
15DEC.
昨日のお出かけ
12月13日、森くんが大村ボートで投げチューをしていた頃(言い方)ワタクシはご近所ママ友さんのお誘いでこちらに出かけておりました。俳優高橋英樹さん、今我が地元の観光大使をされていてその繋がりもあって「人生の旅路とお城巡り」というテーマで講演会がありました。先週がセブチ。今週がヒデキ。我ながら振り幅の広いライブ体験だ(笑)んで、英樹さんの講演会。めっちゃくちゃ面白かったのよ!!!何回も大笑いした話の内容もトークの緩急のつけかたも、絶妙だった。芸能生活65年になるという大御所俳優なのに、なまじのお笑い芸人より格段にトークスキルがあって凄かった。ご自身のブログでもそのこと書かれています↓高橋英樹『大盛り上がりの彦根講演』彦根の皆様 有り難うございました天気も良く☀青空の 米原駅でしたひこにゃんでお馴染み 彦根城私は彦根の 観光大使!今日は こちらで楽しく講演会でした沢山!笑…ameblo.jpいや誇張なくマジで大盛り上がりだった。始まる前は芸能界の超大物だし、ステージでどっしり座って司会進行の人の質問に答えるような形式のトークかな?と想像したりあれだけのポジションの方だから、30分ぐらい喋ったら充分、って感じでおしまいかな~?とかホントに勝手に予想してたんだけど全部見事に裏切られました。司会の方に紹介されて出てきた英樹さん。その後はハンドマイク片手にずっと立ったままたった1人で喋る喋る。時間はたっぷり1時間30分!もう、びっくりです。最後の方はまだ喋ってくれるの?大丈夫なの?とこっちが恐縮するぐらいのロングトークを展開。しかもそれがダレずにずっと面白いっていうんだから、いやいや凄かった・・・英樹さん、御年81歳、年明けには82歳になるという。そのお年で、あれだけの長丁場を休憩も挟まず、ずっと立ちっぱなしで喋るって、どんな体力、そして気力。私なんて10分立ってるだけで座りたくなるのに。サービス精神も素晴らしくて、立って喋るのも演台の向こうじゃなくてわざわざステージの手前に出てきて、右に行ったり左に行ったりして、どの方向のお客さんにもしっかり顔が見てもらえるようにトークされていたのに感動した。お芝居の世界じゃ大御所もいいところで、きっと撮影所に入ったら皆がひれ伏すような威厳も迫力も持ってる方だろうにそれにあぐらをかくことなく、お客さんに喜んでもらうためのパフォーマンスと気配りが素晴らしかった。あれが本当の意味での超一流の振る舞いなんだなぁ・・芸能生活65年、ずっとトップを走る人の真髄を見た気がします。客層は、かなり高齢者が多かった(笑)私なんてまだまだひよっこだ、と実感するぐらい人生の先輩方が沢山見に来てた。英樹さんはそういうこと(自分を見に来る客層)も把握してるんでしょうね。トークの内容は昭和人間にドンピシャのめちゃくちゃ面白い芸能界裏話が満載で、もう笑った笑った。覚えてる範囲で羅列すると・英樹さんが芸能界に入ったのは16歳の時。日活ニューフェイスの5期としてデビュー(1期上に石原裕次郎さんがいた)小さい頃は神童と呼ばれるぐらい賢い子だった←こういうプチ自慢を自分でちょいちょい挟むのが面白くてでも中学生になる頃から映画が面白くて映画館に入り浸り成績がどんどん落ちていった。それを心配した父親が日活ニューフェイスに履歴書を送った。父親は高校の校長を務めていた厳格な人で、実は芸能人にさせるつもりはなくてオーディションに落ちて現実の厳しさを知ったら映画熱も冷めるだろうという魂胆だった。それが予想に反して何万人という応募者の中から男性6人女性6人のニューフェイスに選ばれてしまったので、父親激怒。勘当状態になってしまった。父は自分がデビューして数年後に亡くなってしまったので、充分な親孝行が出来なかったのは心残り。でも勘当、と言っていたけど父は自分が出ていた作品は全部観ていてくれたと後から母に聞いて嬉しかった。母親は父の分まで長生きして105歳で天寿を全うした。元気な人で90歳を超えてからも「ちょっとエジプト行ってくる」とか「万里の長城見に行くわ」とフットワーク軽くあちこちに出かけていた。何不自由なく贅沢な暮らしが出来たのは全部「私のおかげです」←プチ自慢・両親が私を丈夫な体に産んでくれたおかげで81歳になった今でもこうして仕事が出来ている。3ヶ月に1回は健康診断を受けて体調管理をしている。こういう人前に出る仕事なので、出来るだけシャンとした姿を皆さんに見せたいからそのための努力はしている。(本当に立ち姿が綺麗でスッとしていらっしゃいました)時代劇のチャンバラをするのは特に体力筋力が必要。ズバッと切った後よろけたら格好がつかない。ビシッと決めるためには足腰の鍛錬が大事。・日活の先輩方は石原裕次郎さんを始め多くの方がもうお亡くなりになって、残っている先輩は小林旭さんだけ。今も時々連絡は取っている。ずっと元気でいてほしい。けど、昔とはずいぶん体形が変わっちゃって・・・(軽くディスり入りました・笑)・日活5期のオーディションも受けてないのに、ずっと「俺は5期のニューフェイス」って言い張ってたけしからんヤツがいた。中尾彬っていうんですけど(笑)年も近いし気も合ったからまあそういうことにしておこう、って許しました。演技もうまいし、カッコよかったんですよ。昔はネジネジなんてしてなかったしね(爆)・自分と彦根とのご縁は吉永小百合さんの主演映画「青い山脈」でロケに来たことから始まっている。企画の段階では自分は吉永小百合さんの相手役だった。それが当時吉永小百合×浜田光夫というゴールデンカップルが大当たりしていたので、自分は相手役から三枚目の友人役に降格になった。当時はかなりショックを受けたけど、結果的にその役を演じたことで色々な役のオファーが来るようになり演技の幅が広がったと思っている。・当時の日活は石原裕次郎、赤木圭一郎という足が長くてハンサムな俳優が大人気。それに比べて自分は今一つ人気が出なかった。なぜだろう?とスタッフが原因を探ったら「英樹は足が短いからだ」という結論に達した。英樹さんいわく「石原裕次郎、渡哲也、そして自分は身長が同じ。でも座高が一番高かったのは自分」【座高】という懐かしい言葉に会場大爆笑昔は学校の身体測定では必ず「座高」も計ったもんね・・・(若い方にはピンと来ないよねwww)裕次郎さんのおさがりの衣装を着たらズボンは裾を5センチは短くしないとダメだった(笑)だからスクリーンで映えないんだ、と(苦笑)そこで「脚を隠せ」→「着物を着せよう」→「時代劇」へシフトすることになったそう。(本当かどうかは別としてめちゃくちゃ面白い流れでした)・着物の着方も所作も全然知らなかったので18歳から歌舞伎の二代目尾上松緑さんに師事して踊りを習うことになり、そこで着物の着付けや所作を教わった。なので自分で着付けも全部できるようになった。今もしている。藤間流の日本舞踊の稽古も今でもずっと続けている。当時よく一緒に稽古をしていたのが今の片岡仁左衛門。その頃は片岡孝夫という名で上方歌舞伎から東京に出てきたばかりで苦労していた。自分の車に乗せて一緒にあちこち遊びにも行ったりもした。その彼が文化勲章を受けるまでになったことは本当に嬉しく誇らしい。・今までNHKの大河ドラマには10本出ている。今年の「べらぼう」にも出させていただいた(徳川治貞役でしたね)一番最初は「竜馬がゆく」の武市半平太役で出演。それが評判を呼び「あの俳優は誰だ?」と話題になった。武市半平太は捕らえられて処刑される筋書きだが、視聴者から「半平太を殺さないで」と助命嘆願の手紙やハガキが大量に届いて出演が6回分延びた。「けど半平太の後半生は牢獄につながれているので6週分ずっと牢屋で正座しているだけでした」とオチまで見事・石原裕次郎さんや小林旭さんは撮影によく遅刻してきた。それで相手役の浅丘ルリ子さんにいつも怒られていた。若い頃はその遅刻がスターの証のようでカッコイイな、と思ったので自分もちょっとだけ遅刻してみたことがあったけど、浅丘ルリ子さんにどえらく怒られたのでそれからは遅れないようにした。浅丘ルリ子さんには本当に厳しく色々なことを教えてもらった。今でも彼女から電話が入ると直立不動になる。今は守衛さんの次ぐらいに早く入っていると思う(笑)撮影が8時開始だとしたら6時半にはもう入っている。化粧にはそんなに時間をかけないが、人と話すのが好きなので早く入って撮影所の入り口に立って、あとからやって来る俳優さんと挨拶を交わすのが好き。なので「門番」って呼ばれてた←ほんまか松平健は自分と話すのが嫌なのかいつも裏口から入ってた←ホントにほんまか(爆)フォローのつもりか「松平健は撮影所に入る時から役に没頭(集中)したいタイプなので他の人と世間話などはしないから」裏口から入ってたんだと思う、って英樹さん言ってましたけどね(笑)・撮影所の化粧室は端から順番に役者が一列で並んで化粧をする。右の端から北大路欣也、松方弘樹、里見浩太朗、左の端には松平健、加藤剛、伊吹五郎、あおい輝彦などなど・・・自分は真ん中が定位置。真ん中が偉いというわけではなく、右と左から化粧道具を並べていくから真ん中のスペースが一番狭くなる(30センチしかない)そこで体を斜めにして化粧してました・・・って、盛ってないですか?英樹さん(爆)ここでキラ星のごとく名前が出てきた俳優さん。名前聞いただけですぐ「あ、あの時代劇ね」と彼らが出ていた作品の名前がわかるのは私が昭和人間の証拠だわ(笑)昔はゴールデンタイムにテレビで時代劇、いっぱいやってたもんなぁ・・・ジジババと一緒によく見てた子ども時代を思い出すよ(遠い目)・化粧に一番時間をかけるのは北大路欣也さんだそう。目張りの一本一本、丁寧に入れていくとか。北大路欣也さんの話題から彼の父上の市川右太衛門さんの話や片岡千恵蔵さんの話にまで遡り、2人の当たり役のモノマネまで披露する英樹さん(笑)市川右太衛門さんの独特の台詞回しで「旗本退屈男」のキメ台詞、片岡千恵蔵さんは「遠山の金さん」どっちもめちゃ似てたよ(ていうか、それがわかる年齢のお客ばっかりなのがすごいww)・自分はチャンバラが大好き。今までに3万人ぐらい斬ってきたらしい(スタッフが数えたそうな)カッコ良く斬ることができるのは斬られ役が優れているから。今はチャンバラのシーンがある時代劇が減ったし、あっても自分は年齢もあって殿様などの偉い役を振られることが多いので殺陣を見せることはほとんどなくなった。殿様役が多くなったのは「まあ、持って生まれた気品がそうさせるんでしょうけど」ってプチ自慢(笑)チャンバラの話から大ヒットした「侍タイムスリッパー」の話になり、あの作品で殺陣師役で出演している峰蘭太郎氏は英樹さんのお弟子さんだった、と教えてもらいました。映画の成功、とても喜んでおられましたよ。・英樹さんは「日本で一番殺陣が上手だった俳優は若山富三郎さんだった」と思ってるって。若山さんが自分でもいつもそう言ってたらしく「一番は俺、二番は英樹、お前だよ」とモノマネ(これも似てたわ)で言ってました。んで「その若山さんはお亡くなりになったので、今は自動的に私が日本一です」ってwww トークが上手すぎる~!若山さんの弟の勝新太郎さんの話題も出てた。遅刻の話の時に裕次郎さん達が遅刻するのはせいぜい30分ぐらいだけど、勝新さんはレベルが違う。撮影9時開始で、来たのが午後3時!なんてことザラにあったらしい・・・会場さすがに、ええーーってザワついたよ(笑)けど「あの人ならあり得る」って、お客全員あの方の破天荒ぶりを納得してるのもすごくない?(笑)勝新さんの当たり役「座頭市」の台詞モノマネで言い訳する英樹さん、芸達者すぎるわ・・・しまいにゃ「パンツ」の話まで出て、それ言ってもいいのか?危ない、ヤバイ。と全員共通理解しちゃってるのはどんな講演会や(爆)・英樹さんの当たり役「桃太郎侍」の話も。桃太郎侍って、放送開始当初は地味な黒の着流しの格好だったらしいけど、ある日主題歌を歌っていた三波春夫さんとゴルフに行く機会があってそこで「あの着物お地味ですね」と言われ「高橋さんはお派手な衣装がお似合いだと思うんですよ」とアドバイスを受けて、スタッフと協議して三波春夫さんの舞台衣装のような派手な着物にしよう!ということに路線変更。そして数え歌を歌いながら斬ろう、ってのもそこで提案されたとか。本当は10まであったらしいけど、そしたら毎回10人斬らないといけないので(笑)3までにとどめたってwwそして英樹さん、渾身のキメ台詞の披露です!ひとーつ人の世生き血をすすりふたーつ不埒な悪行三昧みっつ醜い浮世の鬼を退治てくれよう桃太郎まさかこれを目の前で聞けるとは。「本物!!!」ってめちゃくちゃ感動したわいえ別に毎週桃太郎侍見てたわけじゃないけど、普通に誰でも知ってた時代なのよ。それぐらい時代劇が身近にあったんです、昭和のテレビは。もうこれが聞けただけでこの講演会行った甲斐があったと思いました。時代劇のセオリーを破る派手な着物と数え歌のおかげか、桃太郎侍は人気シリーズになって5年も続いたそうですよ。「今はいい時代になったので、色んな方法で昔の作品も見れるので機会があったらぜひ見てください」って、おそらく配信のことを言ってるんだろうなというPRもありました。「でもあれ僕らには一銭も入らないんですけどね」って言ってた。ええーそうなのか!とちょっとびっくり。・英樹さんは今では俳優だけじゃなくて名MCとしてもご活躍。昭和歌謡が今若い人達にもよく聞かれているので英樹さんがMCをして年末に4時間の特番もあるそうです。ゲストに氷川きよしさん、南こうせつさん、ジュディオングさんなどが出て歌ったからよかったらそれも見てね、って番宣も抜かりなかった。・英樹さんは趣味が多彩。伝統芸能の歌舞伎も昔から好きだけど今は映画「国宝」ブームで僕でもチケットが取れない、って言ってましたよ。歴史も好きで、大河ドラマで役を演じる時はその人物のことを勉強する。そこから益々歴史が好きになる。今の若い俳優さんはそういう勉強をしない人も多い。「大石内蔵助(おおいしくらのすけ)」のことを「これ何て読むんですか?ないぞうのすけ?」なんて言う人もいる・・・ってのはウソかホントかわかりませんが(苦笑)勉強しなくても演技には関係ないかもしれないけれど、知識はあった方がいいというのは英樹さんの持論だそうです。・俳優の台詞覚えのことも。演技はとにかく素晴らしい。画面に映ったらめちゃくちゃ映えるのに、まったく台詞覚えてこない人がいた。丹波哲郎さんですが、ってwww普通の俳優は現場に入るまでに台詞を覚えてくるものだけど、丹波さんは現場で初めて台本を開く。「で、俺はどの役?」って平気で言う。そこからテストを重ねるから、めちゃくちゃ時間かかるし、丹波さんは段々調子が出てくるけど合わせる役者の方がリズムを崩されてボロボロになるんだとか(笑)英樹さん、今年出たドラマが「べらぼう」とTBSの日曜劇場「キャスター」で、「キャスター」の最終回はめちゃくちゃ長台詞が用意されていてすごく時間がかかって収録したそうです。でも、それをやれたことで新たな自信にも繋がったと。・絵と書も趣味で続けてる。個展も開いた。パリが好きで年3回ぐらい行ってた時期があるけど、昔は行ったら買い物三昧。今は買い物には興味がなくて、パリに行ったらいつも美術館巡りをしている。自分で絵を描くようになって「綺麗な絵」や「上手な絵」ではなくて「元気をもらえる絵」があるということがわかった、と。自分もそういう絵を描けるようになりたいそうです。あと彦根の観光大使だから、彦根城のこともお話されていたけど、芸能界のお話があまりに面白過ぎて、インパクトが強すぎて、そっちの話はあんまり記憶に残ってない(苦笑)これだけ色んな話が聞けて、チケット代金2000円でした。格安すぎる!(笑)高橋英樹さん、とてもとても楽しいお話、ありがとうございました。参加出来てよかったです。英樹さんの今後の目標は「チャンバラであと1000人斬りたい」そうです。叶うように願ってます!あー楽しかった!!!

いずれ暴徒化する中国人!!!

太陽光パネルも風力発電も今だけ金だけ自分だけ

愛 憎