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  1. 偽造マイナカード 千葉県内の「工場」摘発 容疑の中国籍2人を逮捕 「偽造は楽」1日30~60枚製造か2024年5月15日 16時51分 千葉県のアパートでマイナンバーカードなどを偽造したとして、警視庁池袋署は15日、有印公文書偽造などの疑いで、いずれも中国籍で住居不定、無職の彭楽楽(ポンローロー)(28)と住居、職業不詳の陸成龍(ルーチョンロン)(41)の両容疑者を逮捕した。 警視庁は2022年から千葉、東京、大阪で中国人グループの「偽造工場」の摘発を進めており、捜査の中で把握した今回の拠点を4月24日に家宅捜索。グループには、「マイナカードは簡単に偽造できる」と話すメンバーもいたという。 逮捕容疑では、4月24日、千葉県船橋市のアパートの一室でパソコンなどを使ってマイナカード6枚、在留カード36枚を偽造したとされる。署によると彭容疑者は容疑を否認し、陸容疑者は一部を否認している。 署は、偽造されたマイナカード7枚と在留カード約100枚、材料のカード約1万2000枚、プリンター、パソコンなどを押収。2人は中国にいるとみられる指示役の命令で、中国から送られた材料で1日30~60枚のカードを作り、注文主に郵送していたとみられる。 捜査関係者によると、偽造マイナカードの販売額は1~2万円ほど。ラミネートにホログラムが施される在留カードと比べ、「マイナカードはホログラムがないから楽だ」と話すメンバーもいたという。専用ソフトで大量に生産されたカードが別の犯罪に利用されるケースも確認されている。偽造マイナカード 千葉県内の「工場」摘発 容疑の中国籍2人を逮捕 「偽造は楽」1日30~60枚製造か:東京新聞 TOKYO Web千葉県のアパートでマイナンバーカードなどを偽造したとして、警視庁池袋署は15日、有印公文書偽造などの疑いで、いずれも中国籍で住居不定、...www.tokyo-np.co.jp

  2. 再び胃瘻使用が……カミさんは……
  3. 今日の午前中はお出掛けするつもり🌹午後はロンくんが病院に行きます自分で電車に乗って行ってくれたらいいけどね~ロンくんの香箱座りは珍しいおててないないまではいってないきのうの午前中は新シリーズが始まったアニメの鑑賞『鬼滅の刃』と『転生したらスライムだった件』NHKの『烏は主を選ばない』足が三本あるという八咫烏の世界のお話しだんだん面白くなってきたけど”若宮の妃の座をめぐる姫たちの争い”ってどこの世界もいつの時代も同じだなぁドラマは『Destiny』と『肝臓を奪われた妻』元恋人の検察官が被疑者の尋問をしていいのか?『肝臓・・』の方は軽く流して見てます午後は父宅で看護師さんによる初めての背中の手当て裸になって風呂場で傷口を泡ソープで洗う。ついでにオシモもきれいにしてくれました。背中の穴はけっこう深かった。薬とガーゼを傷穴に埋めて、傷をガーゼで覆ってテープ止め。看護師さん:パッドはありませんか?私:バンドエイドの大きいやつですか?車にあるかもしれません、と言って看護師さんが持ってきたのはなんと🐈🐕ペットシーツそれを切ってガーゼの上に当ててテープ止め薬(イソジン成分なので茶色い)や浸出液がシャツや布団を汚すのを防ぎます。なるほどね~、確かに水分を吸い取ってくれますね。先代ネコのシーツが残っているから持って行こう。・・・一時間くらいかかりました。父の移動と衣服の着脱が大変で時々昔話が始まるし裸になるのは嫌がるかな、と思ったけどそうでもなかったです。冬じゃなくて良かったわ晩ごはんはロイヤルホストフライドポテトが旨い!シーフードドリアでお腹いっぱいだけど別腹パワーでメロンパフェいきました!(メロンアイス旨し、ブリュレが重い)高級?ファミレスなロイホ人間が注文を取りに来てくれます

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    こんなところでペットシーツ
  4. 午後は良く晴れやした胃瘻による経管栄養で空腹感が無くなったのか落ち着き始めたカミさんお陰様であっしは今日はカミさんの傍でコックリコックリ出来たでござんす気持ちえがったぁ~🎵でジュースを飲みたいと、カミさんガーゼでプチュプチュ吸うのではなくストローで飲む……ストローを口許に持って行ったら戸惑ったカミさんストローでどのように吸えば良いか忘れた様でござんすそんであっしがジュースを吸出してやると飲む事が出来たカミさん次に飲ませた時にはスムーズにストローで吸ったでござんす満足そうだったカミさんの顔【今日のカミさんの迷言】ミカン運んで来て何処から?トイレからまだまだマトモな対話は出来ておりやせんレイジィどん情報弱い立場の患者に反った間違い沿った医師と看護師に恵まれ入院生活を順調に送っている様でござんすあっしただ今家でくつろいでおりやす明日は“ふれ~ゆ”経由でカミさんの所へ「明日は遅くなる」と言ったら黙って頷いたカミさんどうせ明日になれば「今、何時?」「お父さん まだ?」を繰り返しスタッフに話しかけるのは間違いねぇでござんしょう

    ジュースをストローで飲んだカミさん……
  5. あららっ「すずめのお宿」の屋根が外れてる築3年…いや4年だったかなそれにしても傷むの ちと早いですねぇ早速 oziziに修理してもらいましたついでに回りの垣根(ウッドボックス)も綺麗に剪定しましたよ~すずめさ~ん遊びに来てちょうだ~い ♪「すずめのお宿」が半分隠れてしまう位繁っていた垣根(ウッドボックス)こんなだったんですよ↓↓食事中のすずめさんが見えなかった…きょうは久しぶりにすずめさんを激写しようと家の中から一眼レフで覗いて待っているとやっと やっと やってきました~ところが家の中の私の動きが分かるようでシャッターを切ると同時に逃げて行くんです…信用されてないobabaでございます私obabaが見えないようにレースのカーテンを引いて隙間からカメラのレンズだけ覗かせて待っていると水飲みに1羽が飛んで来ましたよ~く見ると嘴が黄色い巣立ちビナです今年初めて写真に納めた巣立ちビナ可愛いですね~最近ときどき 親子で来ている様子を何度か 目にしていたんですけど一眼レフを準備するまでには至らず(スマホではアップが撮れない)大きく口を開けて「ご飯 早くちょうだい」って~お母さん 大忙しですこのところカラスが電線の上で家の回りを窺っていたりすぐ近くの低い空をトンビが輪を描いていたり一番は恐いのはご近所の猫や ノラ猫さんたち天敵 多いんですよ「すずめのお宿」のオーナーとしては心配がいっぱい あ~ (-_-;)無事 育って欲しいものです遊びに来て下さってありがとうございます🎵◈70の手習い 70の手習い◈

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    「すずめのお宿」のオーナーの心配ごと
  6. カラス
  7. 今日の夕食 親子丼の具
  8. ✨  明日から 昔で言う 地方巡業ですね
  9.  それは医療関係者に、「医療プロトコール」と呼ぶ、鉄板のような足枷がかけられ、「患者の病気を治してあげたい」する思いやり、意思を強力に阻んでいるからだ。 医療プロトコル=議定・手順と訳されるが、医療には歴史的に、あるいは学問的に確立された方法論が存在している。もしも、医療が失敗して患者を死なせたときでも、プロトコル(認可された手順)を実行したと認定されるなら提訴されても責任を問われることはない。 だから医療関係者は、プトロコルに強く依存する。ときにプロトコルが患者を死なせる可能性があっても、医師の頭の中は、治療手順を守ることが第一義となる。 医療は医療プロトコルを実行するシステムであって、その結果、もしかしたら患者が治療できるかもしれないというのが医療の真実だ。 プロトコルの基本は第一に検査による病名確定、第二に投薬・注射・手術である。 これを「医療」と思い込まされている人が、医師や患者の大部分である。  私の母は、慢性肺疾患を患い長期入院後に、それまでいたジョイフル名駅を追われて名城近くの老人ホームに転院した。そこでも慢性的に肺不調が続いた。 担当医は、医療プロトコルに従って95歳の母に肺穿刺細胞診を行った。そして4日後に死亡した。 私は、これを聞いて、まともな判断能力のある医師なら、95歳で30Kgもないような瀕死の老女に肺穿刺細胞診を行うことは殺人に等しいことを理解しているはずだと思った。 もしかしたら、ホーム側の意思として、検査に名を借りて母を死なせて追い出すことが目的だったのかもしれないと思った。 介護にあたっていた妹も、心の底で厄介払いができたという安堵があったのかもしれない。金と手のかかる老人は、自分の両親であっても、早く逝って欲しいと思う潜在意識は珍しくもない。  周囲にいるみんなの総意として、母親は無意味でしかない=つまり病気治療にひとつの価値もない肺穿刺細胞診によって処刑されたと私は考えている。 世の中、瀕死の老人を介護しながら、「早く死んでくれたら」と心の底で願う人々は、いったいどれだけの割合に上るだろうかと思う。 ほとんどの人が「タテマエ」やメンツ、社会常識の世界で生きているからだ。 2014年前後のことだが、私が間質性肺炎=肺線維症を発症して、呼吸機能が半分に落ちてしまい、日常生活のあらゆる場面で息切れを起こして、自分の家もゴミ屋敷のようになってしまった。 このとき自分に訪れる運命を調べていたとき、治療プロトコルを見て唖然としてしまった。 ネットの情報によれば、「ブツブツバリバリ」という呼吸音を伴う肺線維症(IPF)患者の大半の余命は、発症から最大5年程度だった。普通は3年くらいで死んでしまう人が多い。 私は、自分の運命を知って、かなり焦った。しかし、それまでの人生経験で医療の本質について強い疑問を抱いていたので、この情報を真に受けることはできなかった。 特に、私は放射線生物学をかなり深く調べていたので、診療プロトコルの前段にある病名確定のための放射線検査に強い違和感を感じていた。 そこには、約30ミリシーベルトの被曝を伴うX線CTや、スリガラス陰影確認のためのX線撮影、そして肺穿刺細胞診が認定診断のための必須条件と記載されていた。 このデータがなければ、IPFとして認定されず、指定難病としての補助も受けられない。 私は、ベルクロラ音という肺胞細胞が繊維化するときに出る呼吸音だけで、十分すぎるくらいIPF=肺線維症の診断が可能だと思うのだが、医師たちは、それでは納得せず、患者に大きな負荷を与えずにはおかない、視覚的に十分な特異性が見られる可視的なCTスキャンや細胞診を求め、それがなければ診断確定は不可能と主張していた。 そこには、患者を治療するよりも、自分たちの学問的成果を確立したいという下心しか見えない。 だが表向き、30ミリシーベルト程度の被曝であっても、実際には、転院する度や医師の興味本位(データ願望)によって、たくさんのX線撮影を重ねることが多いことを何度も経験している。だから、最悪100ミリシーベルトを超えてしまうこともありうる。 医師の放射線リスクに対する認識の低さは、311フクイチ事故以来、あらゆる場面で思い知らされてきた。 IPF患者は、未発症者の数十倍も肺癌発症リスクが高いのだが、この本当の理由は、X線撮影にあるのではないかとさえ私は疑った。 肺穿刺細胞診は、ステロイド適応を確定するために必要だという。しかし、肺穿刺がサイトカインストームの直接の原因になって死亡してしまったIPF患者も非常に多いと記録されている。 そもそも、私はステロイドをあまり信用していない。せいぜいムカデ咬傷くらいにしか使っていない。必ずリバウンドがあるからだ。 「まるで検査に名を借りた殺人行為じゃないか」と私は思い、医療に依存すれば、治るものも治らなくなると確信した。 公開されているアメリカなどの治験データでは、この種の疾患に本当に効果があるのは、呼吸トレーニングのようなリハビリであるとも書かれていた。 私は医療の本質は免疫とホメオスタシスだと人生経験から確信していた。 近代医療が確立するまでは、庶民の大半は、骨折事故でさえ自家治療し、ホメオスタシスに頼って生きてきたのだ。 私は、当時の医療水準のせいで患者の死亡が多く、平均寿命も短かったという説明には、納得していない。もっと他の社会的要素があったような気がしている。 患者に強い負荷を与える診断も、投薬も手術も、ワクチンもホメオシタシス免疫システムの前には、無意味で愚かな行為としか思えなかった。 つまり、ほとんどの病気は医療に頼らずとも治る。医者に行くよりも、毎日8000歩を歩いて体液の循環を行い、太陽光を浴びて免疫を強化することの方が、診断医療よりも病気が治る可能性が高まり、価値が高いように思えた。 当時、肺線維症治療の主流は、ピルフェニドン・ニンテダニブ・ステロイドだったが、どんな治療をしても進行性で、死を遅らせる効果しかなかった。 唯一、延命に強い効果が確認されていたのが「呼吸トレーニング」だった。 そこで、私は自分の呼吸障害について、一切医療に頼らず、ただ呼吸トレーニングだけに頼って、延命自家治療することを決意した。 たぶん、このおかげで10年もの延命に成功していると思う。 だが、肺線維症が進行性というのは自分の体で確認している。10年前の発症直後に比べて、現在は、ひどく呼吸能力が落ちて、5年前に歩けたコースが、まともに歩けない。 とりわけ、年に一度くらい、例えば濃厚な黄砂の直後とか、ユスリカの死骸を吸い込んだり、排煙を吸い込んだときなど、ブツブツバリバリの間質性肺炎の炎症が再発することがあって、これが出ると、もうそれ以前の状態には戻れない。 サイトカインストームを食い止めるため葛根湯や麻黄湯を服用しながら、どんどん悪化しているのを肌身で感じ、友人、知人に遺言を書いたりするのだが、とりあえず、必死になって歩き回り、死なずにはすんでいる。 私は、交通事故や帯状疱疹のように手に入りにくい特殊な薬が必要なときを除いて、原則医療を利用することはない。 医療体制に頼って病気を治すという考え方に、大きな疑問を抱いているからだ。 病気になれば、診断し確定しない限り、治療が始まらないのが医療プロトコルだ。 すべては既存の症例、知識のなかで定まった経験則が「治療手順」として確立されデータ化されている。それは、患者を苦痛から救うというよりは、医師や研究者の名誉やアリバイ証明を前提としているようにしか見えない。 だから、私にとっての本当の医療とは山を歩き回って体液を循環させ、免疫を高める食事をし、ぐっすりと眠ることである。 薬も必要最小限しか使わない。今使っているのは、痛風予防のアロプリノールやDHAのようなサプリ、ムカデやアブに噛まれたときのステロイド軟膏くらいだろうか? ピルフェニドンのような間質性肺炎治療薬を服用するより呼吸トレーニングの方が何百倍も効果があると確信している。 これは辛い坂道を上って、思い切り呼吸することだ。私が発症した当時、メディアに出た肺線維症患者で、生き残っている人を知らない。みんな医療に頼ってしまったことが命取りだと思う。 ただ自分とホメオスタシスだけを信じて、体液を循環させ、免疫を高めれば生き残っていられたのにと思わざるをえない。 癌などの病気でも、私は医療に頼るつもりはない。肺線維症の肺癌発症率は健常者の20倍に及ぶデータがあるが、私には放射線被曝による「医原病」にしか見えないのだ。******************************************************* 医原病 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%8E%9F%E7%97%85医療行為が原因で生ずる疾患のこと。「医源病」「医原性疾患」も同義。  1.臨床的医原病、2.社会的医原病、3.文化的医原病の三つの段階を経て、現代社会に生きる我々を侵食する病のこと(社会学者イリッチの提唱した概念。広義の医原病) 古代ギリシャの時代より、医者が患者を害する可能性は知られていた。19世紀の西洋では医師が、細菌のことや消毒のことも知らず、細菌に汚染された手で患者や妊婦に触れたので、患者や妊婦への細菌の伝播が起こり、患者や妊婦は高い確率で死亡していた。現代の日本でも様々な医原病が起きている。医療は他の様々な技術同様に、常に発展途上で不完全であり、医療関係者の意図にかかわらず、医療行為によっては患者を害する可能性がある。医原病の中には発生とほぼ同時にそれと判明するものもあるが、発生から長い年月を経て医療技術が進歩し新しい見地が発見された後にようやく、従来の医療行為がなんらかの医原病の原因を作っていたと判明することもある。原因としては、医療器具、医薬品、医療材料の他にも、医師による誤診、医療過誤(不適切な薬物選択、不適切・未熟な手術、検査など)、院内感染等々が挙げられる。(→#原因別)また、社会学者イリッチによって、医原病とは臨床的医原病、社会的医原病、文化的医原病の三つの段階を経て、現代社会に生きる我々を侵食する病のこと、ともされている。パストゥールが細菌を発見する以前、19世紀中ごろまでの西洋の医学会では、清潔や不潔という概念も浸透しておらず、消毒法も確立していなかった。手術に医師は血に汚れたフロックコートを着て臨むなどし、患者らの傷口は細菌に汚染された共用の「たらい」の中の水で洗われ、患者間での細菌の伝播が起こった。医師のなかには「傷が治るためには膿がでることが必要だ」などと思っていた者も多かった。1867年の統計では、手足切断手術後の死亡率はチューリヒで46%、パリでは60%に及んだという。お産についても当時は医師が、「死亡した産婦の解剖をして産婦の子宮からでる膿にまみれた手で次のお産に立会ったので、産道から細菌が入って子宮内感染症、敗血症になって(産褥熱)死亡する産婦が多数いた。その死亡率は10%以上にもなった。イグナーツ・ゼンメルワイス(1818年-1865年)は、まだ病原菌などの概念が無い時代であったにもかかわらず、今日で言う接触感染の可能性、医師自身が感染源になっている可能性に気づき、産褥熱の予防法として医師がカルキを使用して手洗いを行うことを提唱した。だが、医学会はそういった彼の善意からの指摘を認めず、逆に当時の医師らは彼を迫害するような行動をとった。1977年9月、ソークワクチンの開発者のジョナス・ソーク博士は、議会で次のように指摘した。1970年代初めにアメリカで発生したポリオのほとんどは、アメリカで使用されているポリオ生ワクチンの副作用である可能性が高い。つまりポリオ撲滅の功労者とも言われるソーク自身が、犠牲者を出し続けたポリオの原因が、そのワクチンにあると認めたのである。実際、アメリカ合衆国では生ワクチンが使われたためポリオが発生したが、フィンランドとスウェーデンのように死菌ワクチンを接種していた国ではポリオの発症はまったく報告されなかったという。1976年にブタインフルエンザが大流行した時に行われた予防接種について、政府とマスコミが徹底的に追跡調査してみたところ、ワクチンが原因でギラン・バレー症候群(両足の麻痺や、知覚異常、呼吸困難などを引き起こす急性多発性神経炎)が565件も発生し、予防接種を受けてから数時間以内に30人の高齢者が"説明不可能な死"を遂げていたことが判明した。太平洋戦争中、日本では腸チフス・パラチフスのワクチンは軍隊などでも接種され死亡などの事故が起きていたが、そのような事故は軍隊の不名誉として隠蔽された]。1940年代後半には、種痘は実施後に脳炎を起こす事例が頻発することが医師の間では広く知られるようになり、「種痘後脳炎」と呼ばれた。その被害規模は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を超えてしまっていた。日本においては、種痘事故や腸チフスの事故が多数発生していたころ、その事故数についての集計表は厚生省の机の引き出しの奥にしまわれ「絶対に公表しない、一番関係の深い人たちだけが見る」ことになっていたと厚生省防疫課にいた職員が後に語った。1948年、京都でのジフテリア予防接種の時にジフテリア毒素により大規模な医療事故が起き、横隔膜麻痺、咽頭麻痺、心不全等の中毒症状が現れ、死亡者68名という結果になった。同年、島根県でも類似のジフテリア予防接種医療事故が起き15名が死亡した。 1949年から1950年ごろ、日本では結核の治療法として肋膜外剥離合成樹脂球充填術がさかんに用いられたが化膿を引き起こし摘出されることが多く、後年高齢期を迎えるころには低肺機能となった人が多い。 1956年、東京大学法学部長の尾高朝雄が「ペニシリンショック」で死亡するという事故が起き、報道機関で大きく取り上げられた。この事故をきっかけとしてペニシリンによるショック死は実はすでに100名に及んでいたことが明らかになり社会問題としても扱われることになった。 日本では1948年の「予防接種法」以降、強制接種や集団接種が拡大していったが、その強制接種や集団接種が安全な方法で行われていなかった。一例を挙げれば1964年に茨城県で行われた集団接種では、不十分な問診、複数の人に対して針を変えずに接種、マスクをせずに接種、不正確な量の注入、などのやり方が行われていたらしい。 複数の人に対して針を替えずに接種をする行為が蔓延していたことが日本でC型肝炎が多発した原因である、と考えられている。 以下省略

  10. 眉毛に白髪
  11. 暑さ対策と昨日のおうちご飯 5.15
  12. 先ほど、夫を地下鉄駅まで車で送っていきました。歩いていける距離なのに足が悪い、腰が痛いと言われれば送っていかざるを得ません。はぁ~~~・・。朝一番の飛行。これから当分これが続きそうです。    昨日で皮膚科が終わりました。午前10時の予約でしたが待ち時間は30分ほどだったでしょうか。後ろに接した席から男性の声。診察室へ呼ばれる前にハンドバッグを、こーしろあーしろどーしろとご老人に説教。どうも要領を得ないようでそのうちどんどん男性の言葉が荒くなってきます。わたしの一つ前に診察室へ入った方でしたがその後ろ姿を見ると腰の曲がった老女と孫と思しき男性。優しい言葉がけはいっさいなく診察が終わって廊下を歩くときには杖をついたおばあさんの様子を顧みることなく自分だけ、足早に歩いていきました。前回は話題の尽きない仲の良さそうなご夫婦今回は孫に疎まれているかのようなご老人。病院の待合室の人間模様だけでいくつものドラマができそうです。11時半には支払いも済ませ病院前のバス停で”博多駅行き”を待ちました。天神方面は何台もやって来るのですが博多駅方面がなかなかきません。お尻の痛くなるバス停のベンチ。15分ほど待ってやっと一台姿を現しました。隣のお国の家族連れもバスに乗ってきました。可愛らしい赤ちゃんを抱っこしたママ。思わず反対の席から百面相で赤ちゃんをあやしてしまいました。ママ、少し、引いていました・・。    博多駅前にはイベント会場が設置されています。前売り券が売り出されていますがどうやら飲食のお祭りがあるようです。写真を拡大したらHAKATAグルメ 大(食)覧会 2024と書かれています。5月9日からもう始まっていたようです。まずは「くうてん」の9階にあるオーバカナルで腹ごしらえです。一人席に案内されました。平日限定のランチメニューから~キッシュ&オニオングラタンスープを。オニオンスープの美味しかったこと!キッシュが食べにくかったことは今後の参考にしたいと思いました。    博多駅に行った目的はこちら・・。当日の朝だと、モタモタしているとチケットを取得する時間が取られるのでは?と昨日、行ってきました。あまりJRを利用しないので気づきませんでしたがネット予約受け取りの券売機がこれほど多く設置されていることを初めて知りました。これなら当日ちょっと早めに行けば間に合わないということはないでしょう。ひとつ賢くなりました。ここから今度は銀行へ。ここで冷や汗をかいてきました幸い警察沙汰までには至りませんでしたが・・。用紙に記入し、その後ATMで現金を引き出し色々と手続きを済ませたところでポーチがバッグの中にないことに気付きました。通帳を数冊入れたポーチをATMのところに置き忘れてしまったと思いこんだわたし。探しに行きましたが当然ありません。銀行の窓口の女性に忘れ物の届け出はないかと尋ねましたが無いとのこと。あ~これは警察に届け出ることになるのか・・どうしたものかと考えあぐねていると後ろから若い女性が「もしかして黄色のポーチをお探しですか?それならあちらの女性に渡しましたよ」と。お客さんの整理をする会場がかり?の女性が慌ててやってきて無事、わたしの手元に戻ってきました。通帳だけならまだしも現金も少し入れていたのでこれはもう戻って来ないだろうなと半ば諦めていましたが警察に行くこともなくその日のやるべき事全て完了して銀行を後にしました。通帳、カギ類、免許証、マイナンバーカードお財布、メガネ、携帯・・・。バッグの中は大事なものがいっぱい。それらと一緒に無事に帰宅できました。    さて、今週末はてんてこ舞いの忙しさになりそうです。今のところ体調は万全!このままなんとか来週の月曜日までを乗り切っていければいいのですが・・。

    皮膚科から博多駅くうてんへ
  13. 千葉県の『東京ドイツ村』がお花盛りだった(*^-^)『雛菊』のお花らしい。。そしてバラ園もう『ディオリッシモ』というか『ディオレラ』というか、『Diorの香水』の匂いで溢れていたわこんなお風呂にはいりたいっ*。・+(人*´∀`)+・。*昼食は金谷のザフィッシュお天気にも恵まれて、お客様喜んで下さりました。『町内会』のお出かけだったの。お一人、女性のお客様で、ともかく朝から文句ばかり言ってくる人がいた。。(^^;)たまにいるのよ(^w^)相手が和子さんだったらマジギレして怒鳴りつけるか手が出そうになると思うんだけど、、(^^;)だから、和子さんとは二人きりで会わないようにしている笑『お客様』だとね、、もう『お気の毒』でしかたなくて、、たいていいつも怒っている人って、『不幸』なのよね。ヒマコ、プライベートではそういう人には近ずかないのね(^w^)こっちの『運気』も下がりそうなんだもん。だけど『お客様』だとそうはいかないからねぇ、、より丁寧に接してあげる(≧▽≦)そうするとやっぱり反省するのか、大人しくはなるんだけど、恥ずかしいのか悔しいのか、そういう顔なのか、『不機嫌な表情』は変わらないのよ。それでも、ヒマコ、より丁寧に接してあげる( *´艸)バスを降りる時に『笑顔』になっていて、、ちょっとした『達成感』を感じるの(^_^)v『プライベート』では変なヤツ認定したら、即ドロンなんだけどねっ( *´艸`)今日も良い1日になりますように♪

    花盛りのドイツ村といつも怒ってるヒトの対処法プライベートデハキリステルンダケドネ
  14. ここのところ、すっかり早起きが身についてしまった。今朝は、いつもより1時間ほど寝坊させてもらった。それでも、洗濯を終えて、朝食も摂り、どっこいしょと、落ち着いた時間が朝ドラ前だった。最近は、真面目に朝ドラを見ていないから、中身はどうでもよくて、時間の確認だけのことなのだが。出す準備をしていなかったので、今日の分のごみは出さなかったが、燃やさないごみの日だったので、ちょっと残念な気がした。雑品も片付け業者にお願いすることにしているので、その量が増えてしまうことになる。所沢市はごみ減量運動をしているから、出さない方が、市には貢献したことになるのだろうか。リユースとして寄付をすることが出来る制度が出来た引っ越し業者さんに見積もりを依頼した。先日、押し売りの引っ越し見積もりがあったので、それでも、それが一応の目安になるだろうと、見積もりの時に言っておいた。最初から、そこまで安くはなりません、と言われたが、御社の売りは何だと聞いたら、衣装ケースやタンスの中身は入れたままでいいとか、ハンガーケース、靴ボックスなどもある。有料だが、箱詰めの作業もやってくれるらしい。さすがに大手は色々と工夫して魅力を付けることにしている。最初の提示より大分安くしてくれて、最終見積もりを置いて行った。他の所の話を聞いて、明日中には決めるつもりだ。そうなると、引っ越しも本格的最終段階に入ってくる。

    いよいよ引っ越しが本格化
  15. 1983年の秋に、ドイツ、イタリア、フランスの食料品事情を調査するという団体に、転勤したての僕は、他の営業マンに頼まれ添乗しています。この年の4月に名古屋から転勤し、生活が一変しました。怒涛の地方支店での5年間が始まりました。この年の5月に娘が焼津の市民病院で生まれたばかりでした。修学旅行や国内添乗がバンバン回ってきました。そんな秋に、10日間も家を空けたのを皮切りに、営業しては、添乗に行く日々を繰り返していました。フィレンツェに泊まり、ピサの斜塔を見学し、途中、中世の香りが漂うアッシジに立ち寄りました。その時に、お客様に撮って頂いた一枚が下の写真です❗️添乗員とは、こんな風だという典型的な立ち姿です。笑ってください❗️右上の写真は、清貧かつ熱心にカトリック教を広めたフランチェスコ修道士の絵画です。僕なんか超世俗的に生きてきたのに、この方は自然を愛し、清貧な生涯を送った方です。上が聖フランチェスコ聖堂の外観の写真です‼️現在は世界遺産登録されています。イタリアでは、ヴァチカン美術館やウフィッチ美術館の絵画を多く観てきましたが、聖フランチェスコ聖堂に展示されているジョットのフレスコ画に妙に惹かれた記憶があります。    「小鳥に説教をするフランチェスコ」、これもジョットが描いた絵画です。アッシジに立ち寄った為に、ローマには夜遅く到着しました。アッシジについては、過去にもブログを書いていますが、思いがけなく感動した街でした。多分、もう二度といけないと思うのですが、これから出かけられる方には、是非立ち寄られる事をお勧めします❗️旅のご用命は名古屋市中村区のJFFまでお問合せください❗️JFFは旅行会社です!国内・海外旅行全般、国際文化交流、インバウンドツアー《小さな旅から国際文化交流まで》をモットーに、JFFスタッフ一同、安心と信頼のおけるきめ細かな旅行の手配を心がけています。JFFの事業の柱は『日本の祭典』です。《国際文化交流》を通して一人でも多くの日本ファンを増やし、感謝の心で社会貢献を目指す名古屋の旅行会社です!jffjff.com

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    アッシジにて
  16. 娘夫婦から入籍の報告と写真が届きました。今どきの婚姻届はこんなにカラフルなんですね💦数年前の息子たちは普通のでした(笑)これも二組の個性のちがいなのでしょうね🥰それと、サプライズで新しい苗字でプレゼントが届くように手配してあったのです。物は二人の名前と日付の入った写真立てセンス悪〜と、思うかもしれないけど、これは絶対自分では作らないでしょ?(笑)写真は見本のが入っていました。業者さんも『ウエディングプレゼント』と称して売っているのだから見本の写真も『それらしい写真』入れておけばいいのにね(派手な女性の写真でした)それからこの間いった『スィーツ百名店』のケーキ屋さんからケーキが届くように…してあったけれど…それはまだみたい🎂それから父と相談して父もなにかプレゼントしたい🎁と、言ったので、割れ物は本当はだめかも知れないけど、これから『お祝いのお花』等もらうこともあるかもしれないからシンプルなフラワーベースを買って父の名前で贈りました。息子たちはのときは父は『ちょっとおしゃれな写真立て』にして今も玄関に飾ってくれています。でも、今回は『おしゃれじゃない写真立て』を発注してしまったあとだったので違うものを考えて、重みのあるシンプルな花瓶を探したのです。花を飾ったとき父を思い出してくれたら…と、思って🥰今回は『もらって嬉しいもの』というより『自分では買わないけれど記念に残るもの』を選びました。花瓶は今届いたようです。《追記》ケーキは受け取れなかったようです😰生物だけど大丈夫かな?サプライズだったのですぐに再配送手続きしなかったみたい💦

    入籍の報告と写真
  17. 普段は夫の写真は遺影以外見ないようにしている。夫の持ち物や、思い出のある物も極力見ない。見ないというより、見られないの。死別後3年と2カ月近くが経とうとしているけれど、悲しみ、虚しさはちっとも変わらない。さすがに一日中泣いているという事はなくなったけれど、それでも、まだ瞬時にスイッチが入って号泣することがよくある。特に、仕事が休みで家の中にいるとき。仕事帰り、最寄りの駅から自宅まで歩くとき。こんなだから、夫の持ち物は、ほとんどが手付かずのまま。このブログでも、よく遺品整理に頭を悩ませているという記事を読むけれど、私はもう気のすむまでこのままにしておこうと思っている。だって、こんな苦しい作業、まだできないから。今無理にすることもないし。自分の荷物は、この春ごろから意識して整理している。仕事関係や何やら、いつの間にこんなに…たくさんの書類が床に山積みになっている。今日出勤前、少し時間に余裕があったので、久々に棚を眺めて片付けようとした。今まで目を向けなかった、数々の旅のガイドブックや雑誌…そんなつもりはなかったのに、軽い気持ちで一冊手に取りハッとする。付箋が張ってある…何か書いてある…これは夫の字…もうだめ一気に思い出される。よく見てみると、本棚に並ぶ数々の旅行雑誌はほとんが2019,2020年のもの。2021年以降の物は一冊もない。そこで思い出す。これらのほとんどは夫の闘病中に買ったもの。苦しい癌の治療中、少しでも気分を明るく、なんとか生活の中に楽しみを見つけ、前向きに治療に励んでもらおうと、様々な旅行雑誌を買ったの。楽しいことを考え、旅に出かけることを目標に、生きてほしくて。夫の入院中、体調がいい時は二人で病院内のコンビニによく行った。行くと、私も夫も少し、何と言うかホッとした。そこが唯一社会とつながっている場所のように感じたから。病院の個室に長くいると、だんだん社会から隔絶されていくような気がする。夫は入院をすごく嫌がっていた。「自分が病人であることを嫌でも思い知らされる」「本当に病人になっていくような気がする」「病人扱いされるのが嫌だ」と。病人なんだから矛盾していること言ってるようだけど、気持ちはよく分かる。コンビニ内ではよく雑誌コーナーに立ち寄った。私はなんとか夫に気持ちを明るく持ってもらいたくて「ねえ、こんなところに行きたいね」「ここなら車ですぐ行けるよ」と根気強く話しかけ、雑誌を見せていたの。大抵夫は旅行雑誌など見ようともしなかった。それでも5回に1回ぐらいは少し興味を示したので、そんな時に買ったの。『大人の日帰り旅××』『ドライブベストコース××』とかね。きれいな景色の写真が目に飛び込んでくる。ここに行こうと夫は付箋を貼っていたのね。ここに行ってみたかったのね。夢かなわず逝ってしまった夫の胸の内を思うと、無念で可哀想で、胸がかきむしられるような思いがする。でも、まったく実現しなかったわけではないのよ。実際に行けた場所もある。それがせめてもの救い。よかった。この本の中の一か所だけでも行けたんだもの。パラパラとページを繰ってみる。でもほとんどが「行ってみたいね」で終わった場所。いつか治ったら行くんだと思っていた場所。行けなかった。ここも、あそこも…私一人でも、今からでも行こうと思えば行けるよ。でも、もうそんなの全然意味がない。一人で行ったって、なんの意味もない。そんなことのためにこの本買ったんじゃない!夫と出かけるためにこの本は買ったのよ。それなのに、もう永遠に夫と行くことはない。もうコロナもおさまったし、気候も今がさわやかで、一番旅行にいい時期なのに、もう私が夫とここに行くことは永遠にない。こんな虚しくなる本、いつまで私はここに置いておくの?見るたびに悲しくなるだけじゃない。そう思っただけで、ぐっと胸の奥から何かがこみ上げて来て、このままだと私、今日これから仕事に行けない、とハッと我に返り、あわてて雑誌を元に戻し、心にも蓋をして、何も考えないようにして出かけたのでした。