
20MAY.
オメデタイ
午前中四週に一度のジェルネイルの付け替え。伸びた爪をギリギリまでカットして頂く。いつも使用しているカラーのストックが無く今回は別なカラー、アートは毎回同じ。右手。左手。ダイヤモンドカットのストーンを三つ重ねて付けて頂く。四週後の予約を入れてサロンをあとにする。毎回全く同じことしか思わないが判で捺したように四週はあっという間に訪れる。体感よりかなり速く時間というか日が過ぎているように感じる。その時々の時間の経過はごくごく普通だが過ぎてしまうとその過ぎた日数が思っている以上に過ぎている。サロンから場所を移動し、近くのラウンジで小休止後、二つほど所用を済ませ、メンバーシップになっているホテルのSPA&フィットネスでごくごく軽くヒートペリエンスで過ごし専用ラウンジでティータイムを過ごし、場所を移動し、ヘアサロンでシャンプーブローを終えてスウェーデン在住の友人との一年ぶりの再会に向かう。車窓から眺める街は如何にも五月の宵らしく緩慢に見えた。昔からそれは振り返れば十代の頃から五月の宵は特別好きだ。どこがどう好きなのか具体的には全く言葉で表せないのだが、何故か優しく包まれて行くような心地になる。久しぶりの友人とはペニンシュラ東京四階の割烹料理の店で七時に合流し、おまかせプレミアムコースで再会と夕食のひとときを堪能した。友人は夫婦でスウェーデンに移り住んで既に何十年も過ぎている。ご主人は石の彫刻家で友人は大学で何かを専門に教えている。長年の友人だがつい聞き流してしまい彼女が何の研究しているかが分からない始末で無関心なのは自覚している。この友人に限らず、誰に対しても今更知らない訳が無いようなことを知らなかったりする。十八歳からの学生時代からの友人で現在に到るまで始終会っているにも関わらずその友人の誕生日がはっきりと分からないまま一月か二月の寒い時期とだけ認識していたり、誕生日で言えば妹の誕生日も五月であることは分かっているが日にちが二十五か六か、何度聞いても覚えられない。もともと誕生日自体に全く興味が無いことに起因しているのだろう、聞いてもその場で聞き流してしまうようだ。もう少し詳しく言えば人の誕生日はもとより、そもそも自身の誕生日に全く興味が無い。もっと言ってしまえば、今日はワタシのタンジョービデスとわざわざ自らしれっとアピールしてオメデトーゴザイマスと祝われるヒトビトは少なくないしそれが悪いとは思わないが、ごくごく身近な、それは親とか身内や百万歩くらい譲って付き合っているカレとか、何十年来の友人から祝いの言葉をかけられ祝われるのは仕方無いにしても、否、仕方無いという言い方は良くないので言い直すが、嬉しいにしても、それ以外、殆んど交流など無いような遠い相手からオメデトーゴザイマスを言われてどこがウレシーのかまるで分からない。ジブンが誕生したことが赤の他人から祝われるほどのことなのか?というささやかな疑問というか違和感の根底に何様なのかというような恥ずかしさを感じずにはいられない。或いは小さなコドモならいざ知らずいつまでタンジョービタンジョービと祝われたいのか不思議でならない。などと言えば、そんなにひねくれて考えなくとも、ただおめでたいのだから祝えば良いじゃないかと反論されるだろうが、確かにそのように祝うのはオメデタイなあと思う。tuesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。本日も。特に何も無く。

エルパト2回目

お尻の修行(六本木千葉四日市豊明名古屋)、、、とは。

ゴルフ日和(◍︎´꒳`◍︎)