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  1. 「県道と市道に穴が開いています」と指摘するのは問題ないでしょう。私が指摘しなくても道路の穴は開いているわけで、バイクや自転車が夜間や雨天に乗り上げれば転倒の可能性はあるんです。道路標識が倒れていれば市役所経由で連絡します。橋の欄干だって、壊れたままで良いわけがありません。市役所の記事がわかりにくいと思えば、独自に調べて、掘り下げます。そして、当ブログで解説を試みます。地域の方が「あれは何をやっているのという事項」に着目します。この三年の間には菖蒲地区の小学校の統廃合の話は顕在化するでしょう。私は菖蒲地区の小学校が統廃合されて一校になったとしても反対はしませんが、安易な校舎跡地の売却に対しては力強く反対します。まずは拠点避難所機能をきちんと残す、コミセン化を検討する、セカンドベストとしては高齢者保健施設+診療所に転用するための売却とか、農協さんのような公益性の高い団体への観光施設もしくは地域雇用に資する生産施設への売却や市有地の貸し出しを模索するべきでしょう。いわゆる教育センター化とか郷土資料館の移転も検討すべきなんです。市役所は営利企業ではないのだから、学校跡地は拠点避難所であり、徒歩で高齢者が避難できる場所になくてはならないのです。拠点避難所は簡単に民間企業に売り払っていいものではないですよ。そもそも、今回の台風であれだけの数の市道の通行止めが発生することが異常なのですよ。あの5億円の東鷲宮駅前立体通路を作らないで、問題のある市道の整備を実施していれば、市道の通行止めは半分になったかもしれません。ぜひ久喜市役所財政課はインフラ整備のために十分な予算を配分していただきたいですね。

  2. 2024年、新所沢パルコが撤退してから、もう2年以上経ちます。 それでも、その影響はまだまだ街の中に残っているように感じます。 新所沢西口のメイン通りにあった「おちゃのま」さんの閉店。 そして、最近、 僕から見ても繁盛しているように見えた「ハルダイナー」さんの撤退。 お店の開店と閉店は、実に回転が早いものです。 とくに飲食店は、1年も経たずに姿を消してしまうこともあります。 だからこそ、応援する側の記事も、少し慎重になります。 今回の【所沢のニューウエーブ】その2で紹介するのは、 そのハルダイナーさんのすぐ隣にあるお店。 ハワイアンカフェ「Lei」さんです。 所沢でハワイアンカフェというコンセプトは、まだまだ珍しい存在です。 逆に言えば、ライバルが少なく、 しっかり個性を出せれば生き残れるジャンルなのではないかと 思っています。 パルコ撤退ショックとは関係なく、 ここはぜひ頑張ってほしいお店の一つです。 d( ̄  ̄) 店内に入ると、そこは一気にハワイと海の世界。 サーフボード、ハワイアン雑貨、海の写真、木の梁、ゆったりした空気感。 BGMはもちろん、ウクレレの音色が似合うハワイアン。 個人的に、海や夏が大好きなので、 こういう内装は四季を問わずテンションが上がります。 ( ´∀`) メニューもかなり豊富です。 ハワイアンランチ、ロコモコ、タコライス、モチコチキン、シュリンプ、ステーキ。 見るだけでも楽しいのですが、逆に選ぶのが大変です。 ただ、メニューを見ていて感じたのは、このお店の基本戦略は、 おそらく「お肉をしっかり食べてもらうこと」なのではないかということ。 ステーキソースが5種類も用意されているところにも、 その意気込みを感じます。 この日、僕が注文したのは、 「ハワイアンロインステーキ」1,550円。 最初に出てきたのは、ワカメスープ。 これが、具だくさんで、思った以上においしい。 夏の暑い日に、クーラーの効いた店内に入って、 最初にこの温かいスープが出てきたら、 かなりありがたい一杯になりそうです。 そして、メインのステーキプレート。 青いお皿に、ライス、サラダ、マカロニ、そしてたっぷりのステーキ。 花が添えられているだけで、ぐっとハワイ感が出ます。 選んだソースは「王道オニオン」。 味は少し濃いめ。 深みのあるオニオンソースを、焼き目のついた肉に絡めて、 箸でガツガツといただきます。 この、あまり気取らない感じがいいですね。 ナイフとフォークで上品に、というより、 ワンプレートをラフに楽しむランチ。 野菜もたっぷり。 お肉もたっぷり。 しっかり満足できるランチでした。 食後はアイスコーヒーでひと息。^^ もっと暑くなって、トロピカルドリンクやかき氷が似合う季節になったら、 こちらもビーチサンダルに短パン、アロハシャツを着て、 テンションを上げてまた来たくなります。 ♪(´ε` ) 起業も、お店も、本当に続けることが難しい時代です。 新所沢の街も、パルコ撤退後の余波をまだ受けているように見えます。 でも、そんな中で、ハワイの風を持ち込んでいるお店がある。 その風が、少しでも長く、 新所沢の通りに吹き続けてくれたらいいなと思います。 ( ´∀`) 「ハワイアンカフェ Lei」 所沢市緑町1-16-9 プラザシティ新所沢駅前 103号 070-9000-8011 営業時間 11:30 〜 14:30 / 17:00 〜 20:00 <所沢の〇〇シリーズ、一部紹介> 『【所沢のニューウェーブ、その④】小手指の住宅街で最近人気の町中華♪丁寧な仕事の「町中華」』 小手指の住宅街。南口から歩いて7分ほど。 決して良いロケーションとは言えませんが、最近、 人気の中華屋さ…ameblo.jp 『【所沢のニューウエーブ、その3】坂の上に香るスパイスカレー♪「golondrinaゴロンドリナ」』 【所沢のニューウエイーブその3】は、若いオーナーさんが、 3年経って、やっと自分のイメージになってきたという自信のお店。 「spice…ameblo.jp 『【所沢のニューウェーブ①】小手指に、お出汁とスパイスの新しい風♪「ハレノヒ」』新シリーズを始めます。題して、【所沢のニューウェーブ】。所沢のまちに新しく生まれたお店。若い感性で挑戦している個人店。昔からの老舗とはまた違う、これから…ameblo.jp 『【所沢の春のパン祭り⑤】ブログがつないだ、ポレポレ堂さんから→新しいパン屋さん「さくななぱん」』 【所沢の春のパン祭り】いよいよ最後の第5弾です。 今回ご紹介するのは、下山口駅前にあるパンとカフェのお店、 「さくな…ameblo.jp 『【所沢の満腹♪その4】大人の満腹、大人の満足。地域密着大人のランチはいかが?^^「肴処つま」』小手指駅から徒歩5分。駅から近いのに、少し地味な踏切のそば。大きな看板でお客さんを呼び込むようなお店ではなく、知らない人なら、ここに飲食店があることすら気づか…ameblo.jp 『【所沢の原点、その4】所沢っ子のソウルフード♪60円から始まる僕の「山田うどん食堂」』 いつも通る街道沿いに、大きな「90周年」の垂れ幕。 山田うどん食堂は単なる“店”というよりも、 所沢の歴史そのものなん…ameblo.jp 『【所沢の路地裏、その8】創業は1965年。テレビも映画のロケ地にもなる街中華♪「栄華」』 所沢でも一番の交通量を誇る、通称「ねぎしの交差点」。 車も人も絶えず行き交う、所沢の動脈のような場所です。 ところが、そこから最初…ameblo.jp 株式会社C-プロジェクト(元・とこなび) 代表 山下勝也 yama.uma.katsu@gmail.com <フォローしてくれると励みになります> <清瀬駅北口きんぺい寿司> 無印良品 素材を生かしたカレー グリーン×4 Amazon(アマゾン)

    たくさん共感されています

    【所沢のニューウェーブ、②】肉と海風のハワイアンランチ♪ビーチサンダルと短パンで♪^^「Lei」
  3. 今年も6月14日(日)「北酒出ブルーベリー園」が開園します
  4. 令和八年六月五日本日も黒田の武士録を此処に書き留める。『支えられた日々を、支え合う力に』我らは此の合言葉と共に、震災から十年を迎える復興の軌跡を、次代へと繋ぐ大切な一年として参りたい。雨が止んだ本日は、時折、青空が顔を出した熊本城。既に肥後熊本は梅雨入りを致し、明日から再び天候が崩れるとのこと故、外出致す際には、足元ご用心あれ。梅雨の時期のなるべく濡れたくないと、外出を控える方もおるやもしれぬが、熊本城には城域に美術館や博物館も御座り、室内で過ごせる処も是非ご活用頂きたい。中でも現在、我ら武将隊がおすすめ致すは、【熊本城ミュージアム わくわく座】であって、此方わくわく座では、今年も梅雨の期間限定の催しが開催中で御座る。詳細はこちら↓↓↓☔️#わくわく座 で梅雨の時期を楽しもう!☔️#雨でも楽しいわくわく座 6月限定ハッシュタグキャンペーン🎉参加は簡単! ハッシュタグをつけて館内で楽しむ様子を投稿するだけ📸公式SNSからいいね・リポストあるかも!?雨の日もわくわく座で思い出を作りましょう!✨たくさんの投稿お待ちしております🏯 pic.twitter.com/bKJX8PpylF— 【公式】熊本城ミュージアム わくわく座 (@wakuwaku_za) 2026年5月31日今年わくわく座の館内は、遊び場が大きく変化し、遊びながら楽しく熊本の歴史文化を学べる施設として其の魅力は更に進化致した。故に、雨で足元が悪い日が多々ある梅雨の時期には此のわくわく座へお越しあれ!お越しの際には!是非ともわくわく座の魅力を世に発信して頂けると有り難い。手順は簡単!其ノ壱/わくわく座の公式Xをフォロー(@wakuwaku_za)其ノ弐館内、又はなりきり体験中の写真もしくは動画を撮影し貼り付け。其ノ参最後に拡散記号(#ハッシュタグ)と合言葉は『#雨でも楽しいわくわく座』と添えて投稿。手順は以上。斯様な情報手段がない戦国の世を生きた我らでもさえも出来る。故に皆もどしどしと発信して参ろうぞ!では、本日の武録はこれにて終い。此度も熊本城への御登城、誠に大儀で御座った!さらば!黒田官兵衛孝高~夢想連環〜~~~~~~〜〜〜〜〜〜〜〜様々な思考、日々の感謝、かけがいの無い出逢いと絆は、決して消えることが無きよう、確固たる信念の鎖で繋ぎ合わせ、己が理想の環を広げる。日常は決して普通ではなく、当たり前だと思ってはならない。~~~~~~~~~~~~~~~~〜〜〜〜◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆【熊本城REVIVAL2026】最新情報は下記よりご覧あれ。熊本城Revival熊本地震から10年という節目に、これまでの復旧・復興の歩みを振り返り、災害の記憶を未来に伝えていくための取り組みです。復興のシンボルである熊本城とその周辺地域を舞台に、春(記憶)・夏(追悼)・秋(感謝と恩返し)・冬(後の世へ)と年間を通して熊本城が持つ力強さや美しさを活かしながら、支えてくれた人々への感謝の気持ちを伝え、改めて被災や復興への意識を高めていき…kumamoto-guide.jp◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆【特別版 お城EXPO in熊本2026】“クラウドファンディングへの挑戦”https://readyfor.jp/projects/kumamoto-castle2026熊本城復旧への歩みと復興の想いを次なる未来へ繋ぐ為、熊本初開催の成功をご支援頂きますようお願い申し上げる。期間は水無月十九日(6/19)迄。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆#熊本城おもてなし武将隊 #熊本城#熊本城REVIVAL2026 #熊本市 #熊本#支えられた日々を支え合う力に#雨でも楽しいわくわく座

    夢想連環〜令和捌年水無月五日〜
  5. よしりんの今日の投稿、おかC。「【ごみを捨てるとは、塵を祓うということ(Xでは長文が嫌われますが、敢えて掲載します)】 今朝もノリちゃんの散歩の後、掃除をしてゴミを捨てました。そこで思ったことです。私は子供の頃から、掃除やゴミ捨てをすると、いつも「祓い(はらい)」という言葉を思い出します。なぜなら、私が育った昭和40年代まで、実家の静岡県浜岡町の田舎には、「ゴミ」というものがほとんど存在しなかったからです。実家は築100年以上の木造家屋で鍼灸漢方を営む。玄関は薬屋。奥は鍼灸院。茅葺屋根。土間のある台所。かまど。囲炉裏。五右衛門風呂。井戸。そして養鶏と養豚を営み、庭は茶畑。私が小学生になる頃までは、それが田舎の当たり前の日本の風景でした。紙くずや木くず、掃除した塵は、かまどの燃料になりました。五右衛門風呂を沸かす燃料にもなりました。燃えた後の灰は畑の肥料になりました。残飯は番犬が食べました。犬が食べなければ猫が食べました。猫が食べなければカラスが食べました。それでも余れば土に還りました。実家は養豚も養鶏もしており、豚小屋の糞も鳥小屋の糞も、人間の排泄物も、藁と混ぜて堆肥にしていました。ですから、「捨てる」という感覚がほとんどありませんでした。焼却炉すらありません。ごみ収集もありません。すべてが循環していたのです。今でこそ「サーキュラーエコノミー」や「持続可能な社会」といった言葉がありますが、当時の日本人はそんな横文字を知らなくても、ごく自然に循環型の暮らしをしていました。だから掃除とは、現代のような「廃棄物処理」ではありませんでした。掃除とは塵(ちり)を払うことでした。塵とは何でしょうか。塵とは本来、埃や木くずや藁くずのような、自然に還る細かなものを指します。だから「塵を払う」とは、不要物を排除することではなく、場を整えることでした。神社でも寺でも、まず掃除をします。日本では掃除そのものが修行であり、祓いでした。義務教育の生徒の掃除もその延長線上にあります。私は今でも掃除をすると、その感覚を思い出します。そして当時の日本では、人間だけが働いていたわけではありませんでした。犬も仕事をしていました。今の犬はペットですが、昔の犬はほとんどが番犬でした。どこの家にも番犬がいました。怪しい人間が村に入ると、一匹が吠えます。すると近所中の犬が一斉に吠えます。泥棒は家に入る前に見つかってしまいます。ALSOKもSECOMもない時代でしたが、ワンワン警備隊の犯罪抑止力は極めて高かったのです。だから犬は地域社会の警備員でした。猫も仕事をしていました。土間の台所には鍵どころか扉すらありませんでした。猫は自由に出入りしていました。ネズミを捕り、蛇を追い払い、ムカデを食べました。サザエさんの歌に、お魚くわえたどら猫」とあります。あれは漫画の誇張ではありません。本当にどら猫はどこにでもいたのです。野良猫でも飼い猫でもない。どこの家にも何となくいる「どら猫」が。そして、そのどら猫は単に魚を盗むだけではありませんでした。家の周りにいるネズミを捕り続けていました。医学の歴史を学ぶと、ネズミはペストなどの感染症を媒介することで知られています。もちろん、日本でペストが流行しなかった理由を猫だけで説明することはできません。しかし、日本の農村や町で、人間と共に暮らした猫たちが大量のネズミを捕っていたことは事実です。猫はヘビも好きで食べます。 だから、家の周りにはヘビが少なく、子供は怪我が少なかったのです。猫は単なる愛玩動物ではありませんでした。人々の生活を守る衛生管理の一翼を担っていたのです。そしてカラスも仕事をしていました。残飯を処理し、死骸を片付けます。カラスがいることで雀が畑を荒らしにくくなります。今なら「生態系サービス」と呼ぶのでしょう。しかし昔の日本人はそんな言葉を使いませんでした。生き物たちは、ただ共に生きていただけでした。犬も猫もカラスも、それぞれ役割を持っていました。みんな仕事があったのです。人間だけではありませんでした。地域社会全体が、一つの生き物のように機能していました。ところが昭和40年代後半から状況は大きく変わります。私の故郷でも、浜岡原子力発電所の建設を契機として急速に近代化が進みました。茅葺き屋根は瓦になりました。汲み取り便所は水洗になりました。肉屋さん、魚屋さん、八百屋さんは姿を消し、スーパーマーケットになりました。そしてプラスチックが大量に入ってきました。それまでの塵は自然に還りました。しかしプラスチックは還りません。庭で燃やせば有毒な煙が出でて、溶けた固まりがのこり、土には帰りません。そこから日本人は「塵」と「ゴミ」を同じものとして考えるようになったのかもしれません。しかし本来、塵とは自然の循環の中にあるものでした。現代のゴミは循環から外れたものです。私は今でも思います。掃除とは家事ではありません。祓いです。塵を払い、場を整え、心を整えることです。それは神社の掃除とも、寺の作務とも、本質的には同じだと思います。便利な文明を否定するつもりはありません。現代社会の恩恵は計り知れません。しかし、日本人が長い歴史の中で育んできた「循環の感覚」や「祓いの感覚」まで失ってよいとは思いません。犬も猫もカラスも、人も土も、一つの循環の中で生きていた時代がありました。私はその時代を知る最後の世代の一人かもしれません。掃除は作業ではない、家を人を心を祓い、整える。だから、掃除もゴミ捨ても笑顔が出る。今朝も掃除し、ゴミを祓い、そしてゴミ捨てをしながらそんなことを考えていました」産まれと書いてある年代を計算した上で、小学校と言うワードも考慮すると、小学校に入るまで静岡にいた模様。これで思い出したのが、「よしりんとめぐる横浜半日観光」の動画。以下は、この動画で話していた横浜の思い出。①横浜の貨物コンテナの話をしながら「覚えてます。まだ、あの頃は首都高速の横浜線も無くて、環状線ですね。首都高速の地下道が用水路で」②ある船について「横浜港のここに動かないで泊まっています。私が子供の頃まではホテルで宿泊していました」③「あの辺がね、昔暴走族が入り込んで遊んでたんですよ。ベイブリッジは出来てたんですよ」④「作業員として働いてました。何を喋ってるのか分からない。方言が混ざってて。20歳位の時」⑤「昔よく来ていた占いのお店がある」⑥「昔は天津甘栗のお店ばっかりだったんですけどね」⑦「地元なんで横浜の観光なんてしたこと無いんです」⑧「昔、横浜にドリームランドっていうのがあった。海賊船ってのが、大海賊。幼稚園、小学校の時に行ってましたけど。子供が産まれてからカリブの海賊に行ったら全く同じなんでビックリしましたね」⑨「今日1日横浜を周ったわけですけども、私が子供の頃の感覚とは随分変わってしまいました」⑩「ずっと横浜が地元で知らなかったです」とシーバスの名前の由来について話している。以下スクショには「横浜市出身。遠江国の鍼灸漢方医の家系11代目」とある。小・中はどこの学校か不明。高校は神奈川で大学は岡山。2024年12月の動画でも静岡を実家と話し、水車や茶畑の思い出の風景を話していた。2023年7月の演説で「本当は実家の静岡に帰りたいくらい」と語っている。しかし、実家は更地になっていると説明しているのに、帰りたいとはどういうことなのだろう。- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com2023年1月の演説でも、静岡のことを実家と話しているが、おかしな言い方をしている。吉野「私にとって静岡は故郷であります。私は鍼灸・漢方医の家系で11代目ですけども、遠江国、もうちょっとここより西側になりますけども。住所行ってしまうと人が来てしまうので言えないんですけど、静岡県浜岡郡浜岡町〇▽・・そこの住所でした。そこにもう100年以上住んでいる一族なんですね。皆さんもご存知のように浜岡原子力発電所というものがあります。僕は今55歳です。昭和42年生まれなんですけども、実家がまぁその浜岡町にあったわけです。まぁ一番古い記憶っていうのが3歳位ですね。3歳位にひい爺さんがいて、桐のタンスがあって、漢方の薬とか(省略)夏休みとかお正月なんかに、うちの親父が連れて実家に帰ってくるんです。突然どこらじゅうにアスファルトが敷かれ始めたんです。実家もスピーカーがついて、原発が稼働して(省略)私の実家は木造では珍しい2階建てです(省略)トイレに行くのは本当に怖くて。鶏がバババババッて泣くし。(省略)近所の家がどんどんどんどん茅葺屋根がステンレスになり。その頃は水車がくるくるくるくる回ってました。5歳、6歳の頃は原子力発電がどんだけ怖いものか分かりませんから、いとこに自転車の後ろに乗せてもらって何回も資料館に」- YouTubeYouTube でお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。www.youtube.com静岡の家を実家と話しながらも、「夏休みとかお正月なんかに、うちの親父が連れて実家に帰ってくる」と話す矛盾。連れてくるとは?要は、夏休みや正月になると、親父に連れられて静岡に行ったのではないか。本当は親父の実家だろうか。敏明は吉野家の分家の5代目。因みに、幼少期を振り返り「幼稚園の入園式の時は周りの園児が馬鹿に見えたのですよ。当時の私は幼少誌を読んでいたので小中学生どころか、幼稚園児も全員が難しいことを勉強する立派な人間だと思っていた」と書いている。『園児の吉野敏明「なにこいつら?赤ちゃんじゃん!」誇らしいオール5』Googleで吉野敏明と赤尾由美の対談本が見られる。�Q���}�̋g��ƐԔ������u���Ȃ����������{�̈�Ö���ڂ̓�����ɂ��…ameblo.jp小学校に行くまでは静岡県に居たと投稿しているものの、横浜の道案内をしながら、ずっと地元が横浜と話す。わからない。小学校入学前など、通常あまり記憶がなくてもおかしくはないが、自身の著書では、その神童ぶりを話している。妹は何歳離れているのか。妹も少し静岡に住んだことはあるのだろうか。吉野敏明が産まれてから小学校に入る前までは、親父は横浜の歯科医院で働いて無かったのか?当ブログで過去に紹介したが、「私は、たまたま鍼灸・漢方の家系の11代目ですから、父親・お爺さん・ひいお爺さんから習ってますから。子供の頃から習ってますから出来ましたけども。普通は、やっぱりもう1回、資格は持っていたとしても鍼灸学校に行かないと鍼灸の治療は出来ないんですね」と話している。分からん。どう考えても「夏休みやお正月に親父が実家に連れてくる」という言葉はおかC。『よしりん、又YouTuberを怒らせたってよ』4日前に当ブログで吉野敏明とコラボ配信していた嫁や芸能人達が居なくなり、元参政党の面々も吉野に呆れている事を紹介したが、一部はまた復活していた。相変わらず嫁と…ameblo.jp

    よしりんの実家なのに「親父が連れて実家に帰ってくる」の謎