ブログジャンル
妊娠記録
1,372投稿
妊娠33週のある日。就寝前、ベッドでゴロゴロしてスマホを見ていました。あれ。待って…なんだか、お腹の左側が痛い。ずっと痛い。この日も、夕食後からとにかくお腹がガスでパンパン。立ちあがるともう、はち切れそう。これが「張り」なのかは良くわからないけど。お腹がギューっと収縮する張りは分かる。でも、この、パ
子ども達4人を乗せた賑やかな車が、我が家に到着しました。よんちゃんのお骨が眠る、我が家に。夫が、赤ちゃんを連れて自宅に入りました。その周りを3人の子ども達がまとわりついていました。私は、少しの荷物を抱えてゆっくりと自宅に入りました。久しぶりの自宅。10日前に、大きなお腹で自宅を出た。あの時、お腹の中
先生が、入院の開始日について考えていました。電子カルテに記載された、私の過去の記録を見て、先生が、前回(早剥発症時)は、陣痛が来たと思って受診したんだね。と、言いました。そこで私も、そうなんです。あんまり痛くなくて。全然、笑えるレベルの痛みしか無くて。そういうのもあって、昨日の夜も痛みの具合に判断が
診察室に呼ばれました。私は先生に対し、先日は夜間にすみませんでした。と伝えました。先生は、いえ。とだけ答え、腹部エコーをするので横になるように指示されました。先生はエコーの準備をしながら、私に対し、腹痛はお腹のどこかが癒着してるのかもね。何回も切っているから。と言いました。私はそれを黙って聞きながら
夫と一緒に、先生からの卵管切除の話を受けましたが、私自身は「卵切はしない」方向で考えていました。卵切については、よんちゃん出産前に悩んでいました。その当時、かかりつけ医の助産師さんに相談したところ、助産師さんから「悩むくらいなら取らない方が良いよ」とアドバイスを受けていて、その時から自分の気持ちは変
夫と話をして、この様な場合、葬儀とか火葬とかどうなるのだろう?という疑問がありました。よんちゃんは生まれてから、ずっと背中にアイスノンを敷いてできるだけ冷やしてもらっていました。まだ春先でしたが、部屋はクーラーで冷えていました。私は布団にくるまり過ごしていました。他にも、なるべくキレイで居てもらいた
常位胎盤早期剥離の発症に怯える毎日。それでも、なんとか妊娠30週を迎えることができました。ちょうどこのブログを再開したのが、妊娠後期に突入した妊娠28週の時でした。ブログを再開したことで、今回の妊娠経過や心のうちを冷静に振り返る良い機会を得ることができました。そして、なにより、このブログを通して、た
平山作品には、いろんな「痛い描写」が出てきます。自分で足を切断したり(『他人事』)、目に指を突っ込まれて失明したり(『ある英雄の死』)、映画『ハンニバル』さながら脳みそを露出させられたり(『或るろくでなしの死』)、バラエティ満載な拷問を受けたり(『枷』『怪物のような顔の女と溶けた時計のような
昼過ぎ、部屋の移動がありました。産婦人科病棟の一番奥、個室の、静かな部屋でした。いろいろな配慮があっての事だと思います。夫も、昼過ぎに来てくれました。夫とよんちゃんと、3人で過ごします。助産師さんの提案で、手形足形を取ったり、沐浴や授乳をすることになりました。手形足形は、病院にキットがあったようで、
もう本当に大失態。今まで、ずっと安静に努めて生活してきたのに。完全に、私の不注意です。一昨日の昼、自宅リビングでソファから前のめりに転倒してしまいました。その日、私はひとりで過ごしていて、昼食後に温かいお茶を飲むため、マグカップにお茶を入れてリビングを移動していました。ちょうどテレビがついており、私