
27APR.
素戔嗚尊と巨旦大王の合戦の続きです。
小野 龍海’s 歴史塾このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。ono-no-tatsumi.amebaownd.com 前回は苦労の甲斐が無かったのですが、今回はどうでしょう?続き「その真心に、天皇(天王)の心も慰められました。将来(蘇民将来)は、粟(あわ)の茎を抱えてきて、それを重ねて上質な座席(上閣)を作りました。天皇(牛頭天王)は歓喜してその席にお座りになりました。さらに将来は、お供の者たちを中閣へ、二人の従者を下閣へと案内しました。室内は狭かったものの、全員が泊まれないことはありませんでした。 天皇は仰いました。「私は長旅を耐え忍んできたが、人馬ともに疲れ果てている。お前に食料はあるか」 翁(将来)が答えました。「私は貧しく蓄えもございません。一升の米すらありませんが、ここに一つの瓢(ひさご)がございます。この中にわずかな粟があり、器の半分にも満たない量ですが、これを土鍋で煮れば、またたく間に熟しましょう」 将来はそれを摘んできた葉の上に盛り、差し出しました。天皇はこれをご自身の眷属(家来)たちにも分け与えられました。 天皇は仰いました。「お前の志は十分すぎるほどだ。なんと偉大なことか。富を持ちながら徳のない君子よりも、貧しく孤独であっても慈悲の心を持つお前の方が勝っている。その志に感謝し、千金にも勝る報いを与えよう」 天皇は一晩中、その志に感銘を受けておられました。 やがて夜が明け、鳳凰のさえずる声が聞こえる頃、天皇は急いで南海へ向かおうとされました。 将来は尋ねました。「君(きみ)はどちらから、どこへ行こうとされるのですか」 天皇は明かされました。「私は北天の王である。まだ后がおられないため、南海におられる美しい姫(明妃)を娶りに行こうとしているのだ。ここからその娑竭羅(しゃがら)城までは、どれほどの道のりか」 将来は答えました。「北天から南海までは数千里の道のりです。あなたはまだ半分も来ておられません。ここから先は巨大な海が広がり、深遠にして車や馬が通れる道はほとんどありません。どうやって南海に辿り着き、龍女と出会うおつもりですか」 天皇はそれを聞き、悲しんで北天に帰ろうとされました。しかし将来が重ねて言いました。「私に一艘の宝船がございます。名を『隼鷂(せきれい)』と申します。船の両端は高く大きく、龍の頭や鷁(げき:想像上の水鳥)の首を模しており、その足の速さは一瞬にして数万里を駆け抜けます」 天皇は歓喜して踊るような気持ちで、車や馬を捨ててその船に乗り移られました。すると忽ちのうちに、龍宮城へと到着されたのです。 天皇(牛頭天王)が龍王へ自らの大いなる目的を奏上されると、龍王は快く応じ、急いで不老門を開いて長生殿へと案内しました。そこで天皇は頗梨采女(はりさいじょ)と契りを結ばれました。緑の亀や丹頂鶴もこれを祝い、龍王は山海の珍味を尽くして豪華な宴を幾日も催しました。 それから37年が経ちました。天皇と后の仲は睦まじく、夜は鴛鴦(おしどり)のように寄り添い、昼は連理の枝や比翼の鳥のように愛を誓い合いました。宮中には絶えず音楽が流れ、喜びが満ち溢れていました。 その深い誓いの中で、八人の王子が誕生されました。一は惣光(そうこう)天王二は魔王(まおう)天王三は但魔羅(たもら)天王四は得達神(とくだつじん)天王五は良侍(ろうじ)天王六は侍神(じしん)天王七は宅神相(たくしんそう)天王八は蛇毒気(じゃどくき)神」 今回もなかなか上出来の訳です、微妙に修正はしましたが、意味がよく通る和訳で現代人でもよく理解できます。 私も漢文をテキストに起こしながら読んでいますが、漢文から直接読むと感じるモノってものがあるんです(映画のネイティブな発音から聞いても同じ事が言えます..字幕では分からない感じ..)、それは「コレは史実だな」という感覚的な確信です。 祖佐男命が出雲に封じられる前に居た人物が素戔嗚尊の正体だろうって事です、実は須佐之男や祖佐之男の二人は美男子である事が仏教系で伝わって居ます(笑)、その親の須波佛陀は容姿を伝える情報はありませんが、当然ながらハンサムだった事でしょう。 アヌシャカや須波佛陀、須佐之男、祖佐之男の系譜は「拘利族」と呼ばれ、厳密には釈迦族ではありません、ですが血筋としては釈迦族と言って良いと思います。(※恐らくは「高一族」の流れながら釈迦族の眷族となっている) そして龍王の娘には金毘羅が居る事から、龍王とは「アワナギ」である可能性がすこぶる高い話になっています。(※阿波という地名からアワナギと称している) しかしこの解釈ではまだ少しオカシイのです(微妙にズレている感じ)、よってまだ結論出来ないのですが、少なくともコノ素戔嗚尊(牛頭天王)とは存在していたとして良い事は間違い無さそうです。(※問題は誰なのか?) 須波仏陀は出雲王朝の大王にはなっていないと伝えているので困っているんです。(雰囲気としては須波佛陀も最有力候補!) ともかく、龍王がもてなした「長生殿」は心当たりがあります。 龍宮(※岡山県の)が造らせた「天石門」は徳島県の「石門」にある石門に似ていることはお伝えしてきた通りです、その石門のある地名が実は「長生町」なのです。 BC1Cのシャカラ龍王にして、引退後は龍宮と名のった女性のルーツはここにあったと疑っているんです。 龍宮=頗梨采女では無いと考えていますが、姉妹の一人である可能性は高いとは思います。(おばさんとか) 生まれた8人の子供のうち一人でも特定出来れば誰のことか分かるかもしれません。 八王子を調べると、[八将神]太歳神(木曜星・総光天王)大将軍(金曜星・魔王天王)太陰神(土曜星・倶魔羅天王)歳刑神(水曜星・得達神天王)歳破神(土曜星・良侍天王)歳殺神(火曜星・侍神相天王)黄幡神(羅睺星・宅神相天王)豹尾神(計都星・蛇毒気神天王)[明治の神仏分離後]五男三女正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命天之菩卑能命(アメノホヒ)天津日子根命(アマツヒコネ)活津日子根命(イクツヒコネ)熊野久須毘命(クマノクスビ)多紀理毘売命(タキリビメ)市寸島比売命(イチキシマヒメ)多岐都比売命(タキツヒメ)[八坂神社の祭神]五男(※双子は二人で一人)四女八島士奴美神(須佐之男と祖佐之男)五十猛神(イエス・キリスト)大屋比売神抓津比売神大歳神(面足尊)宇迦之御魂神(イザナミ・豊受姫・龍姫さま)大屋毘古神須勢理毘売命 皆さん分かりました? 生物学的に考えると「あり得ない!組み合わせ」になると考えます、つまりは八王子とは血縁上の親子では無くて、次代を担う資格があるという意味の「皇子」を示し、皇位継承順位の高い者が八島士奴美だったという意味ではないかと考えます。(※五十猛に皇位継承の可能性があった事は重要だろうと思います。) マガダ国の王舎城を継げるとしたら、息子だろうとなります、マガダ国の王と伝わるのは師子頬でしたが、備後太平記の前段の内容としては師子頬で良いのかもしれません。(ショウキ様は師子頬) しかし素戔嗚尊として登場する牛頭天王とは師子頬ではなく息子の豊受(初代の鸕鶿草葺不合尊、宇賀神)と考えれば辻褄が合うと思います。 つまり、私は須波佛陀を素戔嗚尊と考えてきましたが、彼は須波佛陀で思兼命であり、素戔嗚尊では無く、同世代の豊受が素戔嗚尊だったと考えれば辻褄が合う訳です。(※解釈の変更) どうりで須波佛陀が出雲王朝を継いでいないとする伝承が残っている訳です、出雲王朝は祖佐之男を封じた時には、豊受(初代の鸕鶿草葺不合尊)が素戔嗚尊として大王だったと考えられ、その養子に入った八島士奴美(須佐之男・祖佐之男)が大己貴命として出雲王朝を継承していっているのです。 と言うこは頗梨采女とは龍宮の事で良いようです。(笑) 姉妹では無くて本人でした!(笑)龍宮(頗梨采女) 感覚的にはコレで色々と整合性がとれるような気がします、そして、85点としていた釈迦族の系図も修正後は95点ぐらいにして良いと思います。 意外にあっさり解けた感じがありますが、実際には1、2年は掛かっています(それでも早い?)、私にしては時間が掛かった感じがありますが、周辺の情報が埋まるのに時間が掛かったのは仕方の無い話です。(※リグ・ヴェーダも理解しないと駄目なのですから、時間は掛かるでしょうよ!) ちょっとこの後、情報の整理をしようと思います。 あと、石門にある岩の門は「不老門」が正式な名称なのかもしれません。 龍海

ANAのSFC改悪は改悪では無い‼️

気持ちの切り替えが難しい

AIは「本人の魂の現在地」を測定し、本人が全体の中でどの段階にあるのか数学的に識別している