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妊娠記録
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先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありません
妊娠37週目にして、私は常位胎盤早期剥離により大事な大事な我が子を亡くしました。いろいろと調べたところ、常位胎盤早期剥離の既往歴があると次回妊娠時に再発しやすいとのこと。私や夫としては、やっぱり子どもをもうひとり育てたい。でも、怖い。そんな思いでずっと葛藤していました。出産前、私は今回が最後の妊娠だ
うちの天使パパは、私よりひとつ年上です。夫もまた、よんちゃんが亡くなったことで相当な悲しみに暮れていました。よんちゃんが亡くなった日から、夫は忌引として1週間の休みを貰いました。お陰で、よんちゃんが生まれてきてから火葬するまでの数日間を家族で過ごす事ができました。夫は、よんちゃんが亡くなってしまった
先生が、入院の開始日について考えていました。電子カルテに記載された、私の過去の記録を見て、先生が、前回(早剥発症時)は、陣痛が来たと思って受診したんだね。と、言いました。そこで私も、そうなんです。あんまり痛くなくて。全然、笑えるレベルの痛みしか無くて。そういうのもあって、昨日の夜も痛みの具合に判断が
妊娠9ヶ月沖縄から帰ってきて、少し心配だった検診。結果は問題なく、順調でした。この検診が結局最後の検診となりました。ひかたんが生まれる11日前でした。今思えばなのですが…ひかたん妊娠中のお腹はこの時フワフワしたようなお腹ではなく、硬めで突き出るような形のお腹でした。一人目の妊娠の時、+14kg二人目
よんちゃんが亡くなってから、2年以上が経ち、子ども達もそれぞれに成長しました。今でもよんちゃんの事は覚えている。そしてまた、新たな生命を授かり、今回は、無事に赤ちゃんが生まれた。赤ちゃんが生まれたことで、子ども達にとって、よんちゃんの存在はどうなるのかなぁと、ずっと気になっていたのですが、彼、彼女ら
診察室に戻り、先生から今後の流れについて説明を受けました。とりあえず、2週間後、もう一度赤ちゃんを見てみて、成長が確認できたら、妊娠届を提出。それ以降、妊婦健診に入ることとなりました。私は、今回の妊娠確認に際し、電子問診表の備考欄に前回の死産後、総合病院の先生には次回妊娠が可能か相談しています。妊娠
かかりつけ医の退院日は1月3日に決まりました。入院中は、毎日、助産師さんが交代する度に会いに来てくれました。皆さん、再会の瞬間はとても素敵な笑顔で「良かったね!」と言いながら部屋に入ってきてくれて、私もとても幸せな気持ちになりました。改めて、良かった。無事に産めて良かった。と、この出産の喜びを噛みし
病院に到着しました。夫と子ども達は車を駐車後に来るとのことで、先にひとりで病院内に入ります。土曜日午後は休診のため、病内ロビーは静まり返っていました。受付に声を掛けると、先にPCR検査を受けるように指示を受けました。指定された場所に行くと、しばらくして産婦人科の看護師さんがやって来ました。検査室に移
看護師さんに赤ちゃんを預け、私は自分が数日過ごす病室へと案内されました。私が第一子からお世話になっている病院の病室は全て個室なのですが、ひと部屋だけ、追加料金無しで過ごせる広めのお部屋があります。この部屋になるかどうかは、病院スタッフの判断によるのですが、案内されるのはお得意さん?的な妊産婦でした。