
11JUL.
2026 リーグ戦ブログ 4年中村一帆
平素より大変お世話になっております。4年の中村一帆です。日ごろから農大ラクロス部を支えてくださる、OBOGの皆様、保護者の皆様、コーチの皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。今年度は例年以上に皆様と関わらせていただく場面が多く、大変励みになっております。皆様が創り上げてくださった農大ラクロス部を誇りに思い、リーグ戦最後まで全力で駆け抜けてまいります。今シーズンも変わらぬご支援ご声援をよろしくお願い申し上げます。さて、時の流れは速いもので、もう4回目の夏が始まろうとしています。まさかの今年はリーグ戦前と引退Blogの2本仕立てということで、そんなにたくさんの文章を書けるか分かりませんが脳みそを絞りに絞りまくって書いていきますので、どうか最後までお付き合いください。最近、私は今までにないくらいラクロス・部活を楽しめてる実感があります。朝6時にグラウンドに行くのも全く苦じゃないし、しんどいメニューも楽しいし、DFで集まってあーだこーだ言ってる時間も幸せだなと心から感じています。本当にこの部活に入ってよかったと思うし、残された時間を全力でやりきらないと、と焦りも感じています。ラクロス・農大ラクロス部は私にたくさんの成長機会を与えてくれました。たくさん悩んでたくさん苦しんでたくさん私が変われるきっかけをくれました。しかしながら私は今までいくつのきっかけを無駄にしてきたのでしょうか。99.99999999......%は無駄にしてきたでしょう。最近、私は気づいたことがあります。「誰も私を救ってはくれない。」あなたがどれだけ悩んでも、どれだけ苦しんでもそれを誰かが、環境が解決してくれることは決してないのです。あなたの身の回りで起きるすべての問題はあなたのせいであることに早く気づいてください。いつまで環境のせいにするのでしょうか?いつまで目的を探しているのでしょうか?楽しんでいる奴の周りには楽しんでいる奴らが集まるし、努力した奴にしか成功はついてこないのです。自分を変えられる自分だけだし、周りを変えられるのも自分だけなのです。いいかげん早く目を覚ませ。考えれば当たり前なことなのですが、恥ずかしながらこの年になって気づくことができました。今までこういった話はたくさん聞いてきたはずですが、自分事として捉えられていませんでした。ラクロス・農大ラクロス部はたくさんの気づける機会を私に与えてくれました。いろんなものに出会って挑戦して、二次情報ではなく実際に自分で触れて感じて考えることでようやく自分のものにすることができました。やっとスタートラインに立てた気がします。今では私の悩みすぎてしまうところも長所に感じています。これからも悩んで悩んで悩んですべて自分のものにしてやろうと思います。そのためにもすべて自分事として考える必要があるのです。悩み苦しみは喜びを引き立たせる最高のスパイスなのです。1部昇格までの道のりは決して楽な道のりではないでしょう。だからこそワクワクするし、だからこそ叶えたいと今では本気で思えます。悩みに悩みまくって、苦しみに苦しみまくって私が一番の嬉し泣きをしてやろうと思います。絶対に1部昇格してやりましょう。私たちなら絶対に叶えられます。いや、叶えられるかどうかは私次第なのです。私の未来は、農大の未来は、私が創ります。It's up to me.次は私に進むべき道を照らし続けてくれた偉大なるあの男です。

今季の目標〜あお〜

七夕まつり☆
運命の思想史 1
木田元、偶然性と運命第3章、様々な哲学者、思想家が、運命についてをどの様に考えてきたか?についてを早足で紹介している気になったのが、かつて、チュンソフトの街 運命の交差点 をプレイしていて、思った事、このブログにも書いた事 が書いてあったみんな自分の人生の主役であり、他の人の人生の脇役である と言う話更に気になったのは、単純な言葉で言ってしまうと、人は人生の中で自分の力では思い通りにいかない部分に遭遇するだろう其処を認めてそれでも、自分の意思で何とかなる部分を改革して行こうと言う生きる事の意思を強調して行く生き方と物語として、矢張り自分の力ではどうにもならない部分、其処を強調した作品を悲劇と呼ぶのだと言う様な説明があったでは、喜劇とは何なのだろう?その説明はここには無かったのだけれども悲劇というと個人的に思い出すのが、アンデルセンの童話など、又、世界名作劇場と呼ばれるアニメ作品も、フランダースの犬 とか 何故この様な物語を作るのか?と思ったものだそう言えば、日本の童話にしても最近はコンプライアンスの問題として、結末が子供向けに変更された、リライトされた物語も色々とある様だね 猿蟹合戦とか物語というのが人が作ったものだから、その人の人生観というのが浮き彫りになってるのだと思うけれどもねそう言えば、藤子不二雄A先生が、笑ゥせぇるすまんを描いていた頃、オチをブラックな形にしよう考えてばかりいたら、あまり気分的によろしくない、という事に気が付いて、後年は、喪黒福次郎 など書く様になった様だ運命の話からは話題が逸れたので一旦終了