それぞれで「違う」んだから、「違うなりに」生きていくしかない。世の中は「不公平をなくす」方向に調整を進めるべきだと思うし、それは「政府」なりが考えることでしょうが、それとて「民主主義国家」「法治国家」だからこそある程度機能しているだけの話で、アフリカや北の方ではそれすら怪しかったりする。「身分制」が残ってる国だってあるんだし。とにかく、「自分に割り振られた能力・環境」を元に、それぞれの「人生」を生きる他ないのです。最初に割り振られたモノの違いを、嘆いたり、羨んだりしても、しょーがないわけ。「いいなー俺も大金持ちの社長の子に生まれたかったなー」とか、「いいなー俺も勉強しなくても成績一番の頭の良い子に生まれたかったなー」とか、そんなん言うてもしょーがない。しょーがないこと、いつまでもグチグチ言うても、それこそしょーがない。その、愚痴言う時間、意味がないですから。うらやましい他人をみながら「自分に与えられたものは少ない」と考えているかもしれないですが、それホントに「少ない」?もちろん、見方にもよるでしょうが、結構「過小評価」している可能性が高い。いやいや意外と「立派な能力・環境」が与えられているかもしれない。明石家さんま曰く「生きてるだけで丸儲け」です。他人と比べてばっかりだと「惨めな気持ち」になってくるかもしれませんが、「自分は自分」だと意外と、結構楽しいものです。「よそはよそ。うちはうち」の精神で。自分にできる範囲のことを楽しんでやるしかないわけで。あんまり人と比べない。ついつい比べちゃう気持ちはあるに決まってるけども。「自分なりのベスト」を追求していると、「人と比べてもしょーがない」結論にいきつくと思うのでした。****************いつもお読みいただきありがとうございます。あなたが読んでくださっているおかげで、ブログが更新できています。あなたが読んでいなかったら、このブログは存在しないも同然です。いつもありがとう。また来てね!↓ぜひこちらをクリックして、応援よろしくお願いします。にほんブログ村にほんブログ村

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